4.臣さんの元カノ

 城戸家の双子が襲来。それからというもの、心優の午後の業務は多忙になる。


 双子が警備の許可を得て入場したという報告書、それを認めたと警備が証明する書類、入場パスの家族証IDカード発行申請などなど。


 午後の中休みもゆっくりとれない。いつもカフェにティータイムに向かっている時間も、今日は各部署へ駆け回り、デスクにかじりつきっぱなし。


 そんな時、心優のデスクにある内線電話が鳴る。


「お疲れ様です。空部大隊長准将室 園田です」

『雷神室の城戸です、お疲れ様です』


 雅臣からの内線で、心優はハッとする。


『心優、いろいろ世話かけたな』

「いいえ。双子ちゃん達はどうですか」


 その後、お猿な双子は雷神室へと引き取られ、叔父の雅臣が連れて行った。


『んー、もう、いちいちすげえすげえて騒いでいてうるさい。雷神室の業務に差し支えるし、俺は母に連絡を取らなきゃで、橘大佐が基地見学に連れていったところだよ。橘さんもスワロー時代にあいつらのやんちゃさ知っているから、うまくコントロールしてくれると思う』


 本当に大丈夫なのか――と、心優はそっと顔をしかめる。あの橘さんがいるスワローでも一騒ぎ起こした双子が今回も大丈夫なのかと。


『そうそう、母と連絡が取れたんだ。まさにハーレーで飛び出すところだったよ。葉月さんの意向を伝えたら、母もとにかく少しでも早く双子を引き取ること、准将に迷惑をかけないことが優先だから、今回は新幹線で横須賀基地まで行って夜の最終便に乗ってくれるってさ』


 心優の胸がドクンと動く。つまり今夜はもうお母様と初対面ってことに!?


『横須賀からの小笠原便を手配済み。准将にそう報告して欲しいけれどいいかな』


「かしこまりました。准将にお伝え致します」


『……心優、驚かせてごめんな。こんな騒ぎになるなら、もっと早めに話しておくべきだった』


「もう知ることができたので大丈夫です」


『今夜は母と双子が泊まる宿も取れたから、官舎には来ないから安心してくれ』


 心優は黙った。それってわたしがあなたの家族を拒否してるみたいじゃない――と。だからとて、今夜、体の大きい双子と豪快なお母様にあの官舎でくつろいでもらえるような招待ができるかといえば自信がない。部屋は小綺麗にしているが、まったく綺麗に整頓しているわけでもない。


 日々、基地での勤務をする共働きの二人暮らしには本当の意味で慣れていない。その現状を初対面のお母様に見られたくないのも本心。


「なにもできなくて、ごめんなさい」


『なんで心優が謝るんだよ。ひっかきまわしているのは俺の実家なんだから。母さんも、心優さんに迷惑かけたどうしようと辛そうだったよ』


「そうなの?」


『言えなかった俺も悪かったんだけれど……。ある意味、母さんも『ボサ子』的な心情を持っている人なんだ。わかるだろ。あの男っぽい風貌で生きていた人なんだから。今度は嫌われたくないと緊張しているのはうちの母親のほうだよ』


 今度は? 嫌われたくない? その言い方が急にひっかかった。


『あ、業務中にごめんな。准将に報告をお願いします、園田中尉』

「は、はい。城戸大佐。ありがとうございました」


 雅臣から大佐に戻ってしまったので、心優も業務中の中尉に戻らざる得なかった。


 受話器を置いて、書類に集中してる御園准将に伝える。


「准将。城戸大佐から、浜松のお母様が搭乗する飛行機の予約が無事に取れたとの報告です。今夜の小笠原行き最終便で来られるそうです」


「あら、そう……」


 いつものような素っ気ない返答。双子が去って静かになった准将室で、ミセス准将はいつもどおりに黙って淡々とデスクワークに勤しんでいた。


 誰が話しかけても万年筆を握りっぱなしで、文字を書き込みながら淡泊な返答が彼女のスタイル。なのに、この日はペンを置いた……。そして心優を心配そうに見た。


「予定が狂っちゃったわね……。今夜、いきなりお嫁さんのご挨拶ってわけね」


「はい。でも、もう覚悟決めました」


「お洒落の準備もしていたのでしょう。でも、私は、園田中尉をお母様に見て欲しいわね。それが城戸大佐を支えていると知って欲しいわ。かわいいお嫁さんよりもね……」


 心優が思い描いていたご挨拶のシチュエーションではなくなったし、心優がそうしたかったご対面にもならなくなってしまった。そこは心優もがっかりしている。


「そうですね……。この格好でご挨拶しようと思います」


「いま内線を切ったばかりで申し訳ないけれど、お母様が来られるなら、私もお話ししたいことがいっぱいあるのよね。到着次第、こちら准将室に連れてくるように雅臣に伝えてくれる?」


 まずは准将室で、仕事の顔でお母様と会うことになってしまった。それも仕方がない。双子突然の訪問で准将の力を借りてしまったのは、雅臣も城戸のお母様も免れないことで、御園准将を無視して今夜を終えることができないだろうから。


「かしこまりました」


 なにもかも、心優が『いいお嫁さんのご挨拶』と心構えを整えていたことが総崩れ。致し方なく受話器へと手を伸ばしたのだが、目の前に書類とデータメモリーが入ったクリアファイルが差し出されている。


「雷神室に届けてきて。橘大佐に渡してね。それから、お母様が来るのだから、その相談でもしてきなさい。一時間あげる」


「ですが」


「行ってきなさい。大事なことでしょう。雅臣も今日はチェンジにデータ投入どころではないと思うわよ。あの双子から目が離せなくてね」


「あ、ありがとうございます」


 そのファイルを受け取って、心優は准将室を出た。一路、第一中隊棟にある雷神室まで。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 雷神室に到着し、心優は事務室のドアをノックする。


「空部大隊長室の園田です」


 滅多に来ない事務室だったが、ドアが開く。


「心優……!」


 開けてくれたのは雅臣で、珍しく心優が来たせいか、大佐ではない臣さんになってしまっている。


「あ、園田中尉。お疲れ様です」

「お邪魔致します。こちら御園准将から言づかりました。橘大佐に渡して欲しいとのことです」


 預かったクリアファイルを差し出した。


「有り難うございます……わざわざ、」


 雅臣も訝しそうにしている。


「お時間ありますか。准将にお時間をいただいてきたんです。お母様が来られる前に、二人で話してきなさいと」


 時間もないから心優も躊躇わずに告げる。それに、心優も本当のところは話したい。驚かされたままで、雅臣自身にはなにも確かめていないから。


 雅臣もミセス准将直々の気遣いだとわかると、ふっと雷神室へと振り返った。


「松田、鷹野。ちょっと出てきていいかな。園田と話しておきたくて」


 雅臣が立っている入口の向こう、デスクを付き合わせているそこに若い事務官のふたりがこちらを見た。


「どうぞ。それがよろしいでしょう。俺達もびっくりしたんだから、園田さんもびっくりしたことでしょうしね」


 と松田大尉が笑っている。


「悪い。そこの休憩ブースにいるから、なにかあったら呼びに来てくれ」


 イエッサーと二人が返してくれる。


「行こう、心優」


 雷神室を出ると、雅臣がさっと心優の腰をさらった。

 ここ、職場なのに……。そう思ったけれど、とにかくおまえとふたりきりになりたいとばかりの力強いリードに、心優はちょっと頬を染めてしまう。


 そして、やっぱり嬉しい。凛々しい大佐殿にこうして連れられていくの。臣さんの逞しい腕に抱き寄せられると、ほんとうに自分が華奢な女性になれるから未だにドキドキしてしまう。


 雷神室から少し離れたところにある休憩ブースに連れられていく。透明なアクリル板で囲われた小さな空間には、座ることができる長ベンチと飲み物の自販機が二つ。そして珊瑚礁の海が眺められる窓と小さなテラスがある。


 そこに雅臣と一緒に入った。


「よかった。話せる時間ができて。葉月さん、気が利くな。お礼を言っておいてくれよな」


「うん。わたしも話したかったから……」


 勤務時間中で誰もいない廊下、休憩ブース。そこで雅臣が気後れすることなく、上から心優を見つめてくれている。


「驚かせたな。ごめんな。それから……、実家のこと、ちっとも話せなかったことも……」


 雅臣がそこで哀しそうに眼差しを伏せる。彼にとって浜松は、地元は、パイロットとしての身体をなくしてしまった哀しい土地でもあった。だから心優からはなにも聞けなかっただけ……。


「ううん。臣さんが辛そうだったから」


「あれだろ。『嫌な思い出がある』と俺が言ってから、心優だって実家のことを気にしていたのに、それからまったく気にしない振りをしてくれていたんだよな。それにも甘えてしまった」


「だって、臣さんにとって、辛い事故があった場所だよ。聞けないよ」


 そこで雅臣が申し訳なさそうに、溜め息をついた。

 珊瑚礁が見える窓に手をついて、また辛そうにうつむいてしまう。


「いいよ、臣さん。そんなわたしになにもかも伝えようとしなくても。お母様のことだって、髪を染めているライダーなお母様だから臣さんとしては言えなかったのでしょう」


「そうじゃなくて……」


 そうじゃない? 心優は首を傾げる。


「言える時に言えばよかったんだ、俺が。ただ、その、ずっと前に……。母を紹介したことで、ぎくしゃくしたことがあって……」


 ぎくしゃく? 誰と……? 心優はさらに首を傾げる。


「前の、カノジョな……、塚田の……」


 カノジョ、塚田――。その言葉を聞いて、心優もピンと来てしまい、やっと雅臣がなにを言いたいのか理解した!


「え、あの、いまは塚田中佐の奥様……が、臣さんのカノジョだった時に浜松に連れて行ったことがあるの?」


「ある」


 心優の心に一瞬だけ痛みが走った。実家を避けていた雅臣が、それでもカノジョを連れて実家に帰ったということは、その時も『結婚を意識していた』ということなのかと!

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