2.ミセス准将、内密に来る

やだ。フランク大尉ったら本気よ。

そりゃ、悔しいだろ。フロリダの特殊訓練校でエリートクラスの腕前なんだから。

それだけ、園田中尉が凄いって事だろ。


 そうして彼等が最後に口を揃えた。『空母艦で傭兵を制圧したって噂。きっと本当だ』と。


「園田もやめろ!」


 また道場から護衛部部長中佐の怒声が響いた。


「雅臣。心優ちゃんって……マジ、すげえな。俺、鳥肌立ってる」


 ついに橘大佐も茫然として見入っている。


 そこには、ロッドを床に放った心優がいた。ロッドを無くして素手で攻撃を繰り出してくる海兵王子の攻め手を、彼女も素手で綺麗に受け弾き飛ばしている。

 ハッ、ヤア! 

 彼女の澄んだ気合いが道場に響く。その姿は本当に『空手を極めた達人』の姿だった。


 しかも、最後に彼女がフランク大尉の懐に入ってしまい、最後は兄直伝の柔道技で浮き落とし。ついにフランク大尉を床に沈めてしまった。


 道場だけではなく、いつのまにか集まっていた廊下のギャラリーもわっと湧いた。


「うおお、すげえ! さすが、心優ちゃん!」


 メダル候補だっただけあると、さすがの橘大佐も拍手喝采だった。

 勝負あり。だが、護衛部長がそこで吼えた。


「両成敗、ノーカウント!」


 床から起きあがったフランク大尉の不機嫌そうな顔。そして心優は自分が熱くなっていたことに我に返ったのか、申し訳なさそうに俯いている。


「二人とも、そこに正座だ」


 護衛部中佐の表情が強ばっている。

 心優も訓練のルールに従わずに、最後まで勝負を押し通した間違いをわかってか神妙に床に正座をした。

 だがフランク大尉はふてぶてしく、ただ膝を折り曲げて抱えるという座り方。


「大尉、正座だと言っているだろう」

「フランス人だから、わかりません」


 国籍はアメリカ人になっているはずなのに、出生はフランスということは誰もが密かに知っていることを、彼がここで不機嫌そうに口にした。

 その態度にも、護衛部中佐はイラッとした様子を見せたが、そこは上官。顔を真っ赤にする前にご自分の呼吸を整え、落ち着いてトラ猫王子に向かおうとしている。


「そうか。では、『お隣の、日本人のお姉さんと同じ座り方をしてくれるかな』、アメリカのお坊ちゃん」


 さらに、なにもかもお見通しの中佐が付け加える。


「なんなら。優しい日本のお姉さんに、手取り足取り正座を指導してもらうかね。園田、教えてやれ」


 心優が『え?』と戸惑った顔になる。

 だが雅臣は護衛部部長のやり口に、大佐として唸る。

 うまいな。トラ猫王子のなにが弱いって。対等で組み手をするほどの技と実力と度胸をもっている『日本のお姉さん』のことは認めざる得ないし、認めている。そんな彼女より勇ましい男でありたい。なのに『日本のお姉さんに教えてもらいな』と子供扱いをされた。そのうえ、そのお姉さんの手を借りて面倒を見てもらえとまでやられている。


「あの部長。シドが心優ちゃんをものすごい意識しているって掴んでいるな」


 橘大佐も、あのフロリダ大将養子のお坊ちゃんの何が弱いかを上手く使う上官の腕前に感嘆としている。

 それが効いたのか、シドがようやく悔しそうに正座をした。


「訓練が終わるまでそのままだ。本日は組み手は禁止。ここではあくまで、身体を温存し、いつでも上官のために動けるように訓練するための時間と場所だ。実力を見せつける場所ではない」


 そこで二人が正座で手をついて、申し訳ありませんでしたと揃って頭を下げた。


 ここらにある空気を、手合わせをしていた二人が一気にかっさらっていたのに、二人揃ってお仕置きをされ正座にて静かになると、その空気も霧散する。


 すごかったー。見応えあったな。


 ギャラリーだった隊員達も散っていった。人が多かったためか、そこに園田中尉の婚約者である雅臣がいたことに気が付いた者は少ない。


「行きましょう、橘大佐」

「お、おう。そうだな」


 妻になる彼女が活躍していたり、またはちょっと熱くなってトラ猫王子と羽目を外してしまった場面に出くわしても、まったく動じていない雅臣が橘大佐には意外だったようだ。


 だがそこで橘大佐がひとこと。


「雅臣。シドには気をつけておけよ。いまのところ、いい男の顔でおりこうさんにして心優ちゃんの弟分みたいにしているが、これから先わからないからな」


 言われたくないことを、考えたくないことを言われた。


「わかっています」


 感情を宿さない声に努め、雅臣は淡々と返答する。

 でもきっと。心優が訓練で必要としているのは、対等になれる腕前を持っているフランク大尉、トラ猫王子しかいないだろう。


 それを彼女から奪おうとは思っていない。でも、心優はほんの少し、彼のために心に隙をつくって受け入れているのも本当のこと。そこは案じているが、いまは考えないようにしている。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 空部隊本部指揮官班 雷神室という、雷神指揮官専用の事務所をミセス准将が作ってくれ、雅臣はいまそこで元々の上司で隊長だった橘大佐と一緒にいる。


 大佐二人の部屋で、当然、先輩の橘大佐が室長を任命され、雅臣の他は、サポートをしてくれる男性事務官が二人いる。彼等に事務業務を任せ、雅臣は始終甲板にいるか、データ室で映像を眺めてパイロットと個別に面談をしたり指導をしたり、自分もデーターを眺めて対策を考えたりしている。


 とにかく、願っていた『空と飛行機一色』の日々を送っていた。

 今日もデータ室で演習訓練の映像を眺め、一戦一戦のドッグファイトを分析中。

 

 男ばかりの匂いがこもっているデータ室。なのに、ふわっと花の匂いが鼻をかすめる。


「お疲れ様、大佐」


 訓練映像を閲覧できるパソコンデスクの並び、雅臣の席の隣に、栗毛の女性が座った。


「お疲れ様です、准将」


 制服姿だとしっとりと落ち着いた優雅な女性の佇まい、そんな雅臣の上官が現れた。


「今日の訓練のデータがあがったと聞いたから、今日は直接こちらに確かめに来てみたの」

「いまからデータを確認してお届けしようとしていたところです。お待たせしてしまいましたか」

「ううん。そういうことではないのよ」


 彼女が笑む。だが、その笑みは微々たるもの。それでも毎日一緒にいると、それだけでも彼女が心を和らげて微笑んでくれているのだとわかるようになる。


 そして雅臣は、ミセス准将が現れたならば彼女もいるはずと、ふいにミセスが来たデータファイルの通路へと振り返ったのだが。


「心優は連れてきていないの。テッドと一緒に会議に行かせたわ。それも側近として上層部がどう動こうとしているか予測を立てる経験だと思ってね。いま、私一人よ」

「お一人でよろしいのですか。常に護衛官か側近をお供に付けるべきです。たとえ、ここが隣の部屋でもです」

「もちろんよ。その方が私が安心できるということは、雅臣ももう良くわかっているでしょう。最近は心優がそばにいないと落ち着かないのは私の方よ」


 航海任務から帰還後、ミセス准将は勲章を授与したほどの女性護衛官を常にそばに置くようになり、基地でもその姿が常となり、ミセス准将には園田中尉とまで言われるようになっていた。


「今日は、雅臣と二人で話したいことがあって、それで心優を外したの」


 そばに置いている心優をどこかへと行かせてまで、俺と話したいこととは? 雅臣は緊張する。


 花の匂いを漂わせるこの人は、憧れでもあって、そしてどこか緊張してしまう上官でもあった。常に構えてなくてはならなくて、でも、彼女と仕事ができる充足感を味わうととてつもない喜びを感じる。


 その彼女が二人きりで話したいと、雅臣のところにすっと一人で訪ねてきただけで、なにを言われるのか、彼女がなにをやろうとしているのかと、心臓の鼓動が早まって落ち着かなくなる。

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