50.新婚飛行日和
バディについて、心優が快く承諾したため、御園准将がホッと安心していた。
後輩の吉岡光太が正式に転属してくるのは来週。彼は一度浜松に帰り、転属の準備をし引き継いで小笠原にやってくるとのこと。
きっと心優が断っても、あの御園大佐があの手この手で説得しただろうから、きっとこうなるしかなかったのだろう。
にしても!
「臣さんったら。なんでなの、なんでバディがわたしに必要? そんな頼りない護衛官に見えたの?」
釈然としないまま、心優は日暮れが早くなったアメリカキャンプの道を歩き、日本人官舎を目指した。
大好きなダイナーの前を通り『しばらく行っていない……。そうだ、吉岡君がきたら連れてきてあげよう』と思ってしまい、まったうっかりとばかりに我に返る。
なんで、なんで、楽しみにしているのよー。後輩ができるって結局、自分もどこか楽しみにしているじゃん――と不本意な気持ちになってしまう。
結婚したばかりの新妻に、若い男がそばに来るように手配してしまうお猿な旦那様。もうひっつかまえて問いつめなくちゃ!
もうすぐキャンプのゲート、その警備口を出ると、日本人官舎が目の前。いつも近道でこちらを通る。
そこで、心優は警備口に向かう長身の男性を見つける。立派な大佐の肩章を付けているのに、大きなエコバッグを肩にかけて、まるで主夫の風貌でゲートに向かう男性。
「臣さん」
思わず、いつもどおりに呼んでいた。
「お、珍しいな。秘書室の仕事終わったんだ」
飛行部隊指揮官の時はキリッとしているのに、心優をみつけた大佐殿はもういつものお猿スマイル。そんな旦那さんを見ただけで、心優の心はほぐれてしまうから困ったもの。
駆け寄って、二人一緒に、アメリカキャンプの警備ゲートで基地滞在のチェックアウトをした。
夕暮れの官舎棟群、一気に日本の景色になった道を、夫と一緒に並んで歩く。
大佐殿なのに、膨らんだエコバッグを担いで帰る姿……。
「いっぱい買ったんだね」
「うん、俺もこれから暫く残業になりそうだからさ。冷蔵庫に詰め込んでおこうと思って」
「どうして」
夜間当直に夜間訓練以外は、日中の時間にみっちり訓練をするのが現場の男達の過ごし方。だから秘書官ではなくなり現場指揮官になった雅臣の帰りは早い。
「チェンジでも疑似演習を増やすんだ。出航までに。御園准将がたくさん資料を集めてくれたから、俺もそれを参考にして戦略を練っているところ」
「あ、そういえば。准将が、御園大佐にいっぱいデータや資料を集めさせて、ずうっと黙々と閲覧していたけれど、」
「ああ、それ。一ヶ月間びっしり拾い集めてくれていたよ。敵わないよ。あれもこれも、どうしてどうやったらあんなに過去のフライトデータを思いついて拾えるのかって」
「毎日見ているじゃない。訓練の」
「自分が指揮したもの以外もだよ。横須賀から岩国から浜松、千歳から三沢に小松に沖縄……。スクランブルも訓練も網羅していたよ。あれは葉月さんだけじゃないな。隼人さんもだろうし、ミラー大佐も、もしかするとコリンズ大佐もかき集めてくれたのかもな」
空部隊の先輩達が、次回の接戦を見込んで『あれを参考に、これも参考に』とこの一ヶ月のあいだにあれこれ模索し検討していたということらしい。
「それを俺に……。バレットとスプリンターを動かす術を見つけておけとばかりに。本気で俺に引き継ぐんだなと感じた」
上官の先輩達が、雅臣のサポートに回るようになった。そう聞いて、心優はまた不安な気持ちになる。どんどんどんどん、大佐殿の責務が大きくなってくる。
「あ、そうだ。今日、彼がそっちに行っただろ」
あ、忘れていた! そうそう、まずはそこからだったじゃないと心優も姿勢を改める。
「そうだよ! なんなの、吉岡君が引き抜かれてきたなんてびっくりしたもん。あれ、臣さんの仕業でしょ!」
「あはは、そうだよ」
あっけらかんと笑い飛ばされたので、心優は呆気にとられる。なんで新妻のそばにやすやすと若い男を望んだのかと!
なのに雅臣はこともなげに言い放つ。
「俺から、奥さんに、結婚のプレゼントだよ」
はあ!? 若い男をプレゼント!? ますますわからない!!
「なんで、後輩が、バディがプレゼントなのよ!」
雅臣がにっこりしていた笑みを少し収め、微笑になる。深くなにかを考えている時の、指揮官の横顔。心優は上官に口答えしたような気持ちになり、勢いを鎮めた。
「俺の奥さんをそばで助けてくれる男になれると、浜松で会った時に直感したんだよ」
「わたしの、妻の、そばに来るんだよ。常に一緒になるんだよ。葉月さんのことだって、重い事情があるんだよ」
「わかるんだよ。あの男『心優と一緒だきっと』――と、わかったんだよ」
お猿の直感? 心優は唖然とする。
「これでも、秘書室長もしてきたし、いまは雷神の指揮官だ。女のことはよくわからない。でも男のことはこれでもよく見えているつもりだ」
懐かしい『秘書室長』に出会えた気になるほど。お腹にいちもつもって、冷徹になるときの雅臣を見た気がする。
そのためなら、俺はどう思われようとこう選ぶ。そんなお猿の男らしい横顔。
「それに、隼人さんがまだ知らないから言えなかったけれど。葉月さんが校長室の秘書官を新たに集めようとしていることを心優から聞いたから、これから成長させるにはいい人材だとも思った。葉月さんには、心優から聞いて彼女が校長になることを俺が知っているとは明かせなかったけれど、『艦を下りた時の留守を護る男も必要では』と勧めたら、やっぱり思うところあるのか『話を進めて欲しい』と言ってくれたよ」
ギョッとした。いつのまにか、臣さんが隼人さんも葉月さんも別々のコンタクトで動かしていたことに!
でも……、だから、あんなにすんなり葉月さんは受け入れていたんだ。彼女の目線は『心優のバディ』よりも『校長室の秘書官になれるかどうか』。
「その時に集めるより、先を見据えていまから育てたほうがいいだろ。吉岡君とも直接話した。連隊長の面談が終わった後にね」
そんなことまで手を回していて心優はさらにびっくりする。
この大佐、もう葉月さんの周りをいちいち驚いて右往左往するソニックではなくなっている。
「俺からお願いしたんだよ。まず留守を護れる男になって欲しいということ、陸からパイロットを護れる男になって欲しいということ、女二人でどうしてもできないことは彼が護ること――」
「まさか。吉岡君……、ソニックからのお願い……だから……」
「あ、うん。『ソニックに託されたのなら、俺やります』と言ってくれたよ」
ああ、もう……。それを手にとって、青年一人を動かしちゃったということらしい。
「もう~、ソニック大好き技使いすぎだよ」
大好きソニックで操っちゃうなんて。
でも雅臣は嬉しそうに笑っている。
「心優がいなくなった後も、心優を追うように鍛えてきた男だろ。心優の精神を受け継いで。これ以上のバディはないだろ。俺も安心だよ」
それに……と、雅臣が言いにくそうに一度口をつぐんだ。
「それに、なに?」
「心優、子供が出来ても働くつもりなんだろ」
唐突な質問だったが、心優は『うん』と迷わず頷いていた。
「つわりがあっても、お腹が大きくなっても、護衛官ができるのか?」
その言葉に、心優は彼の考えの深さを知る。だから……。女の自分では手が届かないところをサポートする男が必要ってこと?
それは女が働き続けるには大事なこと。そして不可欠。そこには男でなくとも、自分が動けない時に、准将を護る万全の体勢が必要ということになる。そして心優も、ひとりでなんでもできない、ということだった。
「そ、そこまで、考えていなかった……」
子供はまだ。任務を終えてから――だったから。そして、妊娠する自分なんてまだイメージできていなかった。漠然とした近くても遠い将来、そんな感覚。
「彼なら、心優も准将も任せられる気がした。御園大佐も、細川連隊長も、そしてラングラー中佐もそう感じてくれたのだろう。間違いない、彼しかいない」
妻のためでもあって、女性上官のためでもあって、自分たちの部隊のためでもある。そういう大佐殿の見通しがここまでしてくれた。
「心優だって、いつまでも秘書官でいちばん下の女の子ってわけにいかないだろ。俺は心優にも指導の素質があると浜松で感じたんだ。吉岡を、立派な護衛官に育てろよ」
そこで心優は初めて……。男とか女とか一緒にいるとか、夫が手配したとか、くだらない基準で見ていたことに気がついてしまう。
臣さんは、やっぱり、見る目も厳しい大佐殿。心優の元上司。
「城戸大佐、ありがとうございます」
「なんだよ。そんな改まって」
「彼を立派な護衛官に育てます。御園校長を護る男にしてみせます」
「そして、ミセス城戸の最高のバディになるようにな」
自分が海に出ている間、信頼して仕事ができるパートナーをみつけてくれたんだ。心優はやっと感謝の気持ちが湧いてきた。
―◆・◆・◆・◆・◆―
小笠原の秋は春のよう。
その日、心優は飛行場にいた。
「あれだな」
雅臣と一緒に、その飛行機の前まで行く。
ラフなポロシャツ姿の大佐殿は今日はサングラスをかけて。そんな心優も、初めてサングラスを買ってかけてきた。
お互いに今日はラフなプライベートの服装にして、その飛行機に乗り込む。
「よし、行こうか」
「ドキドキする」
「え、俺の操縦が怖いってことか?」
「まさか! 元戦闘機パイロットじゃない。じゃなくて……、空の上が……」
プロペラのそばにある操縦席のドアを雅臣が開ける。彼は躊躇なくそこに乗り込んでしまう。
心優は隣の席に座るために、向こう側に回った。
「離陸する時間が決まっているから早くしろよ」
「うん」
その決まりも知っていたので、心優は腹をくくって隣の席に座った。
軽飛行機には、どちらの席にも操縦ハンドルがついている。操縦者はどちらに座ってもいい。雅臣は自動車と同じように、右側を選んだので、心優は左に。
「よし、行こう」
「はい」
プロペラの軽飛行機は、御園家所有のもの。今日は気晴らしに空のお散歩でもしておいで――と貸してくれた。
また御園家配下の会社で飛行クラブを作っているとのことで、軽飛行機の免許を持っている隊員達に貸し出しているとのことだった。
雅臣も乗れるよう手続きをしてくれ、今日は二人で、フライトデート。
耳宛が大きなヘッドセットをして、ベルトを締める。
「行くぞ」
紺のポロシャツ姿に、サングラスの凛々しい男が、軽飛行機のプロペラを回し始める。
滑走路へと位置に着くと、いよいよ。プロペラ機が滑走路を走り始める。
プロペラが回る大きな音、そして、軽やかに滑走路を往く飛行機。
軽い、すごく軽い! 戦闘機とか、T-4とかと違う!
風が入ってくる。海の匂いもする。
ついにプロペラ機がふわっと浮いた。
隣にいる雅臣がハンドルを持って、いま乗っている飛行機を上昇をさせる姿が、かっこいい!
「うわあ! すっごい臣さん! 素敵!!」
戦闘機はすごい覚悟と気構えと緊張があった。だから今回も空の上は息苦しいものだと思っていた。
でも、こんな空もあるんだ!
ぐんぐんと離れていく地上、でも、真下はあの蒼い珊瑚礁、白い雲、青空、遠くに見える緑の島々。潮の匂いに、なんといっても風!
ある程度の高度で、水平飛行になる。
「なんだよ。すごく緊張していたくせに」
「だって。この前のT-4はすっごい迫力あって。空の上って……、なんとなく脆いんだなって」
そう。空の上では人は脆い。危うくて、儚く吸い込まれてしまいそうな敵わぬ世界。
「そうだな。ファイターパイロットだとなおさら。でも、こういう空の楽しみ方もいいもんだ。しかも、心優と一緒」
「こんなゆっくり見られる珊瑚礁も素敵」
素晴らしい見晴らしだった。これを知ってしまったら、やっぱりまた空に行きたくなる。
「心優もそっちのフライトコントローラーを握ってみろよ」
どちらの席にも操縦桿と計器。免許あるインストラクターが横に乗って、高度が保たれている上空なら操縦させてくれるというものがリゾート地でよくある。それをしようと雅臣が勧めてくる。
「いいの?」
「俺の操縦席と連動しているんだ。心優がうまくいかないところは俺が動かすよ」
目標は、あそこだ。
雅臣が指さしたその先に見える地上。それがなんであるかわかって、心優も頷き、操縦桿ハンドルを握った。
「ゆっくり右だ」
動かすと、ふっと機体が傾いた。
「そう、今度はゆっくり押して……。機首がさがる。下がったら、さらに旋回だ」
言われたとおりにすると、本当に機体が動いて、心優はドキドキしてきた。
「いま、心優が動かして飛んでいるんだ」
サングラスの雅臣がにっこり笑って、操縦桿ハンドルから手を離したので、心優はびっくり飛び上がりそうになる。
「ええ、怖いよ、臣さん! ほら、ほら、下に向いて落ちていくよ!!」
「大丈夫だって――」
彼もすぐに操縦桿ハンドルを握り、巧みな旋回は彼がやってくれる。でも心優が握っているハンドルもその通りに動いた。
すごい連動感、連帯感。こんな素敵な飛び方もあるんだね! こうして一緒にハンドルを握って、飛行機を動かせるなんて思わなかった。
「ほら。心優、見えてきた」
旋回して、目的の上空に。珊瑚礁の海から、海岸線、そして、白と青の家が並ぶその向こうに、まだ均したばかりの土色の場所。
心優の黒髪に潮風が吹く。
「あそこにわたしたちの家が建つんだね」
「航海から帰ってきて、春には完成だ」
空色の街。あそこにわたしたちは家庭を築く。
「わたし、庭にぴんくの百日紅を植える。それと沼津の薔薇をわけてもらうんだ」
「お、いいな」
一緒に握る操縦桿がまたくっと傾く。今度はまた珊瑚礁の海の上。基地と空母艦も見える。
だから、きっと。帰ってくる。
「帰ってきたら、また飛ぼう」
「うん、臣さん……」
愛してる。賑やかな、おうちにしようね。
操縦桿を握ったまま、ふたりでそっとキスをした。
飛行日和の、潮風キス。ずっと一緒の操縦桿。このままどこまでも。
◆ ドーリーちゃん、よろしくね 完 ◆
⇒ to be continued 【Final】お許しください、大佐殿3(完結編)
【続】お許しください、大佐殿2 市來 茉莉 @marikadrug
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