11.お嫁さんはのけもの


「心優、それって……。雅臣と事故に遭った同級生のご実家を訪ねるという意味? 雅臣が言いだしたの?」

「はい、准将。きっと何年もそうしたかったんだと思います」

「健一郎君に……」


 その名を心優も初めて聞く。雅臣の親友で、雅臣を道連れに死のうとした男の名を。


 ふたりの女性が黙り込んでしまった。

 准将の前にティーカップを置くと、彼女が心優に言う。


「有り難う、心優。あなたも雅臣と双子ちゃんと一緒に食事をしてきなさい」


 すぐに返事はできなかった。どうして? わたしもお二人がなにを話すか聞きたいよ……。そう思っていたのに。アサ子母と自分こそが、じっくり話し合うべき関係だろうに。まさかの人払いにされてしまう。


「これから雅臣と一緒に働いていくために、お母様とお話ししておきたいことがあるの」


 彼の上司とその母親として――ということらしい。

 この准将室で心優は彼女の命には逆らえるはずもない。それに、城戸一家のために、土下座までしてくれた人だ。


「かしこまりました。カフェに行って参ります」


 一人の側近として従った。


 まさかのお母様との初対面が、仕事の姿を捨てきれない場でのものになってしまった。お洒落をして、きちんとした女らしいお嫁さんらしいご挨拶したかったな……。


 しかもアサ子お母さん、葉月さんともっと話したそうにしている。わたしじゃなくて、葉月さんのほう。


 なかなか上手くいかないなあと心優はその素振りを隠して、准将室を後にした。




 その後、カフェで雅臣と双子が豪快な食事をしているのを見つけたが、もう既に人に囲まれていた。業務が終了して人もまばらなはずの夜のカフェテリアなのに。それだけの隊員達でさえも、お猿男子は惹きつけている。


 基地ではみんな大好きソニックと、ソニックを初々しくしたようなそっくりな男の子が、これまた瓜二つでふたりもいれば目立つに決まっている。


 女の子達は『かわいい』と持て囃し、男性達は『そっくりだね』とお猿叔父さんとお猿甥っ子を取り巻いている。


 それを見て、心優はやっぱり……。一人になりたい気分になってしまい、そのままそっとカフェを後にした。


 准将室近くの休憩ブース。今度は暗がりのなか、一人でひっそりカップコーヒーを飲んで時間を潰した。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 翌日の朝。雅臣もアサ子母も双子も揃って『就業時間開始に、准将室に集合』という指示を出されていた。


 海野准将と細川連隊長が下した判断を伝えるとのことだった。

 どのように対処されるのか、心優も緊張している。


 綺麗に掃除したばかりの朝の准将室は、今日も爽やかな風と太陽の光が降りそそぎ輝いている。


 そこへ雅臣が、宿から基地へとやってきた母親と双子を連れてくる。


 昨夜、官舎に帰ると雅臣はぐったりしていて口数少なかった。

 心優もなにを話していいかわからなくなり、淡々と家事をして寝る準備をした。


 ベッドでもふたりは無言で……。背を向け合って寝た。

 心優が少しまどろんできた頃。やっと雅臣が背中から抱きついてきた。でも、それだけ……。心優もそのまま応えずに眠ってしまったようだった。


 

 おはようございます。御園准将、園田中尉。

 昨日とは打って変わって、礼儀正しく凛々しい顔つきを整えた双子が、お祖母ちゃんと雅臣叔父さんと一緒に准将室にやってきた。


「あなたたち、よく眠れた? いまだとカエルの鳴き声がうるさいでしょう。島民は慣れているけれど」


「大丈夫でした」

「祖母ちゃんのいびきも聞こえませんでした」


 またやんちゃな双子に戻っているし、ゴリ母さんもしかめっ面で『いい加減なこと言うな』と威勢の良いものいいにもどっていた。


「さて。いまからこの基地の偉い人が『昨日のことをどうするか』という結論を伝えに来るので、大人しく待っているように」


 准将の冷たい目つきは、すでに業務に携わるものになっていた。もう未成年の男の子でも容赦しないということらしい。


 しかし双子も同じなのか。お祖母ちゃんとひと晩過ごす内になにか諭されたのか。叔父さん顔負けの男前フェイスでキリッとした表情で、落ち着いて頷いていた。彼等もどのような結果でも受け止め従うという覚悟のようだった。


「しかし残念ね。昨日のことがなければ、空母艦の訓練をみせてあげたかったのに」


「大丈夫です。俺達、そんな資格はいまはないと思いました」

「今日の結果でもうその機会もなくなるかもしれないけれど、もし大丈夫だった時はまたの機会によろしくお願いします」


 准将が初めて気の毒そうに双子を眺めた。


「パイロットの夢は諦めたの」


 双子が黙ってしまう。でもふたりで顔を見合わせ――。


「いままでも落ち着きないことをして、親に祖父母に叔父に迷惑をかけてきました」

「それが今回の結果だと受け入れるつもりです」


 これは……。心優は唸った。これはアサ子母が諭したんだな、ここまで納得させたんだと察した。やっぱりアサ子母は『ボス母ちゃん』だったと心優は思う。


 あのやんちゃな双子をこうして上手く宥められる。だから雅臣が双子が暴走していると知って『祖母ちゃんに連絡する』と言ったのだと。


 逆に言えば、母親の手に余っているということにもなるのだけれど?


「大丈夫よ。きっと海野准将がなんとかしてくれるはずよ」


 准将が覚悟を決めた十七歳の子をみて、安心させようと微笑んだりしている。


 だが雅臣はひとり落ち着かないのか、母親と双子が座っているソファーの周りをうろうろとしていた。


 そんな中、准将室のドアからノックの音。


「おはようございます。皆様、お待ちでござい……ま、す……」


 ドアを開けた心優はギョッとする。そこに、細川連隊長が側近の水沢中佐と一緒に来たのはもちろんだったが、その後ろに眼鏡の大佐、御園大佐がにっこりと付き添っていたからだ。


 え、海野准将と一緒ではなく? どうして御園大佐が一緒? しかもなんだか楽しそうに微笑んでいて、怪しい空気をすでに朦々と垂れ流しているように心優には見えてしまうし……。


「おはよう、園田中尉。昨日はご苦労様だったな」

「恐れ入ります、細川連隊長」


 そんな心優を細川正義氏が気の毒そうに見下ろし、溜め息をひとつ。


「なんだか大変そうだな……」


 なにが大変なのか察してくれていたので、心優はちょっと頬を染めてしまう。結婚する前に、親戚になる夫の実家がこんなに騒々しいことになって、お嫁さんとして大変そうだな――と言われたのだ。


「では。邪魔をする。悪いが福留のコーヒーをご馳走になりたい」

「もちろんでございます。すでに福留少佐も連隊長が来られると知り、ご自分から一杯を差し上げたいと準備をしております」


 それを聞いただけで、あの冷徹な眼鏡の奥の切れ長の目がわずかに緩んだ。


「うん。頼む」


 もう、以前、福留さんを挟んでミセス准将と細川連隊長の間でこれまたひと揉めあったとか。ラングラー中佐に聞くと『珈琲の取り合いみたいなもんだった』なんて冗談で言い返されたが、まだ詳しいことは心優も知らない。


「連隊長、おはようございます。こちらまで、来てくださって有り難うございます」


 御園准将も昨夜の騒ぎのこともあり、今日は丁寧におしとやかな雰囲気で連隊長に挨拶をする程。


「福留のコーヒーがなければ、来るか。おまえの匂いで充満していてむせかえって困る」


 相変わらずの厳しい言い方。切れ長の目から放たれる恐ろしい目つきに、冷たい銀縁の眼鏡の男性がこれまた冷たく言い放ったので、そこにいた城戸一家がびっくりしたのかピキンと固まったのがわかるほど。


「もうしわけありません……。もう少し窓を開けますわね」


 准将の女の匂いが満ちているのは、この部屋の特徴。花と柑橘の不思議な香り……。


「そんなことはしなくていい。いつだったかおまえがいつもと違う匂いがしたが、あれはもうやめてくれ。准将室はこの匂いだけにしておけ。ったく、基地の中でここだけ匂いが違うとはどういうことだ」


「え、あの……」


 意地悪な言い方をするくせに、結局はその『匂い』をきちんと知っていて、なおかつ『これがおまえの匂い、それ以外はやめておけ』なんて、けっこう横暴な言い方をしつつも、気に入っているんじゃないかと心優は感じた。


 ほんとうに、女の匂い嗅ぎ取っておいて、素直じゃないんだから――と、同じ女として、もうちょっとその扱いなんとかならないのと思うことが、この連隊長には多いから困ってしまう。


 でもなんだかんだ言って。福留少佐のコーヒーも飲みたいし、葉月さんの部屋にちょっとした安らぎでも感じているんじゃないかと思うこの頃。この基地にいれば、細川氏にとっていちばんシビアな現場は連隊長室。そこを抜け出して、ここで妹分を苛めながらもちょっと違う空気を持っているミセス准将室がお気に入りなんじゃないかと最近は思ってしまう。


 ようやく連隊長がソファーで待ちかまえている城戸一家へと目線を馳せた。


 この基地のトップであって隊長。その男の視線は、やんちゃな双子も凍り付いているほど。


「初めまして。城戸の母でございます」


 そんな中でアサ子母は落ち着いていた。どーんとした体型に、シックな黒いスーツ姿。でも白金髪のどっしり母ちゃん。なのに連隊長は驚きもしないし、動じる素振りもない。


「城戸大佐のお母様でございますね。初めまして、小笠原総合基地にて連隊長をしております細川と申します。遠いところから急いで来てくださったとのこと、ご苦労様でございました」


「とんでもないことです。孫だけならともかく保護者であるべき私の粗相にて、多大なる迷惑をかけました。ほんとうにお詫びのしようがありません」


「だいたいのことは海野から報告を受けております。いまから、そのことについてお話し致しますので、どうぞおかけください」


 さすがに外からの訪問者、ましてや一般市民には連隊長も丁寧に接する。


 水沢中佐が、緊張している双子の側に行き『君たちも座りなさい』と優しく促して、緊張をほぐそうとしている。そういうフォローはやっぱり主席側近様だなあと心優は尊敬してしまう。


「そちらがソニックの双子か。昨日、ランチが終わった頃に水沢から報告を受け、ソニックにそっくりな双子だと聞いて、もう見たくて見たくてたまらなかった。ほんとうにそっくりだ」


 あの連隊長が楽しそうににっこりと笑った。そのせいか双子もちょっと笑顔を浮かべることができたようだ。


「初めまして、連隊長さん。城戸雅臣の甥で、城戸雅幸です」

「弟の、雅直です。昨日は大変なご迷惑を何度もかけてしまいました」


 双子は挨拶をすると、ふたりで顔を見合わせ、揃っておもいっきり頭を下げた。


「ほんとうに、申し訳ありませんでした! どんな処分も受けます!」


 揃えたお詫びが准将室に響き渡る。

 そんな双子を、あの細川連隊長が微笑ましいとばかりににっこりとみつめていたので、逆に心優はゾッとしてしまう。


「そうだな。おじさんの考えた処分を受けてもらおうと思う。覚悟はできているだろうな。なんでも受けてくれるだろう?」


 うわー、やっぱりこの連隊長、ただで終わらせないつもりだと心優の心臓がどきどきしてくる。汗も滲み出てくる。


 雅臣も気がついたのか、彼はすでに青ざめていた。

 連隊長が考えた処分とはなに!?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る