19.神なんかいない

『データセット完了。そちらの準備はどうかな、城戸君』

「ベルト、ヘッドともに装着完了、離艦OKです」


 了解ラジャー――と、御園大佐の声が届く。


 雅臣は再度、『コードミセス』に向かう。


 真のエースだと言われ続けたいのなら、ミラー大佐と橘大佐を越えねばならない。どんなに先輩だろうと、雷神の飛行隊長リーダーへと抜擢された経歴を持つならば、雷神ではなかった男たちを越えてこそ、抜擢してくれたミセス准将に応えられるというもの。


『カタパルトシャトル、装着完了。カタパルト発進ポッドとの確認中』


 元甲板要員である御園大佐らしく、戦闘機の足下で発艦準備をしている映像に合わせて各作業の確認をアナウンスしてくれる。


『オールOK、発進前』


 以前、御園大佐が立っていた位置、黄色ジャージをつけている甲板要員が最後のコマンドサインをコックピットへと送ってくれる。


『GO Launch!』


 海へとグッジョブサインが突き出される。が、シミュレーションのため、雅臣は敬礼は返さない。もう頭の中は、ミセスコードが起こすだろう『行動パターンの推測』に集中している。


 昨日は様子見をしていただけで、あっという間に撃墜された。やはり、こちらから『推測』をして行動を示す意志を先に位置づけるべきだと雅臣は考えている。


 一日中、考えていた。ミラー大佐も橘大佐も攻略できたのなら、どこかにその勝因となるポイントがあるはずだ。


 そう考えて、雅臣もある程度の対策は考えてきた。それを今日は実行する。


 レーダーに点が現れる。今日の雅臣はここで既に操縦桿を動かし、旋回し急降下。高度を下げる。


 向こうの強みは、どんなに上下飛行をしても体力負担がないこと。雅臣から高度変更をしたところで意味はないと思うが、それでも『動線』として行動差のロスは発生するはず。


 その『動線』で勝負する。葉月さんが素材になっているなら『動線』としての動きは、女性パイロットのデータならば『範囲が狭い』はず。少ない『動線』しか選べない飛び方をしていたはず。


 そう、所詮『データ』であって、『元は女性パイロットのデータ』というのが雅臣の結論だった。


「来たな」


 背後に、ティンクの映像を確認する。今日はそうはいかないと、雅臣はロックオン捕捉をされるまえに今度は高度を上げる。


 お得意のハイレートクライム、鋭角急上昇。背後を確認すると、向こうも体力負担はないはずなのに追いかけてこない。


「やっぱり。葉月さんの元々のデータだと、相手の急上昇にはついてこられるパターンは打ち出せないようだな」


 確信した。向こうから追いついた場合はロックオンをされる。だが、こちらから先手を打って振りきれば、追いかけてこられない。そこがコードミセスの……。


『油断しすぎだ』


 御園大佐の冷めた声で雅臣はハッとする。また背後に彼女がいた。


 俺の読み、合っていなかった!? 再度、愕然とした。コックピットにロックオン捕捉をされる前の警報音。振りきろうと急降下を試みる。今度はぴったりとくっついて、向こうも急降下についてくる。


 どうしてだ! また昨日と同じ。少しは逃げ切れても、ぴったりとマークされ真上からロックオン。同じ結果を迎える……。


 また真っ赤に点滅する撃墜後のコックピットで雅臣は項垂れた。


『どうする。今日も一旦、』

「いえ、もう一度お願いします」

『了解。……昨日より、五分逃げ延びたな』


 御園大佐はそれだけでも進歩だと慰めてくれているようだが、いまはまた、雅臣ははらわたが煮えくりかえるほどに悔しがっている。


 でも、なにかが見えた。俺の読みは間違っていないはず。向こうにパターンの尻尾を掴まれたらお終いだ。逃げ切って、背後をつく。それしかない。


 それでも。この日も連戦で、二時間後、雅臣はチェンジのコックピットから降りる。


 チェンジ機のコックピットから出ると、御園大佐がドアの前で待ちかまえてくれていた。


「お疲れさん」


 汗をかいている雅臣に、冷えたスポーツ飲料を差し出してくれる。


「ありがとうございます」


 そこで雅臣はやっと微笑んで、有り難く受け取った。


「あのさ、……言ってもいいかな」


 御園大佐がなにか言いにくそうに、でも言わずにはいられないという戸惑いで雅臣を見つめている。


「なんでしょうか」

「いや、エースというものがなにか、今回初めて身に沁みている」

「そうなのですか? あんなに惨敗なのに?」


「惨敗? バケモノデータと言われているコードミセスと徐々に互角になってきたのに? 対戦を始めたのは昨日の今日だぞ。もう城戸君は、どうすればいいか読みきっていたじゃないか。ミラー大佐でも二日目でもこれほどではなかった」


 どこが互角だ。彼女にロックオンされてばかり、まったくもって有利にならない。


 それでも御園大佐はどこか感激したようにして、雅臣を光る眼差しで見つめ続けている。


「うちの葉月は、姉を奪われヴァイオリンを奪われ、胸を刺されコックピットを降りることになった事実がある以上、『神なんかいない』といつも言う。そうかな。俺も神が救うとかいないとか大袈裟なことは元より思わない。それでも、人生に神のような希望も光もないなんて思いたくはない」


 なんの話をしようとしているのだろう、しかも葉月さんが傷ついている話になると、雅臣はわけもなく緊張する。夫の御園大佐も当事者でもある。


 その御園大佐が今度は躊躇なく、雅臣に告げた。


「俺も今日、神なんかいない――と思った。いるなら、これだけの素質があるエースをコックピットから降ろす事実なんか生まれないはずだ」


「あの……」


 そう言われても。いや、雅臣自身もずっと思ってきたことだ。『俺にエースの素質が誰よりもあるのなら、どうして俺の足を粉々にしたのだ』と。


「惜しい、本当に惜しい。どうしてこれほどのエースに……、事故なんて……」


 雅臣はここでギョッとした。あの御園大佐が眼鏡の奥で、涙を浮かべてくれていたからだ。


「御園大佐、やめてください。そんな……。確かに俺も事故後しばらくは苦しかったですよ。でも、いまは、あの時があったからこその、いまの俺だって思っていますから」


「わかっている。そういうのは、俺も、葉月を見てきたから。わかっている。それでも、言わせて欲しい。本当に素質がある男に神は宿るべきだったと――」


 それは雅臣にとっては最高の賛辞ではある。そして、やるせなさをつきつけられる瞬間でもある。そういう複雑な気持ちを抱くため、人々は雅臣からそれらをほのめかす言葉を避ける。


 でも今日は、あの御園大佐が泣いてくれている。俺の素質を知って、惜しんでくれている。


「嬉しいです。御園大佐にそこまでして泣いて頂けるだなんて。俺はもう惜しくはないです」


「久々の『うっかり』だ。これオフレコな。誰にも言うなよ」


「ですよねえ。御園大佐が男泣きしてくれたなんて、皆がびっくりしますよね」


「それ、口止めだからな」


 スポーツドリンクを指さされ、雅臣は『これっぽっちの口止め?』と逆に笑い飛ばした。


 そして、雅臣はそんな御園大佐が二度と感傷的にならないよう、堂々と言い放つ。


「俺のいまのこのセンスが役に立つなら、これをすべて英太にぶつけようと思っています」


 それが俺のこれからの役どころ。エースがエースを育てる。いま雅臣はそこに胸を躍らせているのだから。

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