17.眼鏡の大佐は、超不機嫌

「子育てはどこで、か」


 まだ自分には先になる他人事だと思っていたのに。では、自分だったらどうすると考えたら、雅臣の頭の中にもそれが占め始める。


 いやいや、いまはとにかく『コードミセス』を『先輩達より早くやっつける』こと。


「ミラー大佐が三日だと? 橘大佐が五日か」


 早くて二日目に勝てば、俺が最速記録。遅くても五日で自分を育ててくれた隊長とタイ。最低でも五日で攻略したい。そんなことばかり、雅臣は悶々と考えている。


 その想いを秘め、雅臣は夕方、工学科へと向かう。

 橘大佐から『業務後の対戦を許可して欲しい』と申し込んでくれている。御園大佐が待ちかまえてくれていることだろう。


「お疲れ様です。お邪魔いたします」

 工学科科長室は小さな事務室。でも、ここは『隠密室』とまで呼ばれている。ミセス准将のみならず、副連隊長の海野准将も、連隊長の細川少将だって彼を頼りにここを訪ねてくる程で、工学科科長室など表向きの部署ではないかとさえ思えてくる。


 そんな『御園工学科科長室、大佐殿』の部屋を訪ねると、少数精鋭の事務官達がいつも丁寧に迎えてくれる。


「いらっしゃいませ、城戸大佐」

「お疲れ様です、吉田大尉。御園大佐はいらっしゃいますか」


 長年、御園大佐の補佐官を務めてきた吉田女史は、ラングラー中佐の奥様。彼女がいつも笑顔で迎えてくれる。


 だがこの日は、ちょっと躊躇った顔でいつもの応接ソファーへと目線を流した。事務デスク群の向こう、窓辺側には衝立ついたてがある。その向こう、窓辺には応接セットのテーブルとソファーがある場所だった。人目につかないように配慮されているが、そこから大佐の声が聞こえてくる。先客がいたようだ。


「こんなもの、よくみつけたもんだな」

「素敵だったので、借りてきてしまいました。どんなお気持ちだったのかなと思って……」

「なんで俺に聞きにくるんだよ。葉月に聞けばいいだろう。毎日一緒にいるんだから、園田のほうが」


 衝立向こうの会話が聞こえ、雅臣はドキリとした。そこにいるのは『心優』だった。


「あの、科長。城戸大佐がおみえです」


 気遣ってくれたのか、吉田大尉が衝立の向こうに顔をだして一声かけてくれた。


「あ、城戸君」

「お、臣……、き、城戸大佐」


 二人がそろってソファーから立ち上がり、姿を見せてくれた。


「お邪魔でしたか。その、チェンジの――」


 今日からコードミセスと対戦する。それを心優になんだか知られたくない気がした。きっと彼女が心配する、余計な気遣いを発揮するに違いない。


「ああ、そうだった。チェンジのデータ投入時間か。けっこう溜まってきたから、整理をする約束をしていたんだっけ」


 さすが、御園大佐。心優と雅臣が同棲中の婚約者同士であっても、心優がミセス准将側の人間と心得て、『本来の目的』をおおっぴらに口にはせず濁してくれた。


 それでも心優はすでに案じている表情を見せる。コードミセスと対戦するだなんて一言も伝えていないが、あのデータに負けた婚約者のことを案じてくれているのだろう。


 その奇妙な空気を打開してくれたのは、黒髪の女史、吉田小夜大尉。


「これ、懐かしいですねー。当時、話題になりましたもんね。この広報記事!」


 心優が持ってきたと思われるずいぶんと古びた広報誌、それがテーブルに広げられている。吉田女史がそれを手に取り、雅臣にも見えるように持ってきた。


 その途端に、御園大佐が顔をしかめた。


「やめろよな。いつのまにか撮られているし、勝手に掲載されるし、まったく」


 御園大佐はふいっと不機嫌そうにそっぽを向いた。だが、雅臣はその記事を見て、懐かしさを覚える。


 心優が持ち込んできた『広報誌』には、夕焼け色に染まった甲板、一機のホーネットが掲載されている。そのホーネットの尾翼にはスズメバチのイラスト、機体番号末尾は2。『ティンク』の機体だった。


 燃えるような茜に染まっている戦闘機のキャノピーは開けられていて、コックピットには髪が長い女性パイロットが。かけられている梯子に登ったてっぺんには黄色ジャージをつけている甲板要員の黒髪男性がいる。その女性と寄り添うようにして水平線を眺めている後ろ姿だった。お互いの表情はみえないが、見えないのに、その二人がそこで明日のことを語っているのがわかる姿だった。


 そのページの見出しは、『明日、ティンク引退』というタイトルだった。

 記事には『夫妻』ともなんとも記されていない。でも誰が見ても、葉月さんと隼人さん。雅臣の記憶の中からふっと湧き上がってきた。


「あ、俺も見覚えあります。確か、葉月さんがラストフライトをされた頃……、ご出産の後でしたよね。ついに葉月さんがコックピットを降りてしまうんだと、なんだか俺たちまで切なくなったこと思い出しますね……」


「そうそう。葉月さんがコックピットを降りる前日の甲板よね……。四中隊で葉月さんの側近だったテッドも、しょんぼりして甲板から帰ってきたことを思い出すわね」


「おふたりが一緒に広報誌に掲載されたのは、わたしが少尉に昇格した時に一緒に写ってくださった撮影が初めてだとお聞きしていたのに。本当はもっと以前にご夫妻で掲載されていたんだと驚いたんです」


 夫妻が初めて広報誌に掲載されたと騒然となったと同時に、夫妻の間にまだ名も知られていない心優が写っていたことも話題になった。

 その当人であった心優だからこそ、それ以前に夫妻で広報誌に掲載されていたことに驚いたのだろう。


「園田さんの時の記事は、ご夫妻が『正式』に掲載されたのが初めて――なのよ。この夕暮れの甲板の時は、広報が気遣って『そばにいる男性は結婚した御園中佐だ』とはわざわざ公表しなかったのよ。なんといっても、あの葉月さんのお兄様的存在でもあったロイ=フランク中将が、妹分の葉月さんと弟分でもあった隼人さんを驚かせるのが大好きで、当時の小笠原連隊長のちょっとした悪戯的お祝いでもあったのよね」


 この基地に長くいる吉田大尉から聞かされる初めての裏話に、当時は新人だった雅臣も、初めて聞く心優も『そうだったのですか』と共に驚いた。


「フランク連隊長は、いま連隊長秘書室にいるシド=フランク大尉の義理のお父様ですよね」

 心優がわざわざ確認をしたが、雅臣は知らないふりをする。

 吉田大尉はなにも知らないだろうから、笑顔で心優に『そうよ』と答えてくれた。


 だが、御園大佐は嫌なことを思いだしたのか不機嫌さは増すばかり。


「まったく、これを初めて見た時はドキッとして心臓が飛びだしそうになったのを思い出すよ。葉月も驚いて、連隊長室に抗議に行ったぐらいだ」


「あの葉月さんをやりこめると言えば、ロイ兄様ぐらいでしたものね」


「当時は結婚したばかりだったし、俺が婿養子になったことも逆玉の輿だの、財産狙いだのさんざん言われたもんだから、夫妻での写真を掲載されることには細心の注意を払ってきたのに、あのロイ兄さんは、まったくなんというか、やってくれるというか」


「公表はされなかったけれど、されなくとも一目見ればわかりそうな写真掲載。でも、ご夫妻の空での疎通をみせつけた一枚でもあったでしょう」


 御園大佐は当時、やり手の兄様に度肝を抜かれた若僧としての情けなさを思い出しているのか、まだふて腐れたまま。でも、吉田大尉はうっとりしていた。そして心優も……。


「最近、小笠原基地のいままでの歩みを学んでおこうと、書庫にいっては広報誌を眺めていたんです。そうしたら、これを見つけて……」


 夕焼けの、公表はされていない『ふたり』の姿。心優は感慨深そうに見つめ、でも、ちょっと雅臣を見て躊躇っている。


 それでも不機嫌そうな御園大佐へと心優は意を決したように問うた。


「引退前の奥様と、ここで何を語っていらっしゃったのか、知りたかったんです」


 パイロットの気持ちを知ろうと、心優はいつも躍起になる。イコールそれが、夫の気持ちを知ることだからなのだろう。


「ここに写っている男は俺かどうかは、非公表ゆえ黙秘する。俺でなければ、その男を探して聞いてみればいいだろう」


 そういうと、御園大佐はさっと広報誌から逃れるようにして、科長室を出て行こうとしている。雅臣はハッとする。


「御園科長! チェンジの……」

「ごめん。いま気分が悪い。ひと息ついてから、チェンジに行くから待っていてくれ」


 眼鏡の奥の目が冷めていた。


「もう、隼人さんたら素直じゃないんだからー」


 吉田大尉が溜め息をこぼした。


「申し訳ありません。お遣いのついでにと思って、わたしが無神経に昔のことを聞いたから……」


 自分が持ってきた広報誌をきっかけに、科長殿が不機嫌になって出ていってしまったので、心優がしょんぼりとしてしまった。


「葉月さんを想う気持ちを晒されたくなくて、照れているだけなのよ。この写真を掲載された時も、ロイ=フランク連隊長に『引退前の妻を想う夫』としてこっそり掲載されたから、知らぬ間に晒され、丸裸にされた気持ちになったのを思い出してしまったのでしょう。若い園田さんと二人きりだったらそっと話してくれたかもしれないけれど……。昔を知る私が首を突っ込んだうえに、同性の男性である城戸大佐が来られたから、本心を知られまいと意地を張ってしまっただけなのよ。若い時の御園大佐って、あんなところあったもの」


 はあ、そうなんですか? と、心優と雅臣は一緒に首を傾げた。


「ごめんなさいね。でも、隼人さんも懐かしかったと思うわよ。それに、思い出しちゃったんじゃないかしら。葉月さんをどうしてもコックピットから降ろさなくちゃいけないという惜しい気持ちも、ご自分の手で『ティンク』を甲板から見送っていた、甲板での全盛期をね……。これがお二人の最後の甲板だったんだもの。私だったら切なくなっちゃうな。しかも若い時の、いちばん彼女や彼にドキドキしていた時でしょう。四十過ぎると懐かしいどころか、取り戻せない宝石みたいなものだもの」


「……夕焼けの、わたしも、思い出すことがあります」


 心優がそこでネクタイをしている胸元のシャツをぎゅっと握った。いつの夕焼けを言っているのか雅臣もわかってしまい、ドキリとした。


「私もあるわよ。夕方の官舎で、会えばテッドと喧嘩ばっかりしていた思い出ね!」

「あのラングラー中佐と喧嘩できるって、想像つきません」

「俺もですよ。ラングラー中佐がムキになっているところなんて見たことありません」


「まあ、テッドは私のこと『小夜の勝ち技は、口からマシンガン』と言うからね。私、口ではテッドには負けないの」


 心優も雅臣も、この吉田大尉が御園大佐に『なにをのんびりしているんですか、科長!!!』と捲し立てているのを何度も見ていたので、『なるほど、目に見える』と納得して一緒に笑ってしまった。


「そこでカップコーヒーでも一杯飲んできたら帰ってくるわよ。あなた達も一杯の休憩でもしていきなさい」

「いえ、自分はチェンジのデータを先に投入しておくと伝えてください」

「わたしも、お遣い途中なのでここで失礼いたします。余計な質問をしたお詫びを御園大佐にお伝えください」


「大丈夫よ。園田さんは科長の大事な教え子なんだから。俺になんでも相談して欲しいと思っているようだから、ほんとうはなんでも答えたかったのに今日はできなかっただけよ」


 心優はその広報誌を小脇にして、そして雅臣も本日のデーターを小脇にして、二人そろって御園工学科科長室を失礼することにした。


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