22.准将と准将の駆け引き
二年ぶりの浜松航空基地だった。
雅臣にしても心優にしても、古巣。雅臣にとっては母校のようなもの。
一緒に歩く足取りも、どっちに行くのなんて聞かなくてもお互いに解りきっているからなにも確認せずとも同じように足が向く。
でも。心優は緊張してきた。
「どうしよう……。わたし、石黒連隊長と話したことないし」
「大丈夫だって」
臣さんは平気なのと聞きたいけれど……。そんなわけないか、だって大佐殿だもの。相手を緊張させてしまうほうだものと思い改め聞くのをやめた。
「石黒さんは、俺が候補生の時、教官をしてくれていたんだ。当時、既に怖いおっちゃんだったよ」
「ええっ、そうだったの!」
「うん。いまは穏やかなみんなの親父てかんじになっているけれどな。世代的には、長沼准将と同期ぐらいかな。橘さんよりちょっと先輩。葉月さんの世代になると、自分よりちょっと若いね……と石黒さんが思うぐらいの差みたいだな。いまはおなじ航空部隊の准将として親しくしているようだよ」
だから心優もこれからコンタクトの機会が増えるだろうから、挨拶しておいて損はないと思う――と言われると、心優はなんだか休暇なのに御園准将の秘書官としての使命でやってきたような気にさせられた。
「会いに来る連絡はしているから、待っていると思う」
在職中は近寄ることもなかった連隊長室へと、雅臣がどんどん近づいていく。
ついにその扉の前に。御園准将室よりもずっと重みと歴史を感じる浜松基地の連隊長室の扉。そこを雅臣がノックした。
「はい」
こちらもおそらく秘書官だろう中佐の肩章を付けている男性が扉を開けた。
「お久しぶりです。先日はお世話になりました。小笠原総合基地の城戸です」
「いらっしゃいませ。お待ちしておりまたよ」
厳つい顔をしていた中佐が、雅臣を確かめるなりにっこり笑顔になった。そして彼の目線が、雅臣の後ろに控えていた心優へ――。
「お邪魔致します。小笠原総合基地から参りました、園田心優です」
「お帰りなさい。園田中尉。連隊長も楽しみにして待っておりましたよ」
お帰りなさい――。そんな言葉をかけてもらえるとは思っていなかったので、心優はおもわず涙ぐみそうになってしまった。
「どうぞ、どうぞ。暑かったでしょう。いま冷たい飲み物でも準備致します」
「お構いなく、高槻中佐」
「いえいえ。させてください」
そうして高槻中佐はいそいそと秘書室へと下がっていってしまった。
連隊長室にはいると、滑走路が見える窓辺の前に大きな机。小笠原でもそうであるように、この基地の長もそこに悠然と構えている。
「おう、お疲れ! 小笠原から遠かっただろう。待っていたよ。座って、座って」
白髪の短髪頭、でもミセス准将と同様の碇の刺繍がある肩章をつけているおじ様が、デスクから立ち上がり、目の前にある応接ソファーへと促してくれる。
「お邪魔致します。石黒准将」
雅臣に習って、心優も一緒にお辞儀をする。が、石黒准将がずんずん近づいてくる。しかも心優の目の前に来ると、両肩をぎゅっと握りしめられる。
「園田君。お帰り! 待っていたよ!」
大きな声が、これまた自分の父親とおなじで、心優は久しぶりに体育会系おじ様に圧倒されてしまう。
「その節は大変お世話になっておりました。なんとか無事に、いまの職場でも勤めております」
「そうじゃないだろ!」
ほんとうに心優の父親並みの大声を目の前で放たれ、心優はおもわず肩をすくめる。
「結婚、おめでとう! まさかこのソニックを選ぶだなんてなあ!!」
え、選んじゃいけなかったの? と唖然としたが、目の前は将軍様、心優はなんとか笑みを浮かべて続ける。
「は、はい。あ、ありがとうございます。わたし自身も、自分が結婚するなんてびっくりしているのです」
思わずそう言っていたのだが、石黒准将がちょっと驚いた顔をしている。でもすぐにガハハと豪快に笑い出した。
「なーにいってるんだ。それは雅臣のほうだろ! なあ、雅臣。おまえが結婚するなんて、びっくりだよなあ」
「ひどいっすねえ。教官ったら」
雅臣が急に慣れ親しんでいる口調に転じたので、心優は目を丸くする。
「こいつ、女はてんでだめだったから。なあ」
「そんな俺が若かった時の話はしないでくださいよ」
「長沼や橘からも聞いているぞ。おまえ、横須賀でも女はてんで――」
「わー! もう言わなくていいですから!」
どうやら、おじ様パイロット達が連携して雅臣を見守ってきたようで、なんでも筒抜けのようだった。
そして心優ももう既に『お猿さんは女の子には負け猿』と知っていたので、なんだか笑いたくなってきた。
「よかったなあ。こんな気だてのよい真面目なかわいい若い子を捕まえられて。園田君、女にはだめな男だから頼んだよ」
「はい、石黒准将」
素直に返事をすると、そこは本当に心から安心してくれたようにして石黒准将がほっとした優しい笑みを浮かべた。雅臣はいつもの如く、負け猿さんの困った顔をしているまま。それを心優と石黒准将はそっと笑ってしまっていた。
正面に石黒准将が腰を据えたのを確かめ、それから雅臣と一緒にソファーに座った。
石黒准将はまた、正面に揃ったふたりをしげしげとみつめて、やんわりと微笑んでいるだけ。
でもしばらくすると、感慨深そうに話し始める。
「無事に、ふたりでT-4にてフライトができたと報告が来た時は、知らされていたものの、『ほんとうにやったんだ』と驚かされたねえ」
「御園准将と石黒准将そろっての配慮のおかげです。ご協力くださいまして有り難うございました。本日はその礼も伝えたくてやってきました」
雅臣が深々と頭を下げたので、心優も一緒にお礼のお辞儀をした。
「なんだって。園田中尉に搭乗するための訓練をさせたら、候補生の基準をクリアしていたそうじゃないか。しかもその後の適正もしっかりあったとか」
「自分も小笠原に帰る前に知らされて驚きました。ですが、彼女は元々選手団に在籍していたほどのアスリートです。それも当然かと納得したものです」
「なるほどな。しかも、葉月ちゃんがねえ、『絶対に絶対に園田には内緒ですからね。そちらから漏れないようにしてくださいませ!』なんて、もう1ヶ月の間何度も何度も釘を刺されてさあ。普段はそれほど喋りもしないのに、あの彼女がすごい剣幕でびっくりしたよ」
え、そうだったのですか――と、雅臣と一緒に心優も驚いた。
それに。こちらのおじ様准将も、横須賀で大ボスだった長沼さん同様『葉月ちゃん』と親しそうだった。これなら雅臣を預けて、内緒に研修もできたわけだと心優も納得。
そして心優も改めて、礼を伝えたい。
「わたしのお祝いと聞いて驚きはしましたが、常々、ソニックというパイロットがどのような空を見てきたのかこの目で見たかったので、とても嬉しかったです。浜松基地で研修中の時からのお気遣い、そして城戸大佐への飛行許可があればこそでした。わたしにとって、一生の想い出です。この目に焼き付いています、皆様が見てきた空が……。私にも与えてくださって、感謝致します」
そう告げた心優を見た石黒准将が、あんなに溌剌とした元気いっぱいのおじ様だったのに、急に涙ぐんだ顔。また心優は雅臣と一緒に面食らう。
「いやあ……。そういってもらえる女の子と結婚することになったんだな。雅臣は……。ほら、なあ。なんともなくても女の子には弱い男だったけど、事故のこと……、この近所で起きたことだったから……」
そこまで言って、石黒准将がハッとして口をつぐんだ。
「申し訳ない。当時もこの基地にいたものだから……」
「いいえ。あの時、教官も俺が運ばれた病院にすぐにすっ飛んできてくれましたね」
「一度しか会わせてもらえなかったけれどな。でも、俺もパイロットだったから、おまえの気持ちが痛いほどわかって辛かった」
「もう大丈夫ですよ。俺。空ともコックピットとも決着つけました。いまは、雷神と一緒に飛べると思うことも多くなってきました」
「そうか。よかった……。……やっぱり彼女にそういう力があったのかな」
事故の話になるとしんみりする。でも、思い出して辛そうなのは雅臣ではなくて石黒准将の方に見える。雅臣はもうなにもかもが清々しく通り過ぎて言ったが如く、優しく微笑んでいる。
「あのミセス准将までもが、俺の前で涙を流したぐらいだ。余程の思い入れだったのだろう」
滅多にないだろう彼女の姿は、石黒准将にも印象的だったよう。でも雅臣もそこはもう……穏やかに受け入れて驚いたりしない。
「今度は俺が、あの人を助けたいと思っています」
すると雅臣は、手に持ってきていたビジネスバッグを膝に置くと鞄の中から、エレガントな蔦と葉の透かし模様がある封筒を手に取った。
「御園准将から言づかりました。石黒准将に直に手渡して欲しいと」
だが、そこで石黒准将が顔をしかめた。
「嫌だな。それを受け取ったら、なにかに巻き込まれるんだ」
「条件も記されてるかと――」
中身を知っているかのような言い方。極秘の伝言役をいつのまにかミセス准将から授かっていたので、側近である心優はややショックを受ける。
でも。こういうところが、お側で護る秘書官と、上官を補佐する部下の違い。ミセス准将がなにかをしようとその手腕を振るうなら、側にいる補佐の大佐を使う。そういうこと。
そして石黒准将は『条件』と聞いただけで、嫌そうではあったがその封書を受け取った。
「こういうところは……。さすがにお嬢様だな。長沼とやりとりしたって、こんな匂いがするものなんか届かないよ」
受け取ると、石黒准将はそのまま躊躇わずにエレガントな封筒を開けた。中の便箋を広げ、しばらく黙って読み込んでいる。
「あのお嬢さんときたら……、まだこんな字を書くんだなあ。内容と文字がすごいギャップだよ」
それを聞いて、心優は苦笑いを浮かべてしまう。そうご主人の御園大佐が頭を痛めている、奥様の『かわいい丸っこい文字』。石黒准将もちょっとだけ額を抱えて、内容と文字のギャップを埋めたいのか目をパチパチさせている。
「はあ、なるほど。なにを始めたいのか知らないけれど、こっちにいる教官をよこせとあるな」
彼の顔が強ばった。きっとあのミセス准将のこと。それをしてくれるのが当たり前のように伝え、またそうしてくれないと貴方達が損をするぐらいのことでもふっかけていそう――と心優にはそう感じることができる。
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