3.女性が結婚するということは……

「護衛部の部長から、私宛に問い合わせがあってね」


 ミセス准将は、データ変換を担当している隊員がいるデスク群へとちらりと目線を向けて気にしている。彼等になにを話しているか悟られないためか、彼女も訓練映像を閲覧できる状態にしようとマウスを握って動画を立ち上げ、閲覧しているふりをしている。だから雅臣も同じようにマウスを握って見ているふりをする。


「本人に直接聞くことはセクハラになるような気もするし、かといって、雅臣に聞くのも中佐の自分では憚るので、どうしたものかと、私に連絡してきたの」

「もしかして。心優がフランク大尉との手合わせで、やりすぎることですか」

「まあ、それもあるわね。シドにはシドの訓練する時間と場所があるのに、どうしても園田中尉という空手家とも手合わせをしたいとしつこく希望したらしいの。でも、確かに心優の空手と柔道の実力はこの基地ではトップクラスだもの。シドではなくても『指導してほしい、手合わせをして欲しい』と希望する陸部隊員が増えているそうなのよ。そこは護衛部部長に許可を一任して、護衛部ではない隊員も訓練に参加できるようにしてもらうことにしたの」


 それは自分も聞いていますと、雅臣は返答する。


「だけれど。心優も結局はシドをとても意識しているのでしょうね。他の隊員との手合わせはとても冷静に的確にやりすぎないよう上手く訓練ができるのに、一度、首に痣ができるほどにやりこめられた男には二度とやられたくないと言う恐怖と負けん気で、心優もやりすぎてしまうということになるようね」


 それが先ほど目撃してしまったルールと判定を無視した手合わせだったのかと、雅臣も振り返る。


「偶然ですが、午前中に訓練棟に差し掛かった際に見てしまいました。あんなに熱くなる心優は珍しいかもしれません」

「問題はね。シドとやりすぎることではないのよ。護衛部長が心配してるのはね……」


 そこでミセス准将が珍しく、あたりをきょろきょろして落ち着きをなくした。そして雅臣の膝のそばまで、彼女も静かに膝を近づけてくる。彼女の匂いが濃くまとわりつく。そうして雅臣へとそっと顔も近づけてくる。もう、すごい女の匂いでくらくらしそうで、こういう女性に慣れていないからこそ雅臣は彼女がある意味苦手でいまでも緊張してばかり。


 その彼女がちょっと困った顔で、雅臣に聞いたこと――。


「赤ちゃん、どうしようと思っているの?」

「は?」


 雅臣は目を丸くする。決して、ここでは聞かない言葉を聞かされたという驚き。

 ミセス准将もなんでこんなことを聞かなくてはいけないのかと、ちょっと気恥ずかしそうに頬を染めて、再度雅臣に問う。


「だから。万が一、心優のお腹に赤ちゃんでもいたら、あんな訓練はさせられないって護衛部の中佐が悩んでいるの。結婚前のあなた達だけれど、婚約したのだからその気になればできないこともないでしょう」


 やっと! なにが問題視されて、護衛部からミセス准将経由で雅臣へと届いたのか理解した。


「あの、そういうのって女性同士で確認できるものなのではないのですか。そのための、女性護衛官だと思っておりましたのに」


 すると、またミセス准将が困った顔で首を傾げた。しかもうーんと唸っている。


「そうなのよね。心優に聞こう聞こうと思っていたのに、聞けなかったの。雅臣の方が聞きやすいっておかしいわよね、と言いたいけれど、心優にそれを聞いて『どうしてそんなことを聞かれるのですか』と問い返されて、では、護衛部の部長が気にしていたのよ――なんて言える? 心優が気にしてしまうし、それを気にした護衛部部長との間で異性としても上官下官としてもぎくしゃくしちゃうじゃない。それなら秘密裏に旦那さんの方に確認しようってなるじゃない」


 確かに。心優には何事もなかったようにした方が『護衛部』としても良さそうだと、雅臣も同感だった。


「その質問に対してきちんとした返答をするならば、『ご安心ください。いまは子供を迎えることは考えておらず、彼女も了承済み』です」


 つまり、きちんと避妊していますよ。子供はまだ作る気はありませんとはっきりとした返答だった。するとミセス准将もほっとした顔になる。


「そう、良かった。ではこっそりと護衛部部長に報告してもいいかしら。ごめんなさいね。プライベートのことをこんな水面下で問いただしたり、婚約者同士だけの事情を上官に伝えたりなんて……」

「いいえ。心優の身体を女性として労ってくださっているのですから、お気になさらず」


 するとミセス准将がちょっと哀しそうな眼差しになり、溜め息をついた。


「そういうことも配慮せず、仕事も恋も思う存分気ままにしたあげく。私は、澤村の子を流してしまったことがあるの……。だから、急に心配になってしまって」


 雅臣もミセスのその過去は既に知っていて、でも彼女の口から初めて聞かされたのでどう反応して良いかわからなくなってしまった。


 それでも、その当時のミセスと心優は同じ年頃。同性としてどうにも当時の自分を思いだしてしまうのかもしれない。だからこそ、案じてくれているのだろう。


「葉月さん。ありがとうございます。俺もですけど、心優も、暮れの空母搭乗を考慮して、結婚式は来年です。それは子供もおなじです。それからだと二人で決めています。だから、そんなことにはならないはずです。そこは護衛部長にもはっきりと伝えて頂いて結構です」


「そう。わかったわ。伝えることを許可してくれて、ありがとう。雅臣。心優に内緒ってところが心苦しいわね」


「大丈夫ですよ。心優がこのことを知ってしまったとしても、ミセスと護衛部長の気遣いは通じると思います」

「そうよね。ああ、お邪魔してしまったわね。やっぱり、データがあがったら准将室に持ってきて」

「了解です」


 ミセス准将は安心できると、たまにはデータ室で見てみようということでここに来たはずなのに、最初の言葉など忘れたかのようにして、さっと一人で戻っていった。


 雅臣は溜め息をつく。

 そうか。女性が結婚すると、子供ができるできないで仕事の面でもいろいろと気遣われたりするようになってしまうのか、と。


 心優とは次の空母任務を終えて、結婚式を済ませてから、子供のことを考えようと約束している。

 雅臣よりも、心優が『いまの仕事を頑張りたい』とはりきっている。

 雅臣はもう四十が見えてきたが、心優は三十路を越えたところ。まだまだ若い。悠長に構えているつもりもないが、ここ一年で急ぐことでもない。


 それにいまやっと二人きりの生活が落ち着いてきたところでもあって、雅臣も女の子と二人の生活を楽しんでいたいという心境だった。

 毎日、同じ家に帰ってきて、毎晩、同じベッドで寝起きをして。熱くなって愛しあう夜の甘さも、朝目覚めた時に見られるかわいい彼女の寝顔とか、温かい素肌が寄り添っている幸せをもう少し噛みしめていたい。


「子供かあ。そりゃ、ほしいけれどなー」


 俺にそっくりな男の子と、心優みたいにかわいい女の子と、もうひとり男の子――とか。

 男の子ふたりのどちらかがパイロットとメダリストの格闘家になって、女の子は秘書官かな。なんて、考えているだけでニマニマしてしまい困る。


 ちっちゃな心優なんてかわいいだろうなあ。

 その子が道場着を着て、空手をやってもかわいいだろうなあ。

 いけない。ミセスに訓練データをもっていかなければならなかった。

 すぐににやけた頬をひきしめ、シビアな大佐殿に戻ろうとする。気を引き締めた途端、手元においてあったスマートフォンが震えた。


 見ると、メッセージアプリに心優からのメッセージ。


【臣さん、お疲れ様。今夜は、ダイナーで食事をして帰りたいのですが、いいですか。鈴木少佐と一緒です。気になる女の子のことで相談してほしいとのことでした。鈴木少佐が誘ったとのことで、もしかするとシドも一緒かもしれません】


 時々あることだったが、雅臣は少しばかり顔をしかめながら、メッセージを返信する。


【わかったよ。それなら俺も適当に食べて帰るな】


 時々、心優からよくある連絡だった。

 心優と英太とシド。この三人は歳も近いし御園ファミリーの若手で、同じ空母艦に乗った仲間。その三人が『ダイナー仲間』ということを知っていた。


 若い三人が空母任務の同志となって、アメリカキャンプのダイナーで一緒に食事をするのはよくあること。

 それぐらいなら、雅臣も許している。シドと二人になるのは少し気になるが、間に英太がいるなら大丈夫だろうとも思っていたからだった。


 だが、そこで英太がいない場合は、シドと二人……。


「だめだ、もうやめよう」


 そんなことを考えるのは。そもそも、心優はそんな状況になるようなへまはしないだろうし、なったとしても切り抜けるはず。俺のところに必ず帰ってくる。そう信じることにする。


 なのに、どうもため息がでる。

 心優という女の子に出会ってから、雅臣は始終溜め息をついている。空を飛ぶことか、秘書室で仕事のことばかり考えていたのに、二年前に彼女と出会ってからこの有様。いつのまにか溜め息をついていると、心優のことを考えていることが多い。


 大人の臣さんだから――。わたし、沢山のことを経験してきた臣さんと違って、知らないことばっかりだから。なんて顔をされると『大人のお兄さん』の顔をせざる得なくなってしまうし、彼女のかわいい顔に負けて、そうありたいと大人であろうとする。


 そうして彼女を支えてやると、彼女がそれだけで凛として階段を駆け上って力を発揮して、きらきらとした目を見せる。

 そんな時の心優は、あの人に似ている。空を飛ぶ戦闘機を見守るミセスが、パイロット達が成し遂げた時にふと見せるガラス玉の瞳の輝きに。女性達のそんな魅惑的な眼差しを、心優は持っている。


「手が止まっているな。大佐」


 訓練映像が流れるだけ流れて、マウスが止まっている上に、溜め息の連続。それを、ここデータ室室長のミラー大佐に見られていた。

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