40.ドッグタグを握る覚悟

 休日のラフな姿の父だったが、途端に険しい顔になる。仕事で見せている少佐の顔だった。その婚姻届を手に取った。


「あちらのお父さんは認めてくださったのだね」

「はい。母と姉と甥の双子に見届けてもらいました」

「そうか」


 心優が書いた婚姻届を見たら泣いちゃうかも――なんて母が言っていたけれど、そうでもなかった。とても厳しい目つきで、感激しているなんて様子はひとつもない。


「心優に聞く」

「はい」


 怖い父の顔に、急に心優は緊張する。あの時とおなじ顔だ。小笠原の御園准将の護衛官になると転属の知らせをした時に『お父さんは反対だ、断れ』と叫んだ時の怖い顔。


「雅臣君のドッグタグを握りしめる覚悟もできているのだな」


 その問いに、心優だけではない。母も兄二人も義姉も驚愕の表情を揃え固まる。ただならぬ空気が充満する。わからないのは姪っ子だけ『ドッグタグってなに?』と隣の母親に聞いている。


 結婚の許しを得るのに、どうして夫の死を思わなくてはならない。そういう縁起の悪い話。


 でも、心優は雅臣の覚悟を浜松で見ている。だからそのまま父にしっかりと眼差しを向ける。


「できています。雅臣さんの認識票を握る日が来ても、わたしは生きて雅臣さんの子供を護ります。でも夫がそうならないよう、陸から艦を援護したいと思っています」


 心優がそう告げた途端、父の隣にいる母が泣き崩れてしまった。


 『ドッグタグってなに?』、『軍人さんが首に下げている自分の番号が刻印されているメダルのペンダント。任務で殉職した時はその番号が『本人』であると証明し死亡した証拠として帰ってくるの』。


 咲子姉の説明に、姪っ子達もショックを受けた顔になった。


「雅臣おじさんのお仕事ってそんなに危険なの」

「そうじゃないんでしょ。大きな空母艦は護られているんでしょう。お祖父ちゃん、せっかく心優ちゃんが結婚するのに、変なこと言わないでよ!」


 今日は嬉しい日じゃなかったの? 姪っ子、孫からの抗議でも父は頑としていた。


「そういう結婚だということを、今日はおまえ達にも肝に銘じてほしい。俺は運良く内勤の教官として、外へ出て行く特殊部隊の男達を訓練するのみで済んできた。だが、教えた男達は傷ついて還ってくる。栄光ばかりではない。雅臣君はファイターパイロットだった時からその責務を負ってきたベテランではあるが、心優も艦を下りる業務に移るまでは、ファイターパイロットと変わらない。気の緩みが命を落とす、そんな任務を請け負っている。その覚悟は、家族も必要だ」


「そうなの、お祖父ちゃん。心優ちゃん……小笠原に行ったのはそういうことなの?」

「でもそんなこと滅多にないよね、ね? だってニュースでそんなこと一度もないもん」


 姪っ子達の平和が当たり前である、そしてそうであるのだと信じる姿に胸が痛くなる。


 ニュースにならないものもいっぱいあるだろう。心優は先日の任務でそう思った。自分たちが艦で遭遇した危機など、いちいちマスコミで報道などされないから。


 でも。『真実は語らず、安心させる』、それも航海へでていくわたしの使命。父が子供だったわたしになにも感じさせなかったように……。心優はいま姪っ子に教えてもらった気がした。


「ルリ、マリ。大丈夫だよ。そうだよ。そんなこと滅多にないよ。ただね、艦でそこを警備しないとがらあきになっちゃうの。なんでもきちゃうの。特に西と北の方ね。こっちに入ってくるな、ここは私達の領海だからと空母艦で通過するだけでも効果があるの。戦闘機を艦載するのは他の基地と一緒。すぐスクランブル指令で飛べるように備えているだけだよ。次の航海もそういう警備航海だから大丈夫。雅臣おじさんもそうだよ」


 心優の意図が通じたのか、雅臣もさきほどのお猿スマイルで姪っ子達ににっこり。


「そうだよ。警備航海だよ。戦闘機パイロット達は毎日おなじように慣れているスクランブルをするだけ。訓練されているから大丈夫。彼等が毎日、空に近づく飛行機を追い払っているから慣れたもんだよ。しかもうちの艦に乗せるのは、あの雷神だ。敵も逃げていく。な、心優」


「うん。だから一緒に還ってくるから、心配ないよ」


 どんな危険があるとわかっていても。こうして家族を安心させるのも使命だ。そして必ず還ってくること。それも使命。


 だが、ここで硬くなっていた長男兄が、雅臣に頭を下げた。


「もしものことがあっても。心優のことは私達兄貴も力になります。ですが、妹が結婚するなら、城戸大佐と家族になり望むことはひとつ。絶対条件は無事帰還です」


「もちろんですよ。お兄さん。俺はそう思って、戦闘機に乗っていた時も還ってきていましたから」


 次男兄も頭を下げてくれた。


「家族が欠けることは絶対に嫌です。娘達もこのように哀しみます。ですが、ご安心ください。家族となった者は俺達も守らせて頂きます」


 兄二人が揃って頭を下げた。雅臣も感極まっていた。


「達郎さん、武郎さん。ありがとうございます。安心して海に出て行けます。留守の間はよろしくお願いいたします」


 兄と雅臣が通じた瞬間だった。


「では。証人となろう」


 家族の覚悟が決まったのならと、やっと父が万年筆を握り、母が印鑑を用意した。


 父が静かにサインをする。最後、印鑑を押してくれた。

 それを雅臣に差し出すと、やっと雅臣が嬉しそうに微笑んだ。


「お父さん、お母さん。お兄さん、お姉さん。そしてルリちゃんマリちゃん。ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします」


「こちらこそ、どうぞ娘をよろしくお願いいたします」


 父と母の許しを得て、雅臣が笑顔になる。雅臣の笑顔一つでそれまで『家族の覚悟』で重くなってしまった空気にふわっとした明るさが生まれた。やっぱりお猿さん。その愛嬌で皆を笑顔にしちゃうんだね――と。


 なのに。そこでやっと気が緩んだのか。父がメソメソ泣き始めちゃったので、姪っ子達が『お祖父ちゃん意地っ張り』と笑い出した。


「さあさあ。お食事にしましょう。ほんっとお父さんみたいな軍人さんってお堅いわねー」


 母も涙を拭きつつも呆れて笑いながら、キッチンへと向かっていく。

 やっと賑やかな食事会になって、皆で寿司をわいわいと囲んだ。


「雅臣おじちゃん、ねえねえ、」

「心優ちゃん、どんなドレスにするの。決めてるの?」


 姪っ子ふたりは、もう雅臣が気に入ったのか、雅臣に話しかけたり心優の結婚式のことを根ほり葉ほり聞いてくる。


 姪っ子がようやく離れると、雅臣もホッとした顔に。


「かわいい姪っ子ちゃんで良かったよ。それに……兄ちゃんズも……」


 生真面目そうで怖くなかったと、雅臣が笑う。

 だが妹の心優は『おかしいな。後輩達にはすっごい無理強いをする体育会系バリバリの兄貴達なのに』と首を傾げていた。


「ま、雅臣君!」

 と思っていたら。次男兄の武郎が、雅臣の隣にやってきた。


「は、はい……」

「こ、これ。お願いしていいかな!」


 兄がぶっきらぼうになにかを差し出してきた。

 それは軍広報部が販売している展示飛行のDVD。なんかこの光景……どこかで最近見たと心優はまさかと兄・武郎を見た。


「マリンスワロー飛行部隊が大好きなんだ! 頼む、サインをしてください!!」

「え、お兄ちゃん。こういうの持っていたっけ?」


 心優もびっくりして、兄が持っているDVDを手に取った。


「父ちゃんが海軍で横須賀にいたんだから、ガキの頃から展示飛行何度も見てきたんだよ! いまだって見に行くからな!」


 うそー! 知らなかった!! そんな様子微塵も見せなかったじゃないと言いたい。だが確かに。兄貴達は男だからなのか、父の基地のイベントに行きたがっていた。心優は興味がなかったのでつまんないと母と留守番していたような気がする。


「わ、そうでしたか。うわー、じゃあ、俺とお兄さん初対面てわけでもなかったんですね」

「これ、ソニック?」


 兄がパッケージの裏に掲載されている写真、ハイレートクライムのホーネットを指さした。


「俺ですね」

 兄ががっしりと雅臣の手を握った。

「すげえ、まじかよ。妹がソニックを連れてくるなんて!!」


 兄が雅臣にガバッと抱きついてしまったので、心優はギョッとして、姪っ子達も『パパ、なにしてんの、恥ずかしい!!』と騒ぎ出した。


 大男が大型お猿に抱きついているという変な盛り上がりになってしまった。本当は次男兄は雅臣より年下なので、これからは臣さんのことを逆に兄貴と呼びそうな勢いになっている。


 臣さん、お兄ちゃんのこと怖がっていたけれど。みんな大好きソニックに助けられたね。


 最後はみんなが、雅臣を取り囲んでわいわい。やっぱりこれこそ、ソニックお猿さんだよね。心優もお寿司をいっぱい頬張って、やっと笑ってばかりの時間を過ごした。

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