5.ガハハな家族

 雅臣がなぜ、いままで実家のことを詳しく話してくれなかったのか。その事情が明かされる時に『彼の元カノ』が、彼の口から飛び出した。


「聞いていいの? その時、臣さん、塚田さんの奥様に、その、結婚の……」


「意識はしていた。でもお互いに結婚について話し合ったことはない。でもカノジョも意識して浜松についてきたんだと思う」


 心優はショックを受ける。いまは自分が確実に婚約者なのに、自分より前に婚約者にしようとした女性がいたんだと。どうあっても結婚するのは自分だとわかっていても。


「いままでも女の子とは長続きしないことが多かった。俺がいつまでも事故のことを引きずっていたのもあるし、女心がわからないっていうのもあるし、『アレばっかりでつまらない』と言われたことも多々ある」


 アレって『エッチ』のことだよね――と、心優は眉をひそめる。


「あ、今のカノジョにこういうこと話しちゃいけなかったんだよな」


 いけね、俺またデリカシーのないことやってると雅臣が慌て始める。


「ううん。今回は意味が違うよ。臣さんのご実家と関わるのに、前はだめだったことがなんだったのか知っておかないと、お母様が気にされるなにかがあったのでしょう。わたしにそれを教えて」


「教えなくても。俺は心優と母さんが上手くやれると信じている。母はこだわらない人だし、心優は母の心情をきっと汲み取ってくれる優しい女だってわかっているから、わざわざ話さなかっただけだ。ただ、以前のことがあるので不安だったから話せなかったのもある」


「信じてくれるなら教えてよ。塚田さんの奥さんがカノジョだった時の話でも、わたしは全然構わない。だって、わたし、もう臣さんのカノジョじゃないもの。妻になるんだもの」


 真上にあるシャーマナイトに輝く目に、きっぱりと言い放つ。

 彼もじっと見つめ返してくれているし、ちょっとだけじわっと熱く潤んだようにも見えた。


「心優! やっぱりおまえだけだよ、そう言ってくれるのは!」


 真っ正面からいきなりぎゅっと抱きしめられる。長身のエースパイロットだった身体に抱きしめられると、鍛えている心優でも息苦しいほどの力。しかも、ここ職場! なのに、心優の目の前になんだか上気した頬のお猿の顔がちかづいてくる。戸惑っている内に、ちゅっとキスをされた! きゃー、だからここ職場! と突き放そうとしたがキスは一瞬だけものだったから、お猿が嬉しそうな顔をしているだけ。


「お、臣さんたらっ」


 心優も頬が熱い。きっと真っ赤になっていると思う。それをまた雅臣が『かわいいな』とツンと心優のくちびるをつついたので、もう腰から力が抜けてしまう。


「いや、ちょっとやりすぎた。うん、誰もいなくてよかった」


「誰かいたらどうしたのよ~」


「別に。見られてもいいけど。俺、これだけ園田中尉のこと愛しているから手を出したら承知しねえって意味でも」


「もう、だからって――」


 近頃、雅臣は自信が漲っている。雷神のエースコンバットで『ミセス准将と城戸大佐の対戦が互角らしい』と基地中で噂され、徐々に空部隊の指揮官としての威厳を放ち始めている。


 いまの城戸大佐に立ち向かえる男なんてそうはいない。いたとしても、ひと握り。心優には俺だけ、俺には心優だけと胸を張れるから平気でできてしまうんだと心優は感じている。


 それには心優もうっとりしたい。したいけど、いまここでは一線を引いて!


 雅臣もやっと心優から離れて、珊瑚礁の海が見える窓辺へ。

 そこでやっぱり切なそうな眼差しに変化した。


「カノジョはほんと、塚田のような男と結婚して正解だったんだよ。塚田こそ、カノジョが望んでいた理想の男だったんだと思う」


「理想って? でも臣さんの方が上官だったでしょう。エースパイロットという経歴もあって、エリートという意味では臣さんの方が……」


「そういう目線で見れば、そう、塚田より俺の方が――だよな。たぶん、カノジョも最初はそういう目線だったから、俺に近づいてきたんだと思うよ。でもカノジョが本当に欲しかったのは、『女心の扱いもきめ細やかな、気の利く男性』だってことだよ」


 その目線なら……。確かに。心優はついうつむいて黙り込む。自分も塚田さんという男性が教育係だった時、ずいぶんとお世話になった。あの人は心優が言わないことでも、心優の心情を推し量って、働きやすいように配慮してくれた。心優が秘書室の女性採用で候補になるには、塚田中佐が心優に目をつけてくれたから。だからその『きめ細かい気の利く人』というのは良くわかる。


 対して、雅臣はそうではないかもしれない。彼はそのおおらかな天性で人を惹きつけてひっぱっていく男。彼が選ぶのではなくて、周りの人間が彼に惹かれて寄っていく。向こうから来るから、雅臣はそれを受け入れているだけで、ではその気持ちはどうなのかとなると『なんだか知らないけど、みんながついてくる』なので、それぞれの心情を推し量っている暇もない方なのかもしれない。


 では女心はどちらがわかっている? きめ細かい? 気が利く? といえば。上官を常に気遣ってきた塚田中佐に軍配が上がるのだろう。


 心優はそれでも、そんな人を惹きつけるエースパイロットの天性をもって明るく輝いている雅臣が好き。


 でも塚田夫人はそうではなく、自分のことを大事にしてくれる、常に気遣ってくれる男性が理想ということだったのだろう。


「心優だけだったな。いつまでもコックピットにこだわっている俺を彼女達は疎んじていたけれど、『空に戻りたいんでしょ、それに気がつきなさいよ』と……。俺は空の人間だと、そんな臣さんが好きだと、心優は俺と同じ空を愛してくれようとした。ほんとうに、それに尽きる」


 同じ空を見てくれただろう。あれが俺達の誓いみたいなものだった――と、雅臣は川崎T-4に心優を乗せて、最後のフライトをしたことを今でも幸せそうに話すことがある。


 そう。タイプだとか、タイプじゃなかったとか。そんな次元で想い合っているわけじゃない。わたしと臣さんは空で繋がったんだから。心優もそう思えてそっと微笑み返した。


「でも。臣さんが理想の男性ではなかったぐらいで、どうして浜松のお母様が息子のお相手のことで気に病むの?」


「ゴリ母ちゃんだからだろ」


「意味わかんないよ。確かに一風いっぷう変わったお母様だけれど、ライダー一筋で生きてきたならあのスタイルは当然だと思うし、素敵だとわたしは思うよ」


「だろ。心優は絶対にそういってくれると思った。でも、どうかな。母ちゃんのあの威勢の良さ、大丈夫か?」


「びっくりしたし……。怖くないと言い切れないのは確かかな。会ってみなくちゃわからないけれど……」


 本当は怖いよ。なにか変なことを言ったり、気に障る態度なんかうっかりしてしまったら、あの声で怒鳴られるのかな――と。


「でも。なんていうの? 風貌は違うけど、葉月さんにもいちいちびっくりさせられるじゃない。あれみたいなもの? かな? なんて?」


 優雅なお嬢様の風貌でも、ミセス准将だって豪快なお人。いままでも、いや毎日、いまだって、『どういうことですか、准将。なにをいいだすんですか、准将』みたいな日々なんだから。


「そういえば。葉月さんも同じようなこと言っていたな。俺の母親となんとなく気質が似ていて通じるところがあるって……?」


「対面してお話しして、お互いを知って、それで馴染んでいくかもしれないし、そうでないかもって不安はあるよ」


 だから。ゴリ母ちゃんなんていわないで、そこを気にしないで――。


 心優がそう見つめると、また雅臣が感激した目をうるうるさせている。ん、やな予感! またお猿並みの豪快な抱擁をされる!?


 だが今度の彼は、眼差しを伏せ申し訳なさそうにうつむいている。


「心優ならそう言ってくれると思った。だから……、言わなくても……と甘えてしまったんだ」


「……うん。あの、塚田さんの奥さんは、だめだったの? ゴリお母さん……」


 雅臣が緩く笑い、ちょっと言いにくそうにして躊躇っている。


「その、あの威勢の良さと豪快さが、繊細なカノジョにはだめだったみたいで。それに……やんちゃな双子が食事会もひっかきまわしたし、うち姉ちゃんもゴリ姉ちゃんってかんじで母親にそっくりなんだ」


 お義姉さんもゴリ姉ちゃん!? またもや心優は度肝を抜かれた気持ちで目を見開くだけ。


「いや、いまは双子の肝っ玉母ちゃんだし、姉ちゃんの旦那も大工職人で威勢がよくって、ガツンとやってくれる父ちゃん。それぐらいの親父じゃないとあの双子の教育なんてできねえよ」


 臣さんの、お義姉さん夫妻も迫力ありそう!? 心優はまた震え上がる思い! そりゃあ、あんなやんちゃそうな双子を育てただけあると感心すらも!


「カノジョは元々お嬢さん気質で、品の良いことのほうが馴染むんだよ。うちみたいに、がさつでガハハって感じの家族は馴染めなかったってところかな」


「ガハハって……」


 でもわかる気がするなあ――と心優も唸ってしまう。そういうおおらかさが、この大佐殿のルーツであるのだろうから。


 お猿の活発さも豪快さも、うききっとした愛嬌ある笑顔も。なのに、素直で真っ直ぐで少年のような純粋さも。そういう家庭だからこそ育まれてきたんだ思う。


 そして心優も。


「臣さん、忘れているよね」

「え? 何が?」


「うちの実家も『ガハハ』な体育会系の大男が三人もいるって。お父さんと、お兄ちゃん二人だよ。そういうことでしょう」


 何故か、雅臣が青ざめた。


「はあ! そうだった! 心優の兄さん二人って……」


「上のお兄ちゃんは、櫻花日本大柔道部の監督で。下のお兄ちゃんは沼津で格闘技道場を経営して、家族と母と同居しているんだよ。兄ちゃん達をみたら、きっとガハハの嵐になるよ。わたしもそういう家庭で育ったから……たぶん、大丈夫」


 ただ、自分でそこまで言って……。心優はしゅんとする。『カノジョさんと違って、わたしは品のない家庭育ちってことになるのかな』と。


「臣さん……。その上品なカノジョさんが大好きだったんだね」


 だからいつまでも気にして。そしてきっと塚田中佐も気遣って、奥さんのことは仕事場では絶対に匂わせなかったんだと今になって思う。


「まあ、小柄で華奢で壊れそうな女だったよ」


 それにも心優はずきんと心臓を痛く貫かれる。ほら、ちいさくておしとやかな女性がかわいかったんだって!

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