35.時を超え、届く祝い

 その部屋にも心優は驚きを隠せない。

 もう航空マニアそのもの。しかも壁には、雅臣が自分の部屋に貼っていた『スワローパイロットの広報ポスター』が、つまり雅臣の広報ポスターがあった。


 そこに雅臣を応援してる情熱をみた。スポーツで言うなら熱狂的サポーター。本棚には撮影しただろうDVDの山、そして雅臣と一緒の写真。マリンスワローのグッズがコレクターのように並べられている。


「うわ、健一郎の部屋、相変わらず飛行機だらけだな」


「そうなのよ。どんどん増えていって、飛行機ばかりでちょっと心配していたぐらいよ。女の子にも興味をもって欲しかったんだけれどね。休みになれば、どこかの展示飛行だとか基地の公開日だとかででかけちゃってね。雅臣君のマリンスワローが広報の日は、どんなに遠くてもおっかけていったしね」


「でも、俺も健一郎が来るのを心待ちにしていましたから。実際に、きついもんなんですよ。鬼の上官の恐ろしい訓練、過酷なコックピット。健一郎の励ましを待っていたんですよ」


 彼の机を見て、雅臣が切なそうな眼差しになる。お母さんもなにも言えないらしく、しばらく沈黙が続いた。


「俺、甘えていたんですね。健一郎の応援と励ましは本物でした。でも、だからって。俺は……。そう、ずっと、秘書官に転向してもずっと。健一郎にも、隊長の准将にも、そして……心優にも……。やっとわかったんです。それが俺の罪なのでしょう」


「マサ君、憎んでないの?」

「憎んだことなど一度もないです」


 言いきったそのひと言に、伊東夫人の目元がまた涙を滲ませ崩れる。憎みもせず、雅臣から『俺の罪』と吐露してくれたからだと心優は黙って見守っている。


「ただ、『どうして』、『話したい』、『嫌われていたのか、俺のせいで悩ませていたのか』という絶望ばかり。会えるのならば話し合えるのに、それも二度とできない」


「ごめんね、マサ君。あなただけでも助かって良かった。でも、飛べない身体にして貴方の仕事を奪ってしまって、ごめんなさい……ごめんなさい、ごめん……な……」


 ついに伊東夫人が雅臣の目の前で泣き崩れた。よろめいて落ちていきそうな小柄な身体を、大きな雅臣が逞しく腕だけで支える。


「ひさしぶり、マサ君がおっきい子だって。ひさしぶりに思い出したわ。ほんと、小学生の頃からビッグサイズだったものね」


「あはは。健一郎といるとデコボココンビだって良く言われましたね。でも健一郎はリーダーでいつも学級委員で頼れる男で信頼されていました。俺はそんな健一郎をいっつも頼っていたんですよ」


 いつものお猿さんの愛嬌スマイルになってきた。それにしても、心優から見ると雅臣の方がリーダーシップがある兄貴だと思っていたけれど、そういう見本になる男が親友だったのかなと初めて思う。


「だから。あいつ、いい指揮官になれたと思うんですよね。違う形で――。でも、俺もコックピットの世界に惚れ込んでしまったし、喪失感は大きなものでした。俺の上官や先輩達も、どうコックピットと別れるかというものに苛むようですから。夢見ていた男の絶望もいかほどだったか。それを見ようとしなかったのも俺の罪――。俺の罪が、ああなるキッカケ……」


「もう、やめて。マサ君……。お願い。もう、やめましょう。ね……」


 話せばこうしてわだかまりがとけていくのに。それが何年もできなかった。そして『すぐにはできなかった』のだと心優は思う。すぐにしようとすればもっとこじれていたはず。そして、今日だからいまの雅臣と伊東のお母様だから『話せるようになった』のだろう。


 でも。大丈夫そう。そして雅臣も自分のなにが良くなかったのか。その姿勢が親友の母の心を開いた気がしていた。


「雅臣君。航海任務に出るのでしょう。健一郎もつれていってやって」

「おばさん……」

「気になったもの、持って帰っていいわよ」

「ありがとうございます」


 望みが叶いそうで雅臣が笑顔で一礼をする。心優もホッとしてまた涙が滲んでしまった。


「なにがいいかな」


 雅臣も親友の部屋をキョロキョロ。


「そうそう、引き出しにもいっぱい入っているのよ。あの子が大事にしていたものばかりで、なかなか片づけられなくて――」


 伊東夫人が息子の机の引き出しを開けようとした。


「あら、開かない。なにか引っかかっているわね」


 引き出しが開かずに、お母さんの手がガタガタと無理に引っ張ろうとしている。


「おかしいわね。前はスッと開いたのに」

「貸してください」


 手が大きい雅臣が代わって引き出しを引いた。少しだけ『ガタ』としたが、雅臣がひっぱるとスッと開いた。男の力でなら開いたよう?


 その引き出しを雅臣とお母さんが一緒に覗いた。


「これが引っかかっていたのね」


 紺色の綺麗な箱がでてきた。


「こんなものあったかしら? まあ、滅多に開けないし、あの子いっぱい溜め込んでいるから気がつかなかったのかしら」


 不思議そうにしながらも、息子が奥に残していたその箱を彼女が開ける。その開けられた箱の中に入っていたものを知り、雅臣の表情が固まる。心優も同様に驚き固まった。

 

 箱の中身は『パイロットウォッチ』。

 ただ伊東夫人だけがなにもわからない顔で首を傾げている。


「時計? こんなもの、あの子、この引き出しにもっていたかしら」


 しかも心優の足下にひらりと箱の蓋にはりついていた白い紙が落ちてきた。そのメモのような紙を拾った心優はそこに『雅臣』と記されているのを見つける。


「お母様、これが」


 ひとまず母親の彼女に手渡した。それを開いて中身を読んだだろう伊東夫人が目を見開き、驚きで息を止めるような姿を見せた。


「マ、マサ君。これ」


 その白い紙を雅臣に手渡した。雅臣もそれを眺め、同じように驚愕している。


「お、おばさん。これ、気がつかなかったのですか」

「え、ええ。時々、開けて、あの子の匂いを感じたりはしていたけれど。奥にこれがあったなんて覚えていないし、」


「心優、見てくれ、これ」


 白い紙を雅臣が心優にも差し出してくれる。その手が紙が震えていた。

 それを受け取り、心優も確かめる。


 


雅臣 雷神への抜擢、そして飛行隊長就任おめでとう。

マリンスワローに所属してからの、雅臣のフライトは磨きがかかったし、才能が開花していくのがわかった。

でも小笠原は遠いな。もう会いたいと思っても会えないかもな。機体はまだテスト用とのことだから、おまえが展示飛行の隊長として空に戻ってくるのはまだ先になりそうで寂しいよ。

それでも、あの伝説のフライトが復活する! 白昼の稲妻のワッペン、かっこいいよな。

スワローでもエースだった雅臣だから、雷神でもエースになれるだろう。フロリダから来るパイロットに負けるなよ。なめられるなよ。

そう思って。プライベートのアイテムには無頓着な雅臣に。アメリカのパイロット達が愛用している最高の時計を贈る。

誰もが憧れるかっこいい飛行隊長になれよ! 雷神の白い戦闘機が青い空を舞う日を待っている。

 


 うそ。すっごい祝福してくれていたんじゃない。

 でも、心優はすぐに思い改めた。『渡せなかったんだ。用意していたのに、渡せなかったんだ』と。


 それは伊東夫人も雅臣もすぐに気がついたようだった。


「あの子、マサ君がどんどんパイロットとして昇進していくこと、受け入れられなくなっていたから、渡せなかったということなの?」


「いえ……。きっと、その後で、時間が経っても渡してくれたはずです。……生きていたら、きっと、きっと」


 雅臣の目から、また涙が溢れはじめる。今度は女二人の目の前でも憚ることなく大佐殿が男泣きをしている。


「マサ君、受け取ってくれるわね。航海に出る時つけていって」


「いいんですか。ほんとに。この時計、けっこうするんですよ。あいつ、こんな高価なもの、俺に――」


 いまの雅臣もいいパイロットウォッチを愛用している。彼が三十代の大人になって、大人の男のアイテムに精通するようになって選んだもの。でも、事故当時の若いパイロットだった雅臣にはまだそれなりの選ぶ目しかなかったのか。アイテムには精通していた親友がそこを気にしてお祝いに選んでくれたんだということらしい。


「む、無頓着ってひどいな。俺だってパイロットウォッチはそこそこ持っていたのに。でも……、これ、俺にはまだ早いかなと思って、手が出せなかったやつですよ」


「いまは立派な大佐でしょう。海に出て行くのでしょう。このような時計、役に立たない?」


「いいえ、役に立ちます」

 では――と雅臣がその箱を手に取った。


「ありがとうございます。大事に使わせて頂きます」

「マサ君、よかった。来てくれて、ありがとう。ほんとうにありがとう」


 雅臣の手に、最高の相棒ができた瞬間だった。

 その他に写真を数枚、雅臣はもらって帰ることにしたようだった。


 部屋を出る時、ふと心優は振り返る。


 お母様は最後まで不思議そうにしていた。『いつもはスッと開くのに』、『あんな箱があれば開けていたと思うのに気がつかなかったわね』とずっと訝しそうにしていた。


 まさかね。雅臣が来るまで隠れてたかのような贈り物。他の人には気がつかれたくないと母親の目からも隠れていたかのような……。心優も不思議な気分になっている。

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