36.霊がきた!? 野生の女たち

 心優も仏前に線香をあげ、『初めまして』と挨拶をさせてもらった。


「お邪魔いたしました」


 玄関先でおいとまのご挨拶をする。


「マサ君、気をつけてね。今日はありがとう。よかったら、また来てね」

「はい。帰省の時にまた来ます。必ず。おばさんも、お元気で」


 伊東夫人が初めて、清々しい笑みを見せてくれた。

 そのお母様が、ずっと静かに控えている心優を見た。


「やっぱり。貴女が連れてきてくれたのね。ありがとう、心優さん。また雅臣君と来てね。貴女も任務、お気をつけて」


「ありがとうございます、お母様。また雅臣さんと寄らせて頂きます。本日はわたしもご挨拶をお許しくださってありがとうございました」


 雅臣と一緒にお辞儀をして、車へ。雅臣が運転席に乗り込み、心優も助手席のドアを開けた時だった。


「心優さん」

 呼び止められ、心優は振り返る。伊東のお母様がちょっと気後れしたような顔で、ちょっと迷っている様子をみせる。


「どうかされましたか、お母様」

 迷った末とばかりに、彼女が笑顔で心優に言う。

「アサ子さんに会いたい――と、伝えてくれる? お嫁さん」


 また風が吹いた。心優と伊東のお母様の間を駆け抜けていく。

 でも心優は思った。『空気が動き出している』と。


「はい。伝えておきます。とても喜ぶと思います」


 明るく伝えると、伊東夫人もホッとしたようだった。


 



 伊東家の墓前にもお参りをしてから城戸の家に戻ると、リビングでお父さんとお母さんはゆったりとお茶をしているところだった。


 それでも息子が帰ってきたのを見ると、とても心配した様子で迎えてくれた。


「お帰り、雅臣。伊東さんはお元気だったか」


 お父さんも神妙な様子で静かに尋ねる。


「うん。おばさんといっぱい話してきた」


 息子の晴れやかな笑顔を見て、もうアサ子お母さんがぶわっと涙を流しちゃったので、心優はギョッとした。


「ほんとかい。香織ちゃん、大丈夫だったのかい」

「うん……。最初は辛そうだったけれど。俺が健一郎に挨拶をするのを許してくれた後は、こう、溜まっていたものをお互いに吐き出すってかんじで」


 そして雅臣が晴れやかになった証拠とばかりに、贈り物の時計を両親に見せた。


「事故の前に。健一郎が俺の昇進の祝いに準備してくれたんだって。おばさんも今日初めて見つけたみたいだった」


 綺麗で重みのあるパイロットウォッチの箱を開けて、雅臣は両親に見せる。あの小さな手紙も。


 それを見た雅史父が沈痛な面持ちになり、アサ子母はもう泣き崩れてしまう。


「健一郎君の本心であって、迷いでもあったのだろう」


 お父さんのひと言っていつもずっしりするし、なんか安心すると心優は感じている。どう受け止めていいかわからない時の着地点を教えてくれるような。そんな感じだった。


「あんなに応援してくれていたんだ。これが本当のケンちゃんだよ。なのに、あの時はあの子に悪いものが憑いていたに決まってる! 悪いものに隠された、綺麗な本心が出てきたんだよ。雅臣が来てくれて、見つけてくれたと思っているよ」


 随分と抽象的なような気がしたけれど、ゴリ母さんが言うとなんか野性的に感じてるような気もして、しっくりしてしまう。


「心優さんも大丈夫だったかな」


 雅史父が付き添っていった心優のことも案じてくれる。息子の死を招いたパイロットの親友がお嫁さんを連れて行って邪険にされなかったのかと案じてくれていたらしい。


「はい。時々、辛そうでしたが、わたしもお話しをさせて頂きました」


 そこで心優はアサ子母を見た。


「あちらのお母様が、アサ子お母さんに会いたいと伝えて欲しいと、わたしに……」


「え、ほんとうに? 香織ちゃんが? 私に?」


「はい。雅臣さんといろいろ話したように。アサ子お母さんとも積もり話がたくさんあるんだと思います」


「ほんとかい、ほんとに? 会いたかったよ、私も。話したかったよ、私も!」


 とうとうアサ子母が号泣する。それをお父さんがそっと抱きしめて、よしよしと頭を撫でる旦那さんらしい姿を見せる。


 ほんとうに空気が動き出した。心優の中で、あの家にずっと強く吹いていた風が印象的。あの風がいろいろと動かしてくれたような。そんな気がする風だった。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 これで浜松でやりたかったことは全て終えた。

 城戸家での二夜目、明日はここを出発する。


 二夜目の夕食はまた真知子姉一家と、賑やかに囲んだ。

 そこでやっと心優は、城戸家に婿入りしてくれたという真知子の夫、双子のパパの『史也さん』と対面。


 こちらもさすが双子のパパ。プロレスラーのような大きめの体型でも大工で鍛えた引き締まった肉体。心優の兄に負けない体型だった。これはまた大型の双子が生まれるはずと心優も納得。


 しかも、お父さんも『双子』らしく、一卵性双生児で生まれた弟もいるとのこと。だから真知子さんに双子が生まれたのではという話題にも花が咲いた。


 もう食べる人間が、城戸のお父さん以外はすべて『大食らいさん』。


「まったく、こんな豪快な食事会になるだなんてね。大食らいが七人か。はあ、すごい」


 今日も大食らいさん達と気兼ねない食事にしようということで、お母さんと真知子姉が城戸家カレーを大きな鍋につくったものの。それがあっという間になくなってしまったほど。


 大きな寸胴鍋につくっていたのにどういうことかと雅史父が仰天している。しかもおまけにと作ってくれていた唐揚げもあっというまになくなった。


 また昨日以上に賑やかな城戸家の食卓。そこには晴れやかな雅臣の心から楽しそうな笑顔があった。


 




 今夜も雅臣の部屋で眠る。明日は沼津へ。挨拶をして昼食をご馳走になったあと、そのまま伊豆へ向かう予定だった。


 お風呂をいただき、雅臣の部屋がある二階へと階段をあがる。

 部屋着用のワンピースにカーディガンを羽織っている心優が二階の廊下に立つと、レザーパンツと白い半袖シャツすがたのアサ子お母さんがいる。


「お母さん? どうかされたのですか」


 アサ子母が振り返った。


「心優さん、誰かに会わなかったかい」

「誰か、ですか?」


「真知子も史也も双子も帰ったはずなのに。誰かが階段をあがっていったんだよ」


 え!? 仰天して心優は廊下にたたずんだままのアサ子母のそばへ行く。


 アサ子母は雅臣の部屋の向こうへ続く廊下を見ている。突き当たりはお手洗い、雅臣の部屋の斜め向かいは二階用の洗面台の部屋にユーティリティになっている収納部屋。そして向かいは窓。いるとしたら、洗面所?


「どうしたんだ、アサ子」


 お父さんが階段を上がってきた。


「父さん、誰かが階段をあがっていったんだ」

「はあ? 双子が勝手に入ってきたんじゃないのか?」

「いや、双子だったら二人分の足音だ。聞いたことがない足音だったよ」


 さらに心優はギョッとする。お母さん、野生の感があるんじゃないかと。それが臣さんのいい勘として受け継がれてきたのかなと思った瞬間。


 ミシ。


 あからさまにそんな音が聞こえた。心優にも聞こえた! やっぱり洗面所の奥!


「な、誰かいるだろ」

「い、いますね!」

「は? いないだろう?」


 お父さんだけが首を傾げる。


「心優さん、危ないからそこにいな」


 アサ子母が勇ましく、そっと物音の場所へと近づこうとする。でも心優はお母さんの手をひっぱり引き留めた。


「待ってください、お母さん。わたしが行きます」

「だめにきまってんだろ。そんな危険な目にかわいいドーリーちゃんを」

「ですが。わたしは海軍の護衛官です。こんな時はわたしです」

「あ、そうか。心優さん空手黒帯だっけ」

「う、悪いね。心優さん……。でも、父さんはなにもかんじないんだけれどなあ」


 不審者があがりこんでいるならドキドキするし怖い。でも、ここは仕事で護衛をしている心優の方がプロ。『任せてください』と気配を感じようとしながら一歩前に出た。


 その時、開いている窓からひゅうっと風が吹いた。その瞬間、心優はゾッとした。


「さ、寒い。すっごい寒い!」


 アサ子お母さんが自分の身体を暖めるように腕をさすりまくって震えていた。


「アサ子、どうした。真っ青だぞ」

「わ、わかんない。いまの風、冬の風みたいに寒かった」


 アサ子母の半袖から出ている勇ましい腕にざっと鳥肌が立っていた。

 心優はそれを見て嫌な気分になった。何故なら、心優の腕にも鳥肌が立ち、そして凄く寒い。歯がガタガタしはじめるほどに!


「え、え。なんなの、アサ子も心優さんも」


 そこで三人一緒に顔を見合わせ、ハッとして窓へと振り返った。

 

 そして心優は確信を得たようにして、一応警戒をする構えで洗面所に近づく。壁に背をつけ訓練どおりの体勢で一呼吸置いてから、ドアをサッと開けた。


 誰もいない。なにも感じない。


「なにもないようです」


 心優の報告に城戸の両親がほっとした顔。


 だけれど、雅史父が眼鏡をふっと抓んで直しながら、開いている窓、風が吹いていったそこを見つめた。


「アサ子は昔から妙に感が強いんだけれど、心優さんも感がいいね。来ていたんじゃないの。それか雅臣のそばにいるのかもね」


「うわー、やめてくれ、やめてよ。お父さんったら。見たことなんか一度もないし!」


 アサ子母が騒いだが、そんな妻を余裕の笑顔でにっこりと見つめるお父さん。


 何の会話かわかって、心優は改めてゾッとした。

 今日の風、寒いと感じたり、母親が覚えのない箱。やっぱりいるの? ついてきてくれたの? え、アサ子お母さん、みちゃったの???


 雅臣の部屋のドアが開いた。


「なんだよ、うとうとしていたのに騒々しいな」


 のんびりのほほんとした雅臣が出てきた。

 彼はお父さん同様にそばに来ていてもなにも感じなかったよう?

 アサ子母と心優だけに感じたもの。それはいったいなんだったのか。


 お盆も近いしね。あるかもね。アサ子母はまだ寒い寒いと震えていた。

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