41.婚前ハネムーン

 もう大奮発。予算無視で決めた個室温泉宿、大人の隠れ家的お宿。

 ベッドがあるお部屋を予約した。もう、大正解!!


 和風のベッドルーム、隣接する半露天の檜のお風呂。畳の和室もある広めのお部屋。そこを出ると石畳の小さな日本らしいお庭もある。


「おー、すげえいいじゃん。俺もこんなところ一度泊まってみたかったんだー」


 騙された彼女と旅行が行けなくなってから、旅行など行こうと言い出せなくなったお猿さんも、今回が初めてとばかりに大喜び。


 沼津の実家でお昼をいただいた後、暫くみんなでいろいろ話して、それから実家を出発した。


 海はいつも見ているから、今回は中伊豆の静かでしっとりした温泉地を選んだ。


 


臣さん、ここいいかな。でも一泊が凄い高いの。

そんなことは気にしないで行こう。


 


―― だって、俺達。こうでもしないと、思いっきり休むことができないから。


 


 宿を決める時に、雅臣が心優を抱きしめながらマウスを動かして予約をしてくれたところ。

 寛大に決めてくれたようで、でも、心優は大佐殿の『思いっきり休めないから』とどこか哀愁を含めた言い方が気になったし、その意図がわかってしまったから。


 この前の任務で、心優はすごく頑張った。その骨休め、羽を伸ばすんだ。またいつ行けるかわからないだろう。だから『今』、思い切って好きなことをしよう。


 そこに『俺達はいつなにが起こるかわからない海軍人』だと突きつけられた気にもなった。


「うーーーん、すげえ開放感! 空に戦闘機なし、潮の香りなし! 非日常!!」


 あーあ、また空を指さし、コックピット気分でお猿さんになっちゃってる。でも『非日常』と満足げに伸びをしている彼を見ていたら、心優もホッとしてきた。


 スーツケースを置いて、ふかふかのシックなベッドに腰を下ろした。

 雅臣も窓を開けたまま、伊豆の山の風情を眺め、深呼吸をして空気を楽しんでいる。


「疲れたな。あちこちご挨拶でいろいろあったな」


 大佐殿が、白いシャツの襟元、黒いネクタイをシュッとほどいた。


「うん、でも。会いたい人達に会えて、結婚の報告ができてよかった。これで臣さんの奥さんになって、任務に行けるよ」


 ふと思った通りに呟いた。なのに、窓辺にいる雅臣がちょっと致し方なさそうに微笑んで首を傾げている。


 そのまま心優のそばに来て、ふかふかのベッドに雅臣も座った。そして大きな手長い腕で、心優の肩を強く抱き寄せてくれる。


「任務はなしな」

「う、うん。ごめんね。ここでは忘れようね」

「心優、やっとふたりきりだな」


 うん――と微笑むと、もう雅臣に上を向かされていた。大きな手が心優の頬をつつんで、じっとシャーマナイトの鈍色の目が優しく優しく心優をみつめている。


「心優も、ほどけよ」


 そう言いながら……。雅臣の熱い唇が心優に重なる。


「っん……」


 眼差しは優しくても、キスは優しくなかった。

 そのまま雅臣の手が、器用に心優の黒いネクタイをほどいた。ほどいたら、次は襟元のボタン、ボタンを胸元まで開けたら、一気に押し倒す! というお猿のペースに!


「や、お、臣さん……。き、来たばっかり」

「来たから、裸になるんだろう。ほら、風呂はいろ」


 手際よくシャツのボタンを開けられてしまい、タイトスカートのホックも外された。あっという間にランジェリーもめくられて、ショーツに……。脱がされると思ったら、お猿の大きな手が潜り込んでそのまま。心優のそこをいいように触りまくる男の手!


「も、もう。お、お風呂にはいるんじゃ……」

「そうだ、風呂にはいるから――。その前に――」

「う、汗、綺麗にしたいんだけど……」

「ずっと心優に触っていない俺が、そんな大人しく我慢できると思うか? 風呂の中でおもいきってしたいけどさ。いまは無理……」


 和風のベッドルームのすぐ隣のガラス戸を開けると、そこは湯気がゆらめく檜風呂。半露天で、一方の窓を全開にすると露天になる。そこでおもいっきり愛しあいたいけれど、いまはまだ任務前だからそこだけはそこだけは気をつけなくちゃいけないからと、我慢できないものはここで発散していくとお猿が急いでいる。


 雅臣の艶っぽいシャーマナイトの目が、心優の最後の羞恥心、一枚だけのショーツをゆっくりと降ろしていく。


 自分の女が、これ一枚を最後にあられもない裸になっていくのを楽しんでいる野生の猿のような顔。もう何度も見せた裸なのに、もう何度も抱かれたのに、脱がされたのに。どうしてか心優はそこでとてつもなく厭らしいことをされている、晒されている気持ちになって、頬を熱くした。


「心優は、いつまでもかわいいくていい。きっとこれからもそうだな」

「そ、そんな……。見慣れた古女房になってくんだよ……」

「どう楽しむか、俺はまだまだ心優にやらせたいこと、見せて欲しいことがいっぱいあるから大丈夫」


 え! まだなにか考えているの!? ど、どんなこと望む気?? これまでも結構、思い切ったことしてきたつもりなのに??


 そんな驚く心優を見て、また雅臣が『ほら、そういうところ、かわいんだよ』と笑っている。


「めいっぱい愛しあって帰るぞ」


 男の準備を終えた全裸のお猿が、心優にめがけてやってくる。

 綺麗になんかしなくても、わたしはお猿の汗の皮膚が好き。綺麗に洗って愛しあうなんて、そんなの本当の肌じゃないよね。わたしたちはそう……。ずっと前から、闘って滲んだ汗を分けあってきたんだから。


 静かな隠れ家に、海の匂いはない。夏草とお湯の香り。そのなかで、なにもかもを忘れて、汗の肌と皮膚をくっつけて重ねて、ずっと愛しあって。


 汗だくになって愛しあった後は、またお湯の中でお互いの肌をむさぼった。いくら綺麗に洗っても、すぐにお互いの愛撫の痕がついてしまう。


 でも、その繰り返しをする。明後日のチェックアウトまで、ずっと貪る。なにもかも忘れて――。


 わたしたちが、夫と妻になるための、時間。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 浄蓮の滝、綺麗だったなあ。

 しっとりした水飛沫が舞うしとやかな滝。青い滝壺にわさび沢。

 緑の匂いに、お湯の湿り気。なにもかも、夢みたいだった。


 気怠い身体は、くたくたに愛しあったせいだと思う。

 戻ってきた世界は、灼熱の太陽に真っ青な空、青い珊瑚礁の海、潮の匂いに、燃料の匂い。そして絶えないさざ波。


 夏の休暇を終え、心優は大佐殿と一緒に、『日常』に戻ってきた。


「あー、楽しかったな。もうちょっといたかったなあ……。今度の長期休暇はあそこみたいなところに三泊ぐらいしたい」


 そうだね……と言いながら、お猿と三泊もしたらこっちの身が持たないかもと思ってしまったけれど、心優も思う存分、あんなに愛欲に溺れた日々は初めてで、なんだか抜け出せないまま。


「心優、疲れているみたいだな」


 雅臣が心配そうにして、灼熱の太陽で一気に熱くなった心優の黒髪を撫でてくれる。


「大丈夫だよ。でも……。准将に会いたい……」


 雅臣がびっくりした顔をする。心優も自分でびっくりしている。まるでお母さんに会いたい気持ちに似ていた。


「さすが秘書官だな。この環境に置かれたら、ボスが気になる体質になるのは仕方がない」


 立派な秘書官、プロだなと雅臣が褒めてくれる。


「ま、俺も浜松で聞いたことが気になるから、石黒准将の伝言も早めに渡したいし、顔を出しておくかな」


 それに。結婚の報告もしよう――と、定期便を降りてそのまま、二人は准将室へ向かうことにした。




 二人一緒に高官棟、三階にある空部大隊本部の通路を歩いていると、事務所の隊員達に見つかってしまい『おかえりなさい!』と声をかけられた。


 でもその目線が既に『婚前ハネムーン』に出掛けた帰りとからかう目になっていたので、雅臣と一緒に照れながら『ただいま、あとでお土産渡します』と返し通り過ぎた。


 准将室の重厚な木彫りのドアはいつだって厳かで静か。いつもは心優が准将デスクのそばにいて、誰かが来たら開けていたけれど。


 雅臣がノックをする。


「お疲れ様です。雷神室の城戸です」

「ただいま帰りました。園田です」


 二人で声を張り上げると、そのドアが静かに開く。開けたのはラングラー中佐だった。


「おかえり、ミユ。どうした。出勤は明日からだろう」


 緑の瞳を見開いて、いつになく中佐が驚いている。

 その驚いているのにはわけがあった。


「なんだ、ミユも城戸君も勘がいいのかな。なにか思うところあったみたいに……」


 その瞳が翳った。その瞬間。心優は悟った。『留守の間になにかがあったんだ』と。急いで、スーツケースを准将室に入れると、心優は彼女を探した。


 デスクにいない。でもその姿はあった。彼女は応接ソファーに座っていて、男二人と向きあっている。


「心優……、どうしたの。明日からでしょう」

「あの、……お顔を見ておきたくて……」


 そのまま素直に伝えたら、彼女が嬉しそうにちょっとだけ微笑んだ。でも一瞬。彼女がいつものように優しく微笑まないのはその状況にある。そして心優はどうしてそうなっているのかわからず、彼女のそばにいけずそこで立ち止まったまま。


 何故なら――。


「ふうん、アイスドールがなんだか嬉しそうに笑ったな、今」

 眼鏡の奥からの凍った眼差しを放つ、細川連隊長がいて。

「なるほど。あなたに園田中尉が必要なのはどうしてか、いま知った気がしますよ」

 何故か。この小笠原の准将室に、若白髪の海東司令がいたからだった。


 彼等の側近もそれぞれ、上官が座っているその後ろに控えて立っている状態。

 もうこれだけで『なにかがあった』と心優は一気に夢見心地から目が覚める。

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