24.大佐モード、オフ!

 あー、やっと週末だ。今週もごたごたしたけれど、なんとか終わった!

 コードミセスとの対戦で勝利を得て、御園准将にも宣戦布告することができた。

 あとは週明けに彼女がどう出てくるか。それまでは雅臣も『大佐スイッチオフ、パイロットスイッチオフ』。彼女とゆっくり過ごそうと心浮き立つまま、終業ラッパを耳にする。


 少しの残務をして、一時間かからない内に雷神室を出る。


 帰路の途中、スマートフォンに着信音。

【今日も残業です。先に帰っていてください】

 御園准将室に務める彼女からそんな伝言あり。


 これもいつものこと。雅臣はすでに帰り道の途中で、アメリカキャンプの敷地を横切って、日本人官舎へ帰るところだった。


 秘書官の彼女のほうが帰りは遅い、故に、夕飯の支度が雅臣の仕事になることが多い。


 独り暮らしが長かったことと、将軍秘書官をやっていたおかげでそこはなんとかなる。ただ、母親のような料理はすることができない。本当に簡単な男料理のみ。


 では。アメリカキャンプのマーケットに寄っていこうと雅臣は決める。車があれば島のスーパーにいけるが、まだ所有していないため、キャンプ内のマーケットがいまいちばん近い店舗ということになる。


 生鮮食品は当然国内産のものがほとんどだが、あとはフロリダから輸送されてきたアメリカ製品が多い。そこだけ気をつけておけば、便利なスーパーだった。


 今日もキャンプ内の奥様達や、キャンプの官舎暮らしを許されている幹部員の独身男性が買い物をしている姿がみられる中、雅臣も買い物カゴ片手に野菜を物色する。


 そのうちに、牛肉が本日の安売り品だと知る。


「牛丼にするか?」


 心優も肉はよく食べる。これなら雅臣もすぐに作れると思いながらも、本当にそれでいいのかと献立に悩む……。


「あ、ソニック」


 背後からそんな声が聞こえ、雅臣はハッと振り返る。そこに、栗毛の少年が買い物カゴを持って立っている。


「海人じゃないか」


 御園夫妻の長男、海人かいとだった。


「こんにちは。いま、基地からの帰り?」

「ああ、そうだよ。海人は……?」


 キャンプでベビーシッターのアルバイトをしていると聞いている。その帰りなのだろうかと雅臣は思った。


「その牛肉、ソニックも買うの? あと数パックしかないけれど、いくつ買うつもり」

「え? いや、どうしようかと」

「三パック、俺がとっても良いかな」


 え、どうして十五歳の少年が、牛肉を三パックも? 雅臣は目を丸くした。


「うちは彼女と二人だけど、うちも二パックはいるかなあ」


「じゃあ、俺のところが三パックとっても足りるね。よかった。今日の安売りだったんだけど間に合った」


 当たり前のようにして、御園家長男が買い物カゴに肉パックをほいほいと放り込んでいく。よく見るとカゴの中には、人参や玉葱などが入っている。


「おうちの買い物の手伝いをしているんだ。お父さんの御園大佐が今夜はなにかつくってくれるのかな」


「ううん。今日は俺が料理当番。牛肉が安い日と知って、今日は大佐直伝の欧風ビーフカレーだよ。残った肉は下味付けて冷凍保存しておくんだ」


「は? 海人が作るのか!」


「うん。俺、子供の頃から父さんと留守番が多かったから、手伝っている内に覚えさせられちゃったんだ。父さんもマルセイユでホームステイを始めた十五歳の頃から、そこのママさんに一人でも食べていけるようにと料理を教えられたらしいから」


 すげえ、と雅臣はおののいた。御園大佐、息子にもしっかりと家事を仕込んでる! 子育てなんて適当という顔をしておいて、きっちりやってるじゃないかと雅臣は言い返したくなった――。


「いつもそうなのか。御園の家では……」


「夏休みが長いから、余計に手伝いをするように言われるんだよ。いまは週二で晩飯当番なんだ。学校がある時は手伝うぐらいだよ」


「欧風ビーフカレーって美味そうだなあ」


 俺なんか、牛丼とか考えていたのに。こんな少年が欧風ビーフカレーてなんてこじゃれているんだよと比べてしまう。


「その家の仕込み方があるだけで、そんなに難しくないよ。父さんからコツを教わりさえすれば本当に簡単だよ。今度、教えようか、レシピ」


「マジで、是非是非。最近、彼女の方が帰りが遅くてどうしても食事は俺の役目になってしまって、レパートリーに困っていたんだ」


「あ、そうか。園田さん、うちの母さんとずっと一緒だもんな。うちも母さんのほうが帰ってくるのが遅いから、父さんがキッチンに立つこと多いよ。ということは、うちとソニックの家庭は連動しちゃうってことだね」


 あのミセス准将とそっくりな顔。なのにきらきらっと琥珀の目を輝かせて微笑むのがとても眩しい。そっくりなのに母親はあのアイスドールという冷たさ。あの顔が微笑むとこんなにキラキラするのかといつも思う。


 そんな海人はやはり目立つようで、こうして雅臣と向かって立ち話をしていても、遠くの通路から『Hi!カイト』と奥様や隊員達に声をかけられてばかり。その度に、海人も愛想良く手を振って応えている。


「ソニックはまだ忙しいのかな。せっかく小笠原に転属してきたし、航海から帰ってきたんだから、うちに遊びに来て欲しいのに」


「あー、うん……。雷神を引き継いだところだから、いろいろな」


「そのことでもいろいろと俺も聞きたいんだよね。基地でもそうだと思うけれど、うちでも母さんはなにを考えているかわかりにくいもんだから」


 息子の前でも、仕事のことでは腹の底は見せない――ということらしい。まあ、子供に仕事の手の内を見せるわけがないだろうが、海人はそこが息子としてもどかしいようだった。


「ソニックは、高校を卒業して浜松基地のパイロット候補生になったんだよね。横須賀の予備訓練校からではないんだよね」


「そうだよ。高校までは普通に日本の子供らしい生活をしてきたな」

「だったら……。大丈夫かな、俺も……」


 ん? なんだか思い詰めた顔をされ、雅臣は首を傾げた。


「どうしたんだ、海人」


 彼がちょっと躊躇った顔。しかも辺りに誰もいないか見渡した。


「俺も、パイロットになりたいんだけれど……」

「やっぱり、そうなんだな」


 あまり雅臣は驚かない。きっとこの子は空を見て働いている両親に影響されてそこを目指すだろうと思っていたから。ただ、それは『いつか』という子供を見守る感覚だった。でももうそうではないところに来ているとは感じた。


「どこから始めるべきか、迷っているんだ。予備訓練生になるなら来年から横須賀に入隊することになる。でも、そうすると晃だけを島に置いていくことになるんだ。晃も去年、同じように悩んだけれど、海野の両親と話し合った結果、ハイスクールを卒業してから……ということになったんだ。でも、晃はパイロット志望じゃない」


 思い詰めた真剣な眼差しが、ミセス准将とも御園大佐とも似ていて雅臣は言葉を失う。この子はもう大人の顔をするし、冷静に物事を考えている。


「それなら海人もご両親と話し合うべきじゃないか。俺は浜松基地の近くに住んでいたから戦闘機や練習機を子供の頃からよく空で見ていては、かっこいいと思っていたよ。でも、パイロットになるための道を行こうと本気で決意したのは高校生になってからだ。それまでハンドボールをやっていたんだ」


「ハンドボールをしていたの、ソニック!」


 『まあな』と返答したが、ここまで話す自分に正直胸がドキドキしはじめていた。パイロットに憧れてはいたが自分が成れるとは思ってはいなかった。それをその気にさせてくれたのは、幼馴染みの親友――。思い出すには辛いことがつきまとうが、亡くなった親友が誘ってくれたからこそ今の自分があるのは常々心に留めている。それが痛い棘のようで、でも自分から抜くことはできず、抜こうとも思っていない。ずっと刺しておこうとさえ思うもの……。


「ハンドボールは、続けたいとは思わなかったということ?」


「そう。弱小チームだったんだ。地方高校の弱小運動部。だからやり甲斐はなかったな。でも運動は好きだったし、自分でも運動能力があることはわかっていたんだけれど、やりたかったのは野球でもサッカーでもなくハンドボールだったんだ。でもな、メジャーに進むにはどうしたらいいか道が見えなかった。そこで友人に誘われたんだ。そうしたら適正があって候補生になれたんだ」


 子供の頃からパイロットになりたいと本気で夢を見ていたのは、雅臣を事故に巻き込んだその親友のほうだったのに……。誘われて適当に受けたら、どの男よりも才能を持っていたとなれば、それは雅臣も恨まれてしかたがなかったかと振り返るが、いまでもどうにもやりきれない。


 それでも、こうしてパイロットを夢見る少年にこうして語れるようになったのかとも思う。そうだ、パイロットでエースにまでなれた俺が、今度はこのような夢見る少年を支えられたのなら……。急にそう思えてきて、雅臣はふっと微笑む。


「だから海人だってそこから始めても遅くはない。適性検査を受けてみないとわからないけれどな――」


 そういって、雅臣は初めてゾッとした。そうだ。あのミセス准将と御園大佐の血をひくDNAを受け継いでいるなら、この子こそ『コードミセス』的なパイロットになれるのでは! と――。


 だがいま雅臣がみても、細身のすらっとした男の子。雅臣や英太のような体格ではない。ただ、いま成長期なのだろう。背丈はもう父親の御園大佐を越しそうなほど伸びている。未知を秘めた子だ。


「そうなんだ。ちょっとホッとした。今度、父さんに相談してみる」


 あれ、そこ『お父さんにまず相談』なんだと雅臣は苦笑いをこぼす。まずお母さんという家庭ではないよう。確かにあのお母さんだと、仕事でなければちょっと変わったことを発言しそうだなあとか雅臣は思ってしまった。


「またソニックの話を聞いてもいい?」


「もちろん。俺も海人がパイロットになるのが楽しみだよ」


 いつか、この子が雷神に来る日もあるのだろうか。その時、俺はなにをしているのだろうか。


「じゃあ、また。レシピは父さんに渡してもらうよう伝えておくね。話せて良かったよ。ありがとう、ソニック」


「俺こそ。レシピが増えて嬉しいよ。じゃあな」


 そこで栗毛の貴公子のような少年と別れた。


 


 自宅に戻り着替えて、夕食の準備がそこそこ整った頃。蛙の大合唱が聞こえてきた薄闇のキッチン窓から空を見上げていたら、彼女が帰ってきた。


「ただいま帰りました」


 夏制服姿でキッチンをまず覗いてくれる。


「お疲れ様、心優」

「臣さんもお疲れ様でした。それから……」


 未だに部下みたいな挨拶をする心優が、目が合うなりエプロン姿の雅臣へとまっしぐら抱きついてきた。


 ドンという勢いだったので、雅臣も抱きつかれてのけぞる。でも、珍しく自分から飛び込んできた彼女を雅臣もぎゅっと抱き返した。


「なんだよ、心優から抱きついてくるだなんて」

「おめでとう、臣さん。やっぱりエースだったね!」


 コードミセスに二日という新記録で勝利したことを、心優は喜んでくれている。きっとミセス准将の前ではあからさまに喜べなくて、祝えなくて、この自宅に帰ってくるまでぎゅっとその感情を抑え込んでいたのだろう。それが帰ってきて溢れてしまったようだった。


 こんなふうに。もう空も飛べなくなったはずなのに、いまでもパイロットとしてのプライドを大事にしてくれる彼女がそばにいるのは、ほんとうに雅臣にとっても支えだった。


 しかも心優が『わたしもとっても嬉しい!』と、雅臣の唇にキスを押しつけてきた。


「わ、心優……、わ、わかった、から……いま、火を使って」


 調理中でなければ、雅臣も心優を抱きしめて上からのキスを返すところなのに。


「あ、ごめんなさい」


 心優もやっと離れてくれた。


「いい匂い。今日はもしかして、牛丼?」

「正解。着替えてこいよ」


「うん。……あの、毎日つくってくれてありがとう」

「できるからしているだけだって。あ……、最近、御園大佐がすごいなと思っているのも影響しているかな」


 夫がこれ妻がこれではない。手が空いているどちらかが考えてやるものだ。と御園大佐がよく言うらしい。それを立派にこなして、自分は大佐、妻は見事に空母艦に乗る艦長で女将軍様。そうして一家を整えているのは、やはり夫の御園大佐。これから小笠原で子育てと思うと、雅臣もどうしても意識してしまう。先ほども、御園家の長男があんな立派なところを目の当たりにしてしまったから。


「でも、臣さん。御園大佐は御園大佐なんだから、あそこまで真似しないでよ。わたしだって、ちゃんとした奥さんになりたいし」


「もちろん。期待している。けどな……実はな……」


 先ほど、海人にあって彼が夏休みの間は週二回夕食当番の手伝いをしていて、しかも作るものがフランス帰りのお父さん仕込み欧風ビーフカレーだったと伝えると、心優もびっくり仰天している。


「うそ……、絶対にわたしも負けてる。わたしもいままで寄宿舎生活で、臣さんより料理歴ないもん……」


「でも、魚料理はお父さんとお母さんに教わっていてあれはうまい。俺そこは範囲外だから助かる」


 心優は沼津の港町育ち。だからなのか、海の側に住むというのがとても落ち着くようだった。


「じゃあ、明日は週末でお休みだからわたしがご飯を作るね」


「市場まで行ってみるか。やっぱり車が欲しいな。基地で年に数回、本島からディーラーを呼んで車の販売会をするらしいからそこで決めるかな」


「そうだね。たまにお父さんの車を借りて運転をしていたけれど、ここでは絶対に必要になるよね」


 また心優からちゅっとキスをしてきた。ああ、もうダメだ……と雅臣もコンロの火を落としてそのキスに応えた。


 ぎゅっと抱き返してやる、おまえ、俺はもう止まらない。火も消したし、いまから二人きり。仕事のあれこれはもうシャットアウト、その黒いネクタイをほどいて柔らかい肌に触ってやる!


「じゃあ、着替えてきて、わたしも手伝うね。まってて、臣さん」


 おまえをぎゅっと抱き返して、ネクタイ……ほどいて、肌……。その勢いをするっと心優にかわされるかの如く、彼女は上機嫌で雅臣の腕をすりぬけていった……。


 キッチンに一人残され、雅臣は呆然。そして、エプロン姿でひとり気を取り直す。


 キッチンには小さなベランダがついている。そこのドアを開け放していると、裏が南の島らしいジャングルのような林がみえる。


 そこからざわざわとした夕の風と、カエルの鳴き声が聞こえてきた。

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