10.心優の天性

 これから五歳児と一緒だと思うことにする。

 御園准将が隊長室に戻るなり、ふっと呟いたひと言だった。


 ようやく御園准将室にお客様が揃った。

 時間は既に二十時。空は群青の星空。なのにまだ、ひっそりと闇に輝くアクアマリンの海が窓辺に見える。


「心優。お母様にお茶を差し上げて」

「はい、准将」


 心優はやっと腰を落ち着かすことができたアサ子母さんに微笑む。


「お母様、何がお好みですか」

「いいえ、なにも……」


 来るなり盛大な迷惑をかけてしまったことを気に病んでいる様子だった。


 雅臣と双子も一緒だったが、いつもはきっと頼もしいお母さんだろうに、そんな様子なので彼等もしゅんとしている。


 城戸ファミリーを見かねたのか、准将席で様子を窺っていた御園准将が引き出しを開けた。


「雅臣。双子君をつれて、カフェテリアで食事でもしてきなさい。これ、食券。ご馳走するから」


 准将が買い置きをしているプリペイドカードを差し出した。


「いいえ。自分が食べさせます」

「いいから。うちの人が変に『まとめ買い』なんてして余っているの」

「ですがそれなら換金……」

「めんどうくさいの、使ってきて」


 ようやっと『いただきます』と准将からそれを受け取った。

 しかし双子もあのおおらさかをなくして、元気がなかった。彼等も食事どころではなくなったのかもしれない。


「ちゃんと食べないと、この島では深夜までやっているお店はほとんどないわよ。しっかり食べてきなさいよ。夜中になって『お腹すいた。外に何か売っていないかな』なんて浜松気分で宿を抜け出して、今度は島内で迷子なんて――あなた達ならやりそうで、もう……」


 准将のその予測、すでにリアルな予知のようで心優もありえそうと思ってしまった。


「基地の食事はおいしいわよ。横須賀と違って、アメリカ寄りのメニューだから叔父様にいろいろ教えてもらって、楽しんできなさい。しっかり食べなかったら許さないから」


 自分たちのために土下座までしてくれた将軍様。もう双子は御園准将がいうことには頭が上がらないようで『はい!』といい返事。


「有り難うございます。では、甥と食事に行って参ります」

「ゆっくりでいいわよ。お母様をお借りしますね、城戸大佐」

「母をよろしくお願い致します」


 息子と孫が出て行き、准将室は女三人だけになる。


「心優、紅茶をお願いね」


 アサ子母さんがなにもいわないので、准将から飲み物の指示。心優も頷いて、二人分のお茶を準備する。


「お母様、あまり気になさらないでください」


 アサ子母の目の前に、御園准将が腰をかける。向きあってもゴリ母さんは首を振ってうつむいたままだった。


 もっと元気で豪快で震え上がるほどの威圧感のお母さんだろうと構えていた心優だったが、かえって気の毒になるぐらい静かなお母さんだった。


「私が処分されるかもしれないと気にされているのですか」

「当然です。双子だけならまだしも、祖母である私が余計に騒ぎにしたようなものです」


「そんなに心配されても。私なんか、いつだって問題児ですからね。十三歳で入隊しましたが、訓練校で男の子と取っ組み合いの喧嘩をして謹慎になったこともありますし、大人になっても問題ばっかり起こしやがってと――先ほどの同期生である海野にも、夫の大佐にも『じゃじゃ馬』と言われ、そしてここの連隊長お兄様なんかも『甘ったれ嬢ちゃん』と言い続け、私が暴走しないよう常に意地悪なことばかりするぐらいですからね」


 自分から『問題児』といいのけたので、さすがのアサ子母もきょとんとしてしまっていた。


「葉月さん、あなたって……」


「すっごい問題児で、訓練校生だった当時に大佐だった父にも、中将だった祖父にもこっぴどく叱られる日々でしたね。それでも私なりに闘っている立ち向かっているものがあったのです。ある日、祖父に言われました。結果が良ければ規則違反も認められるなどと規則の意味をはき違えている者は、いつか自分以上に人を傷つける。なにかを倒したいなら、正当な姿で叩きつぶせ――と諭され、それからは男をやっつける時は喧嘩ではない方法を選ぶようにしました。そういう私がいまや准将です。双子ちゃん達がうっかり滑走路警備隊に捕まっちゃったぐらいのこと、なんでもありませんわよ」


 もう~、葉月さんったら――と、心優までもが唖然としてしまった。もちろんアサ子母も呆気にとられていた。


「あはは! そりゃあ、あんな土下座どうってないてわけなんだね!」


「そういうことです。双子ちゃんがやらかしたくらいでは、隊長など務まりません。とんでもない悪ガキ相手ならいままで散々してきたのです」


「いわれれば、そうだ! 悪ガキのやることにビビっていたら、ここまで務まるわけないよね!」


 なんだか砕けた口調になってしまったアサ子母に、心優は目が点になる。


 それに、アサ子母が来る前から感じていた、御園准将がどこか尊敬の念をもって雅臣の母の訪問を待ちかまえていたこと。どうも、既にふたりの間には『女同士の絆』があるように心優には見える。


「やっと、お母様らしくなっていただけましたね。ほっと致しました。初めてお会いした時も、そうして笑い飛ばして……、私のことも励ましてくださいました。ご子息があのようなことになって辛いのはお母様でしたのに……」


 さすがにアサ子お母さんも、雅臣が事故に遭ってパイロットとして飛べなくなった出来事を思い出すのは辛いらしく、また暗い顔に戻ってしまった。


「雅臣さんも、子供時代はあのようにやんちゃだったのですか」


 准将の問いに、アサ子母がやっとそれらしい微笑みを浮かべた。


「いえ。雅臣は聞き分けのよい子でした。手間がかからなくて。やんちゃで手を焼いたのは姉の方です」


 うわー、お義姉様のほうがやんちゃ? そりゃあ、あの双子のママだもんね――と、心優にまた不安が襲ってくる。


「そうでしたか。ですが確かに。雅臣さんが所属していた横須賀のマリンスワロー飛行隊は『悪ガキパイロット』という異名を持っています。そこの隊長だった橘大佐もそうでしたし、雷神にと引き抜いた鈴木英太少佐もスワローから引き取ったものの、それはもう手のつけようがない悪ガキで……。ですが雅臣さんはその悪ガキスワローの中では優等生といわれていましたね」


 だけれど、そこで御園准将はひと息ついて、言い直した。


「人当たりも良く愛嬌もある優等生なんですけれど――。でも戦闘機では、その悪ガキ達を凌駕する野性的なパワーを発揮します。あれは天性ですね。お母様とお父様から引き継がれたものだと、つくづく感じることが多かったです」


 お茶を入れながら聞いていた心優だったが、御園准将は心優がまだ見ぬ婚約者の母親を既に念頭に置いた上で、雅臣のゴリラDNA的フライトを実感していたのだと初めて知り驚いていた。


「有り難うございます。まさか息子が戦闘機パイロットになるとは思ってもいませんでした。また、エースなどという地位も得られるとは……。ですが、自分のやれること、やりたいことを見つけて生き生きしている雅臣を見ることができたのは、母親として喜ばしいことでした。それが……」


 事故に遭い、失い、絶望する息子を見る羽目になった。アサ子お母さんも、そこは辛くて言葉にできないようだった。


「その雅臣がしばらくは向きあうことも辛かったようで、秘書官として収まっていたところ、また、息子が密かに望んでいた空部隊の仕事に携われるようにしてくださって有り難うございました。御園准将には本当になにからなにまでお世話になりまして、頭が上がりません」


 その通りに、アサ子母は頭を下げたままになってしまう。


「私ではありませんよ。お母様」


 御園准将はそういうと、紅茶葉が開くのを待っている心優を見た。


「園田です。園田が私のところに来て、雅臣さんが『戻りたい、戻れるかもしれない』という素振りを見せてくれていたことを教えてくれたからです」


「いえ、わたしは……。上司だった雅臣さんと話したことを伝えただけで。あとは」


 『小笠原の連絡船に乗っても、もう大丈夫だと思う』。そう呟いた雅臣のひと言をちょこっと漏らしただけのこと。後のことは、御園准将が素早く手配したから雅臣が戻ってこられたのだから。


「いいえ。心優が雅臣の気持ちに大事に大事に接したからこそ、彼から出てきたひとことでしょう。それを届けてくれたのよ。そうでなければ……。私と雅臣はまだ仲違いをしたまま。このまま後継者を得ることなく、まだまだ私は空母から離れられなかったと思うの」


 准将がいつになく眼差しを伏せた。その顔はミセス准将ではなく、一人の女性先輩としての顔に見えた。


 その変化にアサ子母も気がついた。


「葉月さん。浜松まで息子を見舞いにきてくださって、病院を出られる時に話したことを覚えておりますか」


「はい。忘れておりません」


「なのに。葉月さんは……。苦しく厳しい選択をしてくださったと思っております。気に病まないでください」


 あのミセス准将がいまにも泣きそうな顔で首を振り、アサ子母さんの言葉を受け入れようとしなかった。


「お母様があのようにおっしゃってくださったので決断ができました。遠回りでしたがソニックは信じていたとおりのエースのまま、空に帰ってきてくれました」


 アサ子お母さんは、見舞いに来たミセス准将になんと言ったのだろう? とても気になった。


 雅臣の母親と直属の女性上司。ある意味、雅臣にとって公私ともにいちばんの身内とも言えるその女二人の間で、だいぶ前に交わされたなにかがあるようだった。


 心優には見えている。この二人はおそらく一度しか会ったことがなかっただろうに。その日、一瞬で女同士で通じた何かがあったのだ。


 だからアサ子母は葉月さんと呼んで彼女の立場を気遣い、御園准将は雅臣のお母様として母親の心情を思いやる。


 アサ子母と初対面であって、これからはずっと身内となる心優だが、既に出来上がっている絆をみてしまいちょっと羨ましくなる。葉月さんは、こういうところがある。初対面の人とあっという間に絆が芽生えるなにかを持っている人。この人も天性だった。


 普通の平凡なボサ子にはそんな能力も天性もないから……。また心優は自信をなくしてしまう。


「それから、心優さん。ほんとうに有り難う。心から感謝しているよ」


 ちょっと落ち込んだ気持ちになっていた心優へと、アサ子母が急に微笑みかけてきた。男前の顔つきで、お猿の愛嬌スマイル。ほんとうに雅臣にそっくりで、心優はそれだけでドキドキして頬が熱くなる。


「雅臣からも聞かされているけれど、心優さんがいなかったら自分は葉月さんのところへ帰ることもなかっただろうと――」


「いいえ。むしろ、いちばん辛く気にされていることに、土足で踏み込むようなことをして傷つけたことも事実なのです」


「いいや……、私もわかるよ。心優さんの勇気が……。さっき、滑走路に飛び出してしまった双子を追いかけようとした私を全力で、全身で、必死に止めてくれただろう。しかも心優さん自身が処分を受ける覚悟で双子を私達の代わりに追いかけようとしてくれた。雅臣のことを思ってのあの行動は忘れないよ」


「いえ、あの……。必死で……」


 初対面のお姑さんだったのに、生意気なことを叫んでいたような気がして、心優はいまなって恥ずかしくなってくる。


「お母様。私も園田に助けてもらったことがあって……。それで彼女を横須賀から引き抜きました。園田が来てくれたからこそ、城戸大佐を取り戻すことができました。彼女はいざというときに素晴らしい判断をし、瞬時に動くことができる『天性』が備わっています」


 それが『心優の天性』? 初めて言われ、しかもミセス准将に言われ、さらにお姑さんを前にそう言ってくれ、心優は感動で泣きそうになってしまった。


「そのような素晴らしい女性が、あの雅臣のお嫁さんになってくれると聞いて――。そうだね……、もう浜松で会わなくて良くなった気がします。もう充分、心優さんの良さを実感することができました」


 そんなアサ子お母さんが、あの素敵なお猿スマイルで紅茶を持ってきた心優を見上げてくれる。


「心優さん。雅臣の実家はこのように騒々しい家族です。充分知ることが出来たと思います。貴重なお休みでしょう。もう雅臣とゆっくり過ごす時間として使ってもらってもいいんだよ。来年、結婚式を前にまた挨拶をする機会もあるでしょう」


 トレイに乗せたティーカップを置く前に、心優は呆然とする。

 もう浜松に来なくてもいいと言われたからだ。もちろん、まだ会わぬ雅臣の父に姉に挨拶するのは緊張する。しかしボスぽいお母さんが『充分わかった。家族に伝えておくから、結婚式前に会いましょう』と気遣ってくれていることもわかっている。


 だが、心優にも心優の事情がある。神妙な面持ちのまま、心優はカーペットの床に跪き、ソファーに座るアサ子母の前に、ティーカップを静かに置いた。


「有り難うございます。ですが、浜松には他の意味でも今回は訪ねたいことがあります」


 他の意味? アサ子お母さんだけでなく、ミセス准将も首を傾げている。そんなお母さん達に、心優はそっと告げる。


「雅臣さんは、亡くなった友人に会いたいと強く願っています。それをさせてあげたい、また艦に乗る前に。その気持ちの整理をしたいという雅臣さんに付き添いたく思っております」


 初めての報告に、アサ子母も御園准将も非常に驚いた顔を揃えた。



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