6.華奢な女性が好きですか?

 結婚すると決まっても、やっぱり愛する彼の口から『過去の女』のことを語られるのは辛い。


 格闘家として育った心優とは、正反対をゆく清楚なカノジョだったと聞けば、なおさらに胸が痛い。


 いや、それでも我慢。これは過去に彼とカノジョとお母様の間になにがあったかを知るため。今後のため。心優は堪えて耳を傾ける。


「でも。いま思えば、全然タイプじゃなかったし、あそこまで品良すぎると、俺もごめんってヤツだな。ほんとカノジョの機嫌ばかり伺っていたよ」


 疲れ切った溜め息を雅臣が強く吐いた。


「そうなの……」


「体格差なんて関係ないと思っていたんだけれど。あるんだなと――。合う女とは極上だってね。心優とセックスをして初めて思った」


「え?」

「だから、」


 自分でなにを言いだしたのか、雅臣も我に返ったようだった。さらっと『セックス』と言ったくせに。お猿の大らかさと勢いで言っちゃったせいか、いまになって真っ赤になっていた。


「つまり。俺は、心優に出会って、なにもかもがすんごい良かったから、ぴったりだったから、すんげえ幸せってことなんだよ」


 それだけ言い放つと、臣さんからぷいっと顔を背けてしまった。よほど恥ずかしかったのか、じいっと珊瑚礁が見える窓を見つめたまま。


「臣さん……、あの、わたし、ずっと……。臣さんって、ちっちゃいかわいい子がタイプで……」


「俺、いつ、そんなこと言ったか」


 言っていない? そういえば、言っていない?? 心優の思いこみだったということ?


「そりゃ、日本女子標準体型となると、俺から見るとほとんどの子が小柄で華奢だよ。かわいい女の子は横須賀にいっぱいいたし、声をかけられたら男として気分は良かったし……、あっちからかけてくるし……、気に入ればすぐにつき合えたよ」


 スワローの優等生で、エースパイロット。コックピットを降りてもやり手の将軍秘書官、中佐殿で秘書室長。お猿の微笑みは愛嬌があって憎めない、そのうえ男前フェイスの臣さんは、やっぱり女の子が憧れるエリート。あっちから臣さんを狙って近づいてくる。


「標準体型の彼女たち全てがそうだから、俺の過去のカノジョたちだってそりゃ、小柄で華奢ってことになるだけだろ」


 は、そういえば。そういうことになるんだ――と、心優も初めて気がつく。身長がある心優でさえ、雅臣が抱きしめると華奢な女になれるのだから。自分が背丈がある女だから、余計なコンプレックスがそう思いこませていたらしい?


「でも。女の子は俺の経歴で近寄ってくるけれど、それで満足ってわけじゃないんだよな。その後の、毎日のやりとりに、毎日の生活の仕方。そこがもう全然違うんだよ。塚田と結婚したカノジョだけじゃない。多忙な俺に、毎日早く帰ってきて一緒にいて欲しいと泣く子もいたし、いますぐにでも結婚したいと騒ぐ子もいたし、塚田のカノジョはそれでも気のいい女性で付き合いやすかった方なんだよ。それでも、うちの実家を見てから急に、俺のことが『猿にしかみえなくなった』とかね――。秘書室にいるとボス中心の生活だから、彼女達は二の次。では一緒にいる時になにするって、できること、愛してやれることって一緒に食事をしてデートとか部屋で一緒に過ごすとか、ひとつかふたつしかないだろう」


 やってあげられる愛し方が、食事とセックスのひとつふたつだけ? うーん、猿って言われるかも? と心優も思ってしまった。だがそこは雅臣も若かったのだろうし反省もしている。


「わかってる。それだけじゃなくて、もっと彼女達と他愛もない話をすればよかったとか、ちょっとの気遣いができる言葉をかけてあげれば良かったんだとか。そこは俺も反省している、女心がわからなくて悪かったと」


「それで。その品の良いカノジョとお母様が対面した途端に別れちゃったから、お母様が気にしているの?」


「偶然なんだよ。……まあ、確かに。カノジョからしたら積もり積もったものがあったうえで、実家を見て決意したとも取れるんだけれど。そこは母さんには伝えていない。でも女同士でなにかあったのか、カノジョは浜松の帰りにもう母親を拒絶していて、母さんは『母さんのせいで、カノジョに嫌われたんだ』と思いこんでいるんだ」


 女同士でなにかがあって。思いこんでいる? これは、もしかしたら……。心優はまた心臓がドキドキしてきた。


 それって、それって。男にはわからない、女にしかわからない『バトル』があったってことじゃないの! と。


 そして前回は、縁を切ったのはカノジョの方で、縁を切らせてしまったのはゴリ母さんで、お母さんはその原因を知っていて? それを気にしていて、でも息子には話していない予感!


 もしかすると、これって。今回も、心優とお姑さんの女同士ではないと乗り越えられない何かがあるのかもしれない。


 また妙な不安が襲ってくる。いったい、前カノさんと何があったのだろう?


「心優。大丈夫か。でも、それはカノジョと母さんだからの結果で、心優がそうなるわけじゃないと思っているから。それに、母さんの方がなんか傷ついているんだよな……。かといって、いま塚田の奥さんになったカノジョに問いただそうなんてしたら、塚田が気にするだろうし」


「そうですよ。もう塚田ご夫妻なんだから、そっとしておいてあげないと。でも、そうだね……。お母様がなにを気にしているかわからないけれど、大丈夫。だってわたしもガハハ家庭で白飯大盛りの取り合いをして育ってきたんだから!」


 と、元気良く返してみたら、ひさしぶりに大佐殿が唖然とした顔に。そしてあの頃のように、ケラケラと笑い出した。


「あはは! 懐かしいなあ! 心優がホルモン焼き屋で『ライスは大、二杯は行きます』――と言ったの!」


「もう。そうですよ。わたしはボサ子で、品の良いお嬢様ではありませんっ」


 笑われて、今度は心優がそっぽむく。


「あー、笑った。こうして大笑いできるのも、心優だからなんだよなあ。あー、話せて良かった。なにか飲むか」


 笑いすぎた涙目のまま、雅臣が自販機に向かう。心優は『レモネード』と答えてしまう。


「あれ、葉月さんの影響か? チョコレートといい、レモネードといい。仲良しだな」


「そうかも。いろいろとおいしいもの知っているんだもの。子供っぽいものも、大人の女性の嗜みみたいなものも」


 雅臣はアイスコーヒーを買う。それぞれのドリンクを片手に、ベンチに座った。


 雅臣が開けた窓から潮騒。潮の香。そして珊瑚礁の海。基地の中なのに、その窓辺に切り取られたものは、わたし達が好きな『青』ばかり。


「心優となにもかもぴったりなのは。きっと、出会うまでに同じものを見て目指してきたからだと思う」


 穏やかな横顔の雅臣がふっと呟いた。

 心優もそう思う。


 いつか日の丸を背負って、金メダル。

 日本の防衛のために、空を飛ぶ。

 そのためだけに、その一点だけを目指してきた者同士。


 いちばん欲しいものはそれだけ。そのためなら、他の楽しみは気になっても、いまはいらない。


 そうすると、ごく一般的な娯楽で楽しむ同世代の青年に女子とは異なる感覚にもなる。そこは承知の上。


 目指す、極める、脇目もふらず、一心に。それを失った時にどれほど哀しい目に遭うかもわからず、わかっていてもそれでもかまわないと――。


 だから。心優には雅臣が、雅臣には心優が、ふたりにだけしかわからない、ふたりだけの符号がある。


 それを、心優はやっと知った気がした。


 話せて良かった――。

 大丈夫。わたし、きっとお母さんとうまくやってみせるから。


 そう思って。いま見える珊瑚礁と風は、レモン風味。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 日が長い夏の夕。空はまだ明るいけど、カナリヤ色の三日月が輝き始めている。


 その空からジェット機が、基地前の滑走路目指して着陸をするところ。


 管制塔近くにある一室は、基地へと入場できるチェックゲートがある部署で、横須賀基地で身元証明にて許可されて搭乗してきた訪問者であるが、再度小笠原でもチェックをする。


 そのチェックゲートの待合室にて、心優は雅臣と一緒に城戸の母を待っている。


 滑走路側のドアが隊員によって開けられ、そこからスーツ姿の営業マンらしき男性や、休暇で本島まで遊びに出掛けていたアメリカ人ファミリーが入ってくる。


 最終便のせいか、遊びに出掛けていた隊員や家族が多い。ゴリ母さんらしき人はまだ見当たらない。


 雅臣もじれていた。


「ほんとうに間に合ったんだろうな。新幹線を降りてから、横須賀までは普通電車かバス移動なんだよな。横須賀基地は何度か母さんも来ているから大丈夫だと思うけれど」


「それなら大丈夫だよ。初めてじゃないんだもの」

「でもなあ。母さんらしき人がいないなあ」


 背の高い雅臣が列の最後まで、背伸びで確かめたが、息子の目で見てもみつけられないよう。


 心優も不安になってきた。勢いで『いまから行く!』と言いだしたお母様、途中でなにかあってやめたのだろうかと。


 予定とは違うご挨拶なってしまってやや憂鬱だったが、ここでまた会えないとなるとがっくりしてしまう。


 小さな姉弟を連れて首都圏の観光を楽しんできただろうアメリカンファミリーの後は、一人しか並んでいない。


 長身で黒いスーツ姿の、アメリカ人女性?


「え、……母さん?」

「え? あの方?」


 最後は心優ほどの背丈がある黒いスーツ姿の女性。でもタブレットで見たとおりの白金髪頭。


 雅臣もやっと認識したようで、チェックを終えたその女性へと駆けていく。


「母さん! どうしたんだよ、その格好」


 背丈があるといえども、息子にはだいぶ越されてるその女性が雅臣を見上げた。


「どうしたんだよって、母さんだって弁えた格好をしてきたつもりだけどねえ」


「いつもどおりでいいって、あれほど言ったのに……」


 その会話を聞いて、心優も言葉を失っていた。


 品の良い黒のジャケットとひざ丈フレアスカートに、白いインナーはビジューが刺繍してあるエレガントなもの。髪こそ白金だけれど、シックなお洒落をしたお母さんそのものだった


 前もってゴリライダーの姿を見せてもらっていたの……。もう知っているのに。ゴリ母さんこそが、心優と対面するのをとてもとても気遣って、いつもの姿はやめて、きちんとしたお母さんの格好をしてきてくれたんだと。


 なんだか……。心優の方が泣きそうになってしまう……。そこまで気遣ってくれたことにも。そこまで何かを気にしていることも。息子のために、好んでいるいつもの姿をやめてまで、らしくない格好に整えてくれたことも。


 そんな心優に、ゴリ母さんが気がついた。初めて目が合う。

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