23.蒼い女、燃ゆる

 空部隊大隊本部、隊長。御園准将室を訪ねる。


 御園大佐がドアをノックすると、立派な秘書官の顔つきになった心優が、迎え入れてくれた。


 雅臣はいつも思う。軍隊はどこにいっても男の匂いで溢れていて、女性の匂いは彼女達とすれ違う時に感じる程度。なのに、このミセス准将の部屋にくるといつだって爽やかな花の匂いがする。


 ここ最近は特に。この部屋に心優という女性がお側付き秘書官として常駐するようになったからなのだろうか。


「お忙しいところ失礼いたします。御園准将」


 眼鏡の夫が、妻が事務仕事をしている木彫り模様があるデスクへと敬礼をすると、恭しく頭を下げた。雅臣も同じく、『お邪魔いたします』と挨拶をする。


「お疲れ様。いがかされたの。二人揃ってなんて珍しいわね」


 ハンコとサインをつけねばならない書類がたまっているのか、彼女は万年筆を動かしながら書類を見ながら話しかけてくる。


 そんな相変わらず微笑みもみせない、抑揚もなく淡々と尋ねる妻を見て、御園大佐はふっと致し方ない笑みを緩く浮かべている。


「あなたのソニックがですね、あのコードミセスと対戦して、見事に制覇したんですよ。しかも二日で!」


 万年筆を動かしていたその手がピタリと静止したのを雅臣は見る。だが彼女はそれでも、こちらを見なかった。それでも彼女のそばで書き終わった書類をまとめている心優はとても驚いた顔をしてくれ、そっと微笑み雅臣をみつめてくれている。『臣さん、勝てたんだね』と彼女も喜んでくれているのがわかった。


 ミセス准将はいつもの凍った顔のまま。どう感じたかなど垣間見せもせずに、そのまま次の書類を上にして英文を読み込んでいる。


「そう。さすがじゃない。ミラー大佐より早かったというわけね」


「さようでございます、准将。私も対戦を見守っていましたが、たった二日間の十数回の対戦でしたが、いやーすごかった!!」


 彼女の関心を引こうとしているのか、御園大佐がオーバーに喜んで大声を張り上げた。夫の妙なオーバーリアクションに気がついたのか、やっと視線だけこちらをちらりと向けた。すぐにその目線は卓上に戻ったが、そこから彼女のペン先が動くことはなかった。


 動かない……と雅臣も眺めていると、そこでミセス准将がペンを置いて席を立つ。


「あんなデータに勝ったとか勝たなかったとか、まったく興味がないわね」


 そばに立ってアシストをしていた心優の横をついっと通り過ぎると、つんとした横顔で席から離れようとしている。


「あんなの私のデータでもないし、英太がいうとおりに存在しないものだもの」


 雅臣は愕然とする。この人がこんなふうに考えているから、あの英太が『非現実的なデーターに勝っても無意味』と悪ガキの牙を落とされ大人しくさせてしまっていたのかと!


「和人君があんなデータを作りだした時は、なんてことをしてくれたんだと思ったけれど、私のパイロットとしての素質を試してくれた義弟としての気持ちは嬉しかった。でも、あれは結局は架空。そんなデータに勝ったとか負けたとか、お好きな方々が一喜一憂すればいいだけのこと。そう思っている」


 ツンとしたまま、栗毛をさらっとなびかせミセス准将が外に出て行こうとしていた。心優も慌ててついていこうとしていたが、雅臣もまだ話は終わっていないと焦る。


「ですが、准将!」


 前のめりになって引き留めようとしたところを、御園大佐がさっと片腕をだして雅臣の前進を止めた。今度はにこやかだった旦那さんの目が鋭くなっている。


「へえ。おまえがそんなにムキになるって、久しぶりに見たよ」


 冷めた旦那さんの声に、ドアノブを握ったばかりのミセス准将の手がそこから離れた。そっと夫へと振り返る。


「ムキになんかなっていないけど」


 その通りの、毎度のアイスドールの目に声。でも夫はそこで勝ち誇ったように微笑んでいる。そして雅臣にそっと耳打ちをした。『あれでもムキになっているんだよ。話さずに逃げようとしているのが気にしている証拠』と――。


 びっくりした雅臣は目を見開いて、無表情なのにそのうちは『悔しがっている』という彼女を凝視する。


「いやー、すごかった。『化け物ティンク』のデータと、ソニックの飛び方がシンクロしているのかと思うほどのエアチェイス。つまり化け物になったティンクとソニックは対等だったということだ。おまえが『ソニックを是非に雷神の第1号パイロットに』と望んだだけある。つまりおまえが男だったら、ソニックみたいなパイロットだったということだもんな」


 雅臣もそれは対戦後にひしひしと感じていた。あんなに飛び方が似ているとは思わなかったからだ。そして、どうして俺に白羽の矢を立ててくれたのか、それもいまになって納得した。


「おまえの『雅臣君』を引き抜くのには、英太を引き抜く以上に骨を折ったもんな。これだけのエースを横須賀基地だって手放すわけがない」


 自分が雷神に引き抜かれる時の話が出て、雅臣はドキリとする。自分は選ばれてあたりまえぐらいの自信があったし、それは当然の結果だったとも思っている。パイロットの男達も憧れの雷神に引き抜かれた雅臣を羨んだし、『やっぱりな』と認めてくれたものだった。でも、それだけではなかった。横須賀基地も惜しんでくれていた。その分、小笠原が提示する条件への要求も高かった? それはいったいどんな条件だったのか。


「長沼さんとの攻防戦も一年以上かかった。結果、あの人を御園家のパイプで、准将へ昇進するための尽力と推薦を約束するという条件でソニックを手放してもらった。長沼さんはそうして御園の力を上手く引き寄せる駆け引きをよく知っているからな」


 あの長沼准将が将軍になるための力を得る間には、俺との交換があった? 雅臣はそれを知りさらに絶句する。


 ソニックを手放す代わりの対価は、彼を将軍にのしあげなくてはならないほどの力を御園側は要求された。それが御園大佐がいう『骨折り』。それだけの根回しをこの大佐とお姉さんが頑張ってくれ、それほどに望んでくれていたということだ。


「横須賀空部隊にしても、それほどの『価値がある男』。それを手に入れた時の、おまえの喜びようを俺も覚えているし……。失った時のおまえの絶望も覚えている……。俺も泣いた。おまえのようなパイロットがまた生まれてしまったこと、おまえを空に飛ばせてくれる男がいなくなってしまったこと」


 自分が知らなかった裏事情と、どれだけこの人達に望まれていたかと雅臣は初めて知る。まさか。元上司だった長沼ボスが准将になったのは、俺を小笠原へと手放してくれたから――? それだけの価値が自分にあったのかという驚きも生まれる。


「おまえが惚れに惚れていた男だけあったよ。あれを空で見られなかったのは残念だ。本当のティンクとソニックが空で対戦をしても、おなじような驚きがあったと思う。そのおまえの『雅臣君』がいまどこに行こうとしているか、なにを見ているのか、おまえ知っているのか。知らないだろう。おまえはもう前しか見ていない。後ろに誰もいないと思っているからだ。でもどうだ。おまえの後ろにも『怪物』がいたぞ」


 夫が懇々と説く間、ミセス准将は背中を向けているだけで出で行こうとはしない。つまり、気になって聞いているということになる。


 彼女が聞いてくれるなら――! 雅臣はそう思い、ここでやっと御園大佐の前に出る。彼ももう止めない。


「准将。英太がやりのこしている1対9の制覇をさせてやろうと思っています。彼といま対等に闘えるファイターは、相棒のスプリンター。もしスプリンターが英太の1対9を阻止した場合には、彼にもなにかエースに匹敵する称号を与えてください。そうすれば、英太はもっと伸びると思います。お願いします!」


 彼女がドアノブを握った。無視をして出て行こうとしている。心優も彼女のそばで立ちつくしているが、ハラハラして雅臣を見たり准将の横顔を伺っている。


 それでも、彼女がドアノブを回してしまった……。


「准将! 指揮を任された以上、俺はやりますよ!」


 ようやく、彼女が肩越しに振り返る。琥珀の瞳がじっと雅臣を捕らえている。その目、雅臣はひさしぶりにゾッとさせられた。


「勝手にしなさい。もうあなたに任せているんだから」


 言葉は素っ気ないのに、その目が俺を睨んでいる?


 どっと汗が滲んだその瞬間、その隙に、ミセス准将がふっと外に出て行ってしまった。心優もこちらに一礼をして側近として彼女を追いかけていく。


「あはは、大成功だな」


 彼女が出て行って、御園大佐が高らかに笑った。だが雅臣は額に滲んだ汗を拭うだけ。


「はあ、でも怒らせてしまいました。……任されているとはいえ、生意気な提案をしたと……」


「違うな。燃えたんだよ。あの女の奥にある芯が」


 え? 雅臣は眼鏡の大佐を見つめ返す。


「だって、そうだろう。英太をエースにしたのは葉月だ。でも、結局は1対9での決着ではエース獲得ではできなかった。周りがその実力についていけず辞退が連発したからだ。それは他のパイロットの辞退を含め、彼等を選んだあいつもそこまでの結果を悔しく思っていたんだろう。それを、私の雅臣君がやろうとしているんだ。焦るだろ」


 意地悪い顔をしていたのに、今度はどこか感慨深そうな笑顔を、御園大佐が見せた。彼女を見守っているというような、そんな優しい微笑み。


「なくしていなくて安心した。あいつだって、城戸君のようにいつまでもコックピットに乗っているつもりで、ファイターパイロットのつもりでいるんだよ。誰にも負けたくないし、男にはもっと負けたくないし、惚れた部下だからこそ簡単に越えられたくもないんだろ。俺だってそうだもんな。そう簡単には越えさせない。そうして越された時こそ、心から譲るもんだと思うよ。自分から譲ったつもりで、まだその段階でもなかったと気がついたんじゃないかな」


「あれで、悔しがっているんですか? わかりにくいなあ」

「あいつの炎は、情熱的な赤ではなくて、冷たい蒼色だからな」


 冷たく燃える静かな炎ということらしい。でも。最後に睨まれた目は、雅臣にも通じた。わかりにくいあの人は、わかりにくいだけで、腹の中は俺達と一緒。負けたくないファイターパイロットのプライドをいまも携えている。


「俺の弟がコードミセスを作ってしまった時、なんてことをしてくれたんだと思いながらも、自分が男だったら、本当は誰も勝てない、私の周りにいる名だたる男達も勝てなかったんだと……密かに誇りに思ったんじゃないかな。でも、そんなもの架空だから胸張ることは自分からはできないだろう。だからいつも第一声が『私はなんとも思わない』、そんな葉月の言葉を、葉月を見て育ってきた英太がその気にしているだけのことだよ」


 なるほどと――雅臣も英太がどうしてそうなったのか、やっとわかった気がした。だからこそ。彼が信望している女王様を甲板に引き出して、ファイターパイロットとしての本来の姿を最後に残して欲しいと思う。


「あとはしれっと空母訓練に出てくるのを待つのみ。あいつが久しぶりに甲板にやってきて、スプリンターの監督を願い出たら、俺達の勝ちだ」


 楽しみだ、俺も久しぶりに空母甲板に行ってみようかな――と、御園大佐がさっそく、うきうきしている。


「面白くなってきたなあ。英太も近頃は安穏としているから、昔みたいに焦って慌てて怒ったりなんだりして、悪ガキらしく大暴れしたらいいんだ」


 あいつはいつだって手に負えない悪ガキだけれど。あれ以上になれと? つまり雅臣自身がもっと暴れさせてやらなくてはならないという意味にもなる。


 雅臣の頭の中に、また心優の言葉が蘇る。

『御園大佐こそ、なにをしだすかわからないんだから』。

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