26.ゴリ母さんらしくない?
真っ黒なレザーファッションで現れたゴリライダーのお母さん。
息子の帰省が待ちきれなかったのか迎えに来ちゃった? 浜松基地の正面門で堂々と待ちかまえていた。
「雅臣、ついてきな」
どうして待っていたのかなど告げもせず、アサ子母は運転席にいる雅臣へ視線を向けると颯爽とヘルメットをかぶりバイクにまたがる。
ドウンドウンドウン! けたたましいエンジン音だったが、警備隊員の青年達が『すげえ』と身を乗り出すほどに、ゴリママのカッコイイ後ろ姿を見せてくれる。
「はあ、なんだよ、もう」
でも息子の雅臣はそんな母さんは当たり前見慣れているとばかりに、ほんとうに普通の息子の反応。めんどうくせえなあとハンドルを握った。
アサ子母のバイクが発進する。雅臣と心優も警備に敬礼をして基地をあとにした。
浜松市の車道を行くライダーの母親。それについていく息子のレンタカー。
「お母さん、待ちきれなかったのかな」
助手席にいる心優はわざわざ迎えに来てくれたのはどうしてか気になってしまう。
「うーん。本当に来てくれるか心配だったんじゃないかな。この前、小笠原の基地で、准将室にあんな大迷惑かけちゃったもんだから。心優があとになって『つきあえる家族じゃない』と避けられないか心配していたのかもな」
「わたしは気にしていないよ。大騒ぎでびっくりしたけれど、アサ子お母さんに会えたことも、ユキ君とナオ君に会えたことも楽しかったし嬉しかったよ」
「でも、拭えない不安ってやつなんだろうな……。俺がひとりで帰省していたらどうしようとか思っていたのかも」
ハンドルを握って、前を行く母親のハーレーから目を離さないながらも、雅臣の眼差しが翳ったのを心優は見る。
「それも……。塚田さんの奥さんが……来た時のこと?」
「じゃないかな」
「お母さんと彼女さんの間でなにかあったってことなの」
「わからないし、あったとしても過ぎたこととして片づいていると思っていた。でも……。こんな母さん初めてだよ。すげえ放任主義で、俺が航海任務から帰ってきたからって横須賀の港に出迎えに来たのも最初だけだったし、帰省するからって新幹線の駅までお出迎えだってなかったよ。大人になったんだから勝手に帰ってこいみたいなかんじでさ」
雅臣もいまここで、ハーレーダビッドソンに乗ってわざわざ母親が迎えに来たことになにやら懸念を持ち始めたようだった。
「大丈夫だよ、臣さん。もうそんな気持ちも今回でなくしてもらおうね」
なにがあったか知らないけれど、心優はそうしたいと思っている。
できれば。塚田中佐と臣さんの間にある小さなわだかまりもなくなってほしいな……と。
それにしても……。目の前のアサ子母のバイクさばき? 素晴らしい。なにげに臣さんもお母さんの巧みなコース取りについていっている。こういうところ、元々乗り物ライダー気質だったのかなと思ってしまう。
アサ子母のバイクが大きな通りから、ついに脇の住宅地へと左折した。
何軒も一軒家が並ぶその町並みは、雅臣が子供の頃に開発されただろう住宅地という雰囲気。新築ではない住み慣れ街として時を重ねてきた空気を感じる大きな木が植えてある庭が続く住宅地。
「姉ちゃんも、この近くの中古住宅をリフォームして住んでいるんだ。だから毎日通っているみたいだな」
「そういえば。お義兄さんて大工さんだったよね」
「そうそう。兄ちゃんがリフォームしたんだよ。双子が住みやすいようにってね」
双子のためのリフォームと聞いて、心優は見てみたいと微笑んだ。
「おー、見えてきた。あれが俺の育った家な」
目の前、黒いライダーがハーレーダビッドソンを停めて降りている家の前。その家を見て、心優は言葉が止まってしまった。
周りは昭和の名残がある造りの自宅ばかりなのに。アサ子母がバイクを止めた家は、基地のアメリカキャンプの平屋の官舎のような造りで、少し雰囲気が違う。
「え、臣さんの実家って」
雅臣もちょっと溜め息をついた。心優がそんな反応をすることがわかっているかのように……。
「まあな。母さんも父さんも、アメリカかぶれっていうのかな。子供の頃目立った家だったんで、みーんなが遊びに来たがったもんだよ。ほら、母さんがビッグサイズだからさ。父さんがアメリカみたいなの建てればちょうどいいんじゃないかって発想だったんだってさ」
はあ……。すごい。心優は感嘆のため息をつく。雅臣が、すんなり小笠原基地に馴染んでいるのもわかる気がした。実家からして既にアメリカ並みだったんだと。
「母さんの時代の若者はアメリカに憧れる時代でもあっただろう。そういうのに、父さんも母さんものっかっていたみたいなんだよな」
そこで心優は急に緊張していた。そういえば、影が薄かったけれど『臣さんパパ』ってどんな方?? ゴリ母さんのような豪快な女性と結婚して、なおかつお母さんと一緒にアメリカかぶれにのっかれて、さらにこんなアメリカオールディーズみたいなお家をもっともっと前の時代に建てようと言い出せる、ほんとにやっちゃった人って……。
「……臣さんのお父様って、どんな方?」
「え、普通のサラリーマンだよ。いまは塾で英語の教師をしているけど」
英語の先生!! ああ、臣さんが英語もなんなくぺらぺらだったのも発音がきれいだったのもそのせい??
「お、臣さんって。話してくれなさすぎ!」
実家付近で傷ついた過去がある人だから気遣って実家のことを聞かなかった自分も自分だけれどと心優も思えど、雅臣ったら当たり前のようにすごいこといっぱい隠していてびっくりする。
「いや、話すほどのことじゃあないだろ。……あの豪快な母ちゃんに比べたら、父ちゃんは普通すぎるし」
どこが! お父様だって英語の先生なら国際基地の大佐殿が育った要素の一因でもあるじゃないといいたい。
この大佐殿。国際基地で秘書官やパイロットや大佐になれる要素、いっぱいいっぱい詰め込まれていた人だったんだと痛感させられる。
「もっと聞いておくべきだったよ……」
「そうか? 俺の家よりも心優の実家の方が凄いじゃないか! お母さんはアスリートを支える栄養士で、兄ちゃん二人は格闘家、父ちゃんに限っては横須賀で格闘訓練の凄腕教官じゃないないかよ。そりゃあ、心優みたいなすらっとしていてもしなやかな身体の強い女の子が育つわけだよ。俺だって、明後日の兄ちゃんと初対面、緊張してるんだからな」
「お酒を呑まされるだけだよ」
「マジかよ、おいー」
大佐殿。これまで緊急事態に備えてアルコールは控えめの生活を送ってきたので、それほど飲み慣れてない。でっかい兄ちゃんズにもみくちゃにされちゃいそうと心優は予測していた。
「そっか。お父様にいまからお会いするんだよね。あのお母様の旦那様ってことだよね、緊張してきたよ……」
「大丈夫だって。母さんが、英語教室に通っていたのと、音楽の趣味が合ったのと、母さんのこざっぱりしたところが気に入ったとは子供の頃から聞かされているよ。ああ、冗談で『男友達の親友みたいだった』とか言っている」
でもそのお父様って凄い――と心優はますます緊張してきた。
ついに雅臣が家の前にレンタカーを駐車した。
心優は恐る恐る車を降りる。ついに、ついに。大佐殿のご実家に来ちゃった!!!
―◆・◆・◆・◆・◆―
車から降りるなり、黒レザースタイルのアサ子母が心優の背後からのっそり現れた。
「心優さん、いらっしゃい。待っていたよ」
小笠原でも見せてくれたビッグママを思わせる笑顔を見せてくれ、心優もホッとする。
「お母様、お邪魔いたします」
「母さんでいいよ。実はさ、葉月さんからもお母様って言われるとあれ、めちゃくちゃくすぐったくて恥ずかしいんだよ。でもあちらはお嬢様育ちで当たり前みたいだからさ――」
確かに。母様に父様、特に『兄様』が何人も出てきて心優はいつも誰がどの人なのか区別するのに苦労している。と、ちょっと考えている心優を、アサ子母がとてつもなく真顔で見下ろしているのでドキッとした。
あ、上の空だったかな? なにか返事をしなくちゃ……と焦ったのだが。
「じゃ、じゃなくて、み、心優さんがお嬢様ではないって意味ではないんだよっ」
心優じゃない。心優の反応を汗をかきながら伺っていたのはゴリ母さんのほうだった。
葉月さんはお嬢様だからあの言い方は仕方ないけれど、心優さんはお嬢様みたいにしなくていいと気遣ってくれた言葉が、逆に心優はお嬢様ではないと言ってしまったと焦っているんだとわかった。
そんなゴリ母さんがなにかに怯えている姿はどこか痛々しくて、心優も哀しくなってくる。
「いいえ。わたしは体育系一家の末っ子ですから。葉月さんはほんとうのご令嬢なのですけれど、わたしはあの方の側近なのでつい『様』と呼ぶくせがついているだけなんです。えっと、アサ子お母さんと呼んでもいいですか」
「も、もちろんだよ! あ、雅臣、ちゃんと心優さんの荷物ももっておいでよ。あんたの部屋、空けておいたから。そこ二人で使いな」
「わかってるよ。いまほら、ちゃんとやってるだろ」
女同士の挨拶の合間に、雅臣もちゃんと車のトランクを開けて自分と心優のスーツケースを出してくれている。
「さあ、おいで。父さんも、真知子も、双子も楽しみに待っていたんだよ。今日は焼き肉だ。大食らいばっかりだから遠慮なく食べてって」
「はい! 嬉しいです!」
「あ、心優さんも大食らいって意味ではなくて……」
また……。これ、もしかして相当な重症? 心優の方がヒヤッとしてきた。
「お母さん、わたし大食らいで、上司だった雅臣さんが驚いて死ぬほど笑い転げたことがあるんですよ」
明るくいいのけた心優を、アサ子母がきょとんとして見下ろしている。
「そうかい。よかった。いっぱい準備してあるからさ。いっぱい食べていきな」
「はい」
ゴリ母さんが優しく心優の背を押してくれる。『こっちだよ、おいで』と。
やっぱりこの手がお母さんらしくていいな――。心優はそう思っている。
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