【続】お許しください、大佐殿2

市來 茉莉

【続1】お待ちください、ベイビーちゃん(雅臣視点)

1.彼女と海兵王子

 もうすぐ彼女と入籍をする。結婚式は来年になってしまった。

 というのも、また歳暮れあたりに空母艦任務へ着任するかもしれないと、上官であるミセス准将から打診されているからだった。


 そのミセス准将からも既に言い渡されている。『次の航海では、貴方を副艦長として連れていくからそのつもりで』――と。


 それは嬉しい任命ではあった。しかし、少しだけ気になることが。それまで自分の先輩として、または元隊長だった橘大佐は連れて行かないのかと聞くと。


『今回はパスさせてあげて。初めてパパになって、新婚で、赤ちゃんも生まれたばかりの時期になるでしょう。パイロットも引退したばかりだし、ゆっくりさせてあげたいの』


 とのことで、雅臣も賛成し納得した。


 そして雅臣だけではない。そのミセス准将が艦長として就任するということは、妻になる彼女も艦に乗ることになってしまうのだ。

 そうなると、結婚式どころではない。まずは職務優先であるために、どうしても先延ばしになってしまった。

 それでも、いまできることはと、二人で準備を少しずつ進めているところ。


 雅臣の妻になるかわいい彼女は、普段はとても素直そうな女の子の顔なのに、いざとなると男も敵わない腕っ節が強い空手家護衛官。ミセス准将の側に常に控えている女性護衛官だった。


 ミセス准将という女性艦長を護るために抜擢された途端、その才能と実力を発揮して、あっという間に中尉まで昇進し、シルバースターの勲章まで獲得してしまう、いまやミセス准将が手放さない秘書官になってしまった。


 それでも、普段はほんとうにかわいい。わたし、臣さんのように大人の経験がないから、ぜんぜんわからないという顔をして、無垢な子猫のような顔をする。本人がまたそれを自覚していなくて、彼女そのままの姿だから余計にかわいい。


「雅臣、帰るぞ」

「イエッサー、室長」


 陸部訓練棟で、雷神入隊希望のパイロット達の体力テストを行い、その審査を終えて橘大佐と事務室へ帰るところ。


「どうだ、雅臣。いいと思ったヤツいたか」

「うーん、どのパイロットも優秀ではあるけれど、雷神にどうだと言われると、正直ピンと来なかったですね」


「俺もだ。惜しいな。どこにだしてもいいぐらいのパイロット達なんだが。おかしいな。俺の感覚、葉月ちゃんぽくなっちゃったのかな。優秀であっても、無味無臭で無個性に見えちゃうんだよなあ? 刺激がなくてもチームのパイロットの個性とバランスを考えて多少のばらつきがあってもスワローでは選べていたのになあ……」


「わかる気がします。雷神のパイロットはクールな優等生の顔をしていても、こう、なんていうか、ひとつのラインを越えたうえでのなにかがあるメンバーばかりですもんね。葉月さん、良く見つけたなあ……て感心しています」


「俺もだよ。雷神を再興させると彼女が言い出した頃、彼女は足を使ってほとんどの基地をまわって探していたっていうもんな。その中でも演習飛行を一目みたらすぐわかるんだってさ。どんな目だよ。あの女、昔からなんか変な力見せつけてくれるんだよな」


 彼女のことが好きなくせに。そこはパイロット同士だったせいか、橘大佐も御園准将に妙なライバル心をみせることもある。お互いにコックピットを降りたら、今度は指揮官としての感覚で競っている。

 雅臣はまだそんな先輩ふたりの背中をみてついていくしかできない状態。


「クールな大人が多い雷神だが、一人だけガキんちょもまじっているしな。あいつ、また最近、ちょっと荒れてきたなあ」

「はあ……」


 横須賀のアクロバット飛行隊『マリンスワロー』時代に、ほんの少しの間だけ後輩でもあった『鈴木英太』。

 腕前とセンスは『永遠のエース』と言われるようになったソニックの雅臣でさえ認めるほどの、いままさに最盛期のファイターパイロットだった。

 なのにどこか精神が不安定で、そこが先輩としても上官になった今も雅臣は少し気にしている。いつまでも少年のようなのは、真っ直ぐで素直な部分もあって可愛げがあるのだが、そのやんちゃさの裏側に、人知れずの闇を感じることがある。その事情をなんとなく聞かされてきた横須賀大隊長秘書室時代。あえて雅臣は、後輩の苦い過去に痛ましい育ちに触れようとは思わないが、そこが彼に『不安定な波』と与えているのだと考えている。

 きっとその『波』がいま来ている。

 そこには必ず『天涯孤独になった自分』の、どうにもならない孤独と戦っているのだろう。たとえ、支えてくれる『仮の家族』がいてもだった。


 なのに。雅臣の彼女は、妙なことを伝えてきた。

 『好きな女の子が帰っちゃったから、鈴木少佐は寂しいのよ』

 これは、心優が言っていたことだった。まさかと雅臣もその時は笑い飛ばしたが、心優は妙に真剣で、でも雅臣の『まさか』という言葉に反論してくることもなかった。

 確かに、英太には御園のお嬢さんとの妙な噂がある。しかしお嬢さんがまだ未成年のため、仮の家族であるため、おいそれと噂に巻き込まれないようにするのが、隊員たちには『得策』と認知されている。


 ただ心優のその目が『わかっていないんだから』という女の子特有の真顔だったのが気になっている。


 時々、かわいい彼女のそんな顔が気になっている。彼女は雅臣が知らない何かを知っていて、でも、夫になろうかという男にも絶対に教えてくれない何かをいつも持っている。


 仕方がないかと雅臣も諦めている部分がある。彼女は秘書官。ミセス准将の業務の進捗や様々な部署事情はたとえ家族にでもいえないものがあって当然と、元秘書官の雅臣も理解している。だから余計なツッコミは皆無。


 でもそこに、どんな事情があって彼女が言葉にしているのか。それは察してあげたいと思っている。

 それが……。なんだか、最近、ちょっと難しいと雅臣は苛む。


 あー、葉月さんという何を考えているかやりだすかわからない上官の秘書官になっちゃったからかなあ? そう結論づけている。

 きっと心優自身も『ミセスはなにを考えているのだろう?』と戸惑いながらも、顔には出さずにそっとミセスのそばにいるに違いない。



 橘大佐と陸部訓練棟を歩いていると、一階の道場から賑やかな訓練の声が聞こえてきた。


「お、護衛部の訓練じゃね?」


 橘大佐が気が付いて、二人一緒に道場の入口で足を止めた。

 いつにないざわめきが道場から聞こえていた。

 幾度も繰り返される金属音が鳴り響いている。


「雅臣、おい……あれ……」


 道場の中を覗いた橘大佐が、瞬時に凍った顔になる。

 何が見えるのかと雅臣も覗いたが、目に飛び込んできた光景に目を瞠る。


 キンキンと鳴り響く金属音は、ロッドとロッドの打ち合い。もの凄い速いテンポ。それだけ激しい打ち合いで対峙している二人。


 そこには黒い戦闘服を着ている金髪の海兵王子、『シド』。いま小笠原では最強といわれている海兵王子の対戦相手は、なんと心優!


「うわわ、俺、心優ちゃんが戦闘しているのを見るのは初めてだけれど」


 滅多に護衛部の訓練などお目にかかれないから、心優の本業を目の当たりにした橘大佐は驚愕している。

 だが、現場で本物の戦闘に立ち向かう彼女を見た雅臣でさえ、海兵王子と彼女の凄まじい気迫に気圧される。


 道場の入口には近くを通って気になったのか、事務官の女性隊員数名に、訓練着を着ている海陸部の男性隊員も足止めされているかの如く、護衛部の訓練を覗いている。


 すげえ。マジでやってんのかな。

 すごい……。怖いわ。


 既に見学をしている彼等に彼女等は、驚愕の表情に固まったまま。そして目も見開いたまま――。


 それは同じく訓練をしているはずの護衛部の隊員達も、凄まじい二人の本気に集中力を削がれたのか、対戦式組み手の手合わせを相手と共に手を緩めて若い二人の対戦に見入っている始末。


 手加減なし、金髪のシドが大振りで真上からロッドを振り落とす。その素早さと力強さ。それが彼より小柄で華奢な心優の真上に落とされようとしている。


 あっ! 誰もがそこで目を伏せた。橘大佐までもが『あいつ、本気か』と舌打ちをして止めに入ろうと道場に一歩踏み込んだ。


「待ってください。むこうの訓練ですから」


 雅臣は橘大佐が入らないよう、入口に立ちはだかってしまった。


 その瞬間『おお!』とどよめく歓声。雅臣も再度確かめると、振り落とされたロッドが宙に飛ばされているところ。道場の天井高く、金髪王子が持っていたロッドが跳ねとばされている。その真下には、長い片足ですっと蹴り上げた心優の姿がある。


見たか。いまの。あのスピードを見極めていないと、蹴りひとつで阻止なんてできねえよ!

すげえ、園田中尉。さすが、ミセス准将の護衛官!

園田中尉、素敵!


 ギャラリーの隊員達が湧く。


「まじかよ。あれを蹴りで阻止できるのかよ。あれけっこうな動体視力の持ち主だぞ。心優ちゃんがパイロットテストをパスしたの納得だ」


 さすがの橘大佐も『すげえ』と感嘆の表情。


「にしても、雅臣。やっぱおまえ、心優ちゃんの旦那になる男だなあ。訓練だからって落ち着いていられるだなんて」

「いえ、ほら。二人の間に、護衛部部長の中佐がついているでしょう。彼が止めなければ大丈夫と思っただけですよ」


 なんて、嘘。本当は雅臣もヒヤッとして目を閉じてしまったくち。だがここで慌てて止めにはいるような夫になんてなりたくない。そんなことをしたら、心優に『わたしの実力を信じていないの』とかわいい顔で怒られてしまうだろう。


「まて! フランク大尉、園田中尉、熱くなるな。まて!」


 その護衛部の長である中佐の声が道場に響いた。


「二人とも、そこまでだ!」


 心優がロッドを飛ばした時点で、勝負あり。つまり海兵王子の負けということ。だがそんなこと、あの負けず嫌いのトラ猫王子が納得するはずがない。


「まちなさい、やめなさい!」


 ロッドが飛ばされても、金髪の海兵王子は果敢に心優へと襲いかかっている。審判をしていた護衛部部長の命令も聞く耳持たず。


 それには雅臣も息が止まる。空母艦で、彼女が本物の侵入傭兵に襲われた時のことを、思い出してしまったから! あの時と同じ、男の闘志が、それより細い彼女の身体に浴びせられるあの恐ろしい光景が目の前で!

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