34.雅臣と、無理心中

 そして心優もなにを返していいかわからない……。息子は自殺なんかじゃない、雅臣君を道連れに死なせようとしたわけじゃない。一命を取り留めた雅臣君の栄光の道を断ったわけじゃない。親友の母は、そう信じているのだから。


「いただきます」


 こんな時に、出されたお菓子が間を持ってくれるだなんて……。心優は出された和菓子を手に取った。


「どこで出会ったの。雅臣君と、小笠原で?」


 あちらも、お相手が困る話題をうっかり喋ってしまったと思ったのか、当たり障りのない話題に切り替えてきた。


「わたしもそこの浜松基地で事務官をしていました。雅臣さんが室長をしていた秘書室に採用されて、横須賀基地の配属に。その時は彼の部下でした」


「小笠原にはどうして? 雅臣君もいつのまに小笠原に」


「わたしが先に小笠原に転属しました。いまの大隊長は女性です。その女性の隊長を護衛するために同性である女性の護衛官として望まれました」


「護衛官……? あの、上官の方を危険な時にお守りする隊員さんということ?」


 はい――と心優も頷く。


「わたし、元は空手の選手だったんです。怪我をしてアスリートとしての前進を望めなくなったので、父が勤めている軍隊へ入隊し社会で働くことにしたのです」


「まあ。あなたのようなすらりとした女の子が、空手? 護衛官?」


「でも、腕のここらへんなんか、筋肉ばっていて硬いんですよ」


 と、心優は力こぶをつくるようにして腕を曲げた。


「ほんとだわ、すごい。では、これまでの技術を護衛のためにと転向されたのね」


「雅臣さんの秘書室がわたしを採用してくださらなかったら、わたし自身、怪我をしたことで断たれた道にばかり固執して、前に進めなかったと思っています」


 伊東夫人がそこで黙った。心優を見つめて、いまにも泣きそうな目をしている。


「……もしかして。貴女なの? マサ君を海に戻してくれたのは……」


 心優は首を振る。


「いいえ、きっとそうなんだわ。でなければ……。結婚を決めたいまになって会いに来るなんてしないはずだもの」


「雅臣さんが心から望んでいたからそうなっただけです。わかっていたんです。わたしのように雅臣さんも固執している。この大佐殿は空から離れないし、空を望んでいて、なおかつ『空に望まれている』、だから帰れるのに、帰れなくなっているだけ……だと」


 『空に望まれる?』、伊東母がその言葉に囚われ一瞬、ほうけた。


「空に望まれる男は一握りです。コックピットのシートに望まれるパイロットになれるのも、その後、パイロット達を支えられる目に思考に判断力を持てるとなるとさらに絞られます。雅臣さんはまさにそこに望まれた大佐殿だと思っています。空が呼んだんだとも時々思うほどです。彼が後輩パイロットの力を引き出す姿を見せるようになった最近、特にそう感じるようになりました」


「空に望まれる男は一握り……ね。うちの息子は、最初から空に愛されていなかったみたいね。あの子はとっても望んでいたのに」


 いけない。そうだった。雅臣の方が選ばれている――という話をしてしまったと心優は一気に青ざめる。


「どうやったら諦めてくれたのかしら。なまじ、大親友の雅臣君が、健一郎の代わりのように大活躍をしてしまったものだから、あの子……自分も飛んでいる気持ちになれていたのかも。マリンスワローにいた頃は本当に『雅臣はすごかった、かっこよかった。俺の自慢』と喜んでいたのに。どうして……雅臣君が『雷神の飛行隊長に抜擢された』と聞いて、あんな気持ちになったのか」


 いまでもわからない!!! 母の悲痛な叫びが響いた。

 ついに顔を覆って、伊東のお母様が泣きさざめく――。


「もっともっと前に、あの子に違う生き甲斐をみつけてあげるべきだった。余計に空に夢見てしまったのよ、雅臣君のせいで……!」


 どうしよう! こちらのお母様も抑えに抑えて、心優の訪問に穏やかに対応してくれていたのに。触ってはいけないところを触ってしまった!? 心優の背中に汗が滲む。


 しかも伊東夫人は顔を覆って咽び泣く。その悲痛な声が続き、心優はもう言葉も出ないし酷いことをうっかり話していたと愕然とする。


「でも、」

 でも――と伊東夫人が顔を上げた。


「でも、止められないくらい……。あの子、雅臣君を応援することに夢中だったの。幸せそうに見えたの、だから……。パイロットになって活躍している雅臣君を憎んで、あんなことをするなんて信じられない……」


 絶対に息子は雅臣を憎んで事故を起こしたわけではないと信じる母親、でも、親友の憎しみを目の当たりにしてしまった雅臣。その事情を息子から聞いたアサ子母。なるほど。これは相容れないはずだと心優も実感した。


 それでも雅臣は聞いたという。『なんで俺じゃないんだ。俺だって空を飛びたかった。どうして雅臣は遠くへ行ってしまうんだ!!!』と叫ぶ彼を見ると、ハンドルを切って路肩の街灯に激突したと聞かされている。その時の彼の豹変した憎しみの顔と怒りに燃える目、その言葉がずっとずっと胸をえぐって忘れられないと苦しそうに教えてくれた。


 『遠くへ……』、それを聞いて心優は思った。『小笠原に行ってしまうと、一般人はそう簡単に会いには行けなくなる』だから? いまになってふとそう思った。


 泣いて叫んで、それが良かったのか。伊東夫人の声が小さくなってきた。


「ご、ごめんなさい。当時を知らない貴女にこんなことを言っても……」


「いいえ。皆様が苦しい思いをしてきたことはわかっているつもりです。ただ、そばにいることしかできなくて、聞くことしかできなくて、情けなく思っています」


 夫人が少しだけ気が済んだように微笑んだ。


「マサ君、長いわね。ちょっと見てこようかしら」


 夫人が席を立ったので、心優も一緒に連れていってもらうことに。

 仏間にしている和室。少しだけ開いている襖の隙間に、まだ仏壇に向かい合っている雅臣の背中が見えた。


「健一郎。おまえ、ファイターパイロットになりたかったんだろ。護る仕事がしたかったんだろ。だからさ、俺と行こう。ついてこいよ。また艦に乗るんだ。今度は副艦長に就任だ――」


 副艦長就任と聞いて、やはり伊東のお母様がハッと驚きで固まっていた。でもそこでじっとしている。子供を見守るような母の横顔。心優もそのまま控えた。


「いまな。俺達が二十代だった時とは情勢が違うんだ。けっこう厳しいんだ。おまえさ、頭良くて判断力もあって決断力もあった。な、力貸してくれよ……。俺だって。おまえと僚機になって飛びたかったよ。俺達最強のエレメントになれたと何度も話しただろう。俺はときどき、コックピットにおまえを感じてたよ。おまえの分までと思って――」


 そこで雅臣がふと顔を上げた。


「もしかして、おまえ。もう俺と一緒にいる?」


 雅臣が黙り込んだ。なのにまた障子があるガラス窓に強い風が当たっている。雅臣がそちらを見た。でも視線はすぐに位牌へ。


「な、行こう」


 そうしてずっと話しかけているようだった。もうそれだけで心優は涙がこぼれた。目の前にいる伊東夫人もなにかこみ上げたのか嗚咽を抑えるように口元を覆ってうつむいた。


 しばらくして落ち着くとお母さんから襖を開けた。


「マサ君、健一郎の部屋を見ていって。なにか気になるものがあったら持っていっていいわよ」


 雅臣が現世に帰ってきたかのような表情で振り返る。そして微笑んでいる。


「ありがとうございます、おばさん」


 二階にあるという彼の部屋へ行くことに。そこで雅臣は航海のお供を見つけられるといいなと心優もついていく。

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