カクヨム先行 おまけ③ 横須賀に帰る?(ある日の准将室)


 心優にとって、その光景は見慣れたもののはずだった。


 彼が怒ってがあがあと彼女をまくし立てても、ミセス准将はしらっとしたアイスドールの顔で受け流す。


 だが、そうならない日があった。


 空部大隊本部 空部隊長准将室。本日もそこで事務仕事に勤しむボスのそばで、心優はアシスタントをしている。


 ボスであるミセス准将の大きなデスクの隣に、心優のデスクが設置され、今日もそこで事務仕事の時間だった。


「あー、そうだったわ。心優、雷神室の橘大佐を呼んでくれる?」

「かしこまりました」


 内線電話を手に取り、心優はその旨を、第一中隊そばにある雷神室へと連絡をする。


 雷神室事務官の松野大尉に伝言する。あちらから『橘に伝えましたところ、すぐにそちらに伺うとのことですが、よろしいでしょうか』と返ってきたので、御園准将に確認するとこちらも『わかったわ。待っていますと伝えて』と、いますぐ出迎えられると答えが返ってきた。



 また静かなミセス准将と共に事務仕事に戻る。


 淡々と書類に目を通したり、PCモニターに向かいマウスを動かして、これからの訓練予定に提出されている訓練計画のデータ確認などなど。ミセス准将は訓練監督以外にも、隊長としてやることはたくさんある。


 そのミセス准将がパソコンのモニターを眺めながら、ふと呟いた。


「どうするのか確認しておかないとね」


 つまり橘大佐に何かを確認するつもり、ということらしい。


「もうすぐ次の航海任務の人選が内定するからですか」

「んー、まあ、それはもうほぼほぼ決定しているようだから、おそらく橘さんは、奥様が出産されるから外れると思うのよね」


 会話を交わしている心優を見ず、御園准将はマウスを動かし、目線はじっと今後の訓練計画を見つめている。


 いつもの平坦な横顔だった。それでも心優と会話をする声は柔らかく、リラックスしていると感じている。


 そう思っていたら、急にミセス准将が口元を緩め『くす』と、笑む声をこぼしている。


「どうかされましたか」


「うん、だって……。あの橘さんが、赤ちゃんが産まれるから航海に出たくない、なんていう日が来るとは思わなかったんだもの」


 惚れたら一筋情熱的な男性だと、彼の後輩であった雅臣から聞いてる。だからこそ女性が切れず、でも、防衛パイロットとして、またはマリンスワロー部隊の隊長として多忙だったため女性とは長続きせず、別れては次が現れる男性だったらしい。


 そのうちに本人はそのつもりはないのに『遊び人』と見られるようになったとか。


 それでも、心優の目から見ても、男っぽい色気は群を抜く人ではあるなあと思っている。


 チャラいふりして根は真面目だし、情熱的な男性。なんだかんだいって、心優が知っている男性の中で、いちばん女性を気分良くさせて、優しいとさえ思えてしまう人だった。


 その橘大佐が、しばらくして准将室にやってきた。

 心優はいつもどおり、ノックが聞こえたところで、ドアを開いて訪問者を招き入れる。


「お呼びですか。御園准将」


 凜々しい夏の制服姿で、橘大佐が御園准将のデスク前へと姿勢を整える。


 彼のほうが先輩ではあるが、階級的には後輩のミセスが上官。こんな時は、きちんとした軍人の規律正しい姿を見せる。


「お忙しいところ、申し訳ありません。橘大佐」


 ミセス准将もサインをするために動かしていた万年筆をとめ、デスクに置いた。


 うつむいていた顔を上げ、座ったまま橘大佐を見据えた。


「なにかご用でしたでしょうか」


 橘大佐の問いに、御園准将がさらっと答える。


「確認をしておきたかったの。橘さん、そろそろ横須賀に帰る?」


 隣のデスクに控えていた心優はぎょっとした。

 え? 准将、いままで任務では海上では、誰よりも橘大佐を頼りにしてきたのに? むしろ、葉月さんが頭を下げてまで、橘大佐を横須賀から引き抜いたと聞いてるのに?


「バカにすんな!!! コノヤロウ!!!」


 男の怒号が准将室にビリビリと響いた。

 心優はのけぞり、御園准将さえも目を丸くして硬直している。


「そっちから来いと頭を下げてきたのに、いきなり帰れだと!? もう俺は用済みってことか! いい加減にしろ!!!」


 さらに橘大佐は大声で怒鳴ると、くるっと背を向け、瞬く間に准将室を出て行ってしまった。


 茫然とする女二人……。しんとした空気がしばらく漂っていた。

 心優も我に返る。


「申し訳ありません。呼び止めて、戻っていただくよう追いかけます」


 デスクから飛び出そうとしたところを、御園准将が『追いかけなくてもいい』と止めに入った。


 彼女も我に返ったところなのか、深いため息をひとつ落とし、栗毛をかきあげた。


「はあ、びっくりした。え? だって、私、まだ本題を話してないし」


 アイスドールを言われている御園准将が、本当にきょとんとした素の表情になっている。


「わたしも驚きました……。ですが、あの、准将。わたしは、ちょーっと橘大佐の気持ちもわかる気がします」


 生意気だが、最近はそんなこともボスに言えるまでに心優はなっていた。

 そして、葉月さんも驚き、キャスター付きの椅子に座ったまま、心優のデスクへとすいすいと移動してきた。


「私の言い方が悪かったの。ね、心優、そうなの?」

「いきなり『横須賀に帰る?』は、『もう帰っても良いわよ』――に思われたのかもしれません」


 心優の返答に、椅子だけで移動してきた御園准将がその場で頭を抱えてうなだれる。


「あー、もう。失敗した。だって、これから本題を――と思ってるところで、怒りだしたんだもの」


「確かに。わたしも、びっくりしました。心臓が縮み上がる怒声でした。本気で怒っていらっしゃいましたね。時間をおいて、もう一度、雷神室に連絡してみます」


 それもまた御園准将は、頭を抱えたまま、手で制してきた。


「ううん。もういい。橘さんの気持ち、わかったから。こちらの聞きたいこと、あの怒声一発で確認したので、もういいわ」


 心優も気がつく。ああ、そうか。橘大佐に『横須賀からお借りしている形だから、結婚を機に、帰るか帰りたいか考えることも出来る。そのうえで、今後どうするかを知りたい』――と聞きたいための、『そろそろ横須賀に帰る?』が導入質問だったのかと……。あまりにも言葉足らずのミセス准将と、あまりにも短気な橘大佐といったところだろうか。


「ああ、久しぶりに橘さんの怒鳴り声を聞いちゃった。あー、耳がわんわんする~。さすが血の気が多い悪ガキパイロットを、束ねてきた隊長だけあるわ~」


 そういいながら、御園准将は床を蹴り、キャスター付きの皮椅子でサ~と大きなデスクへ戻っていった。


 姿勢を直し、万年筆を握り書類に向かうと、あっという間にアイスドールの横顔に切り替わった。


 心優ももう一度デスクに座り直す。

 だが心優は見てしまう。いつも冷淡な横顔で淡々と事務作業を進めている御園准将が、ペンを握ったまま、サインをしながら、ずっと頬を緩めて『くすくす』と笑っている。止まったと思ったら、また『ふふふ』とも聞こえてくる。


 つまり。嬉しかったんだ。

 『帰る?』と聞かれ怒るということは、『なんで帰るなんて聞くんだ。俺はまだそんなつもりはない! 当たり前のこと聞くな!!』ということだったのだ。


 葉月さんはそれが嬉しいし、橘大佐もまだまだ小笠原で彼女と仕事をしたいということ。


 まだくすくす笑っている。

 アイスドールの素の顔を見られるのも、女性護衛官としてお側にいるからこそ、特別なことかもしれないと、心優もそっと微笑んだ。







 午後の『お遣い』で、届け物がある部署を回っている時だった。

 工学科へ向かう連絡通路で、橘大佐とばったり出会った。


 心優と目が合うなり、あちらはもうばつが悪そうにして黒髪の頭をかいている。


「あー、心優ちゃん。お疲れさま」

「お疲れ様です。工学科へ行かれていたのですか?」

「うん。澤村……じゃなくて、御園大佐のところへ、ちょっとな」


 きっと御園准将との午前のやりとりについて、夫である御園大佐へ報告したのか相談したのか。まだ本人同士では顔を合わせられないから、夫のところへ出向いたといったところだろうかと、心優は密かに推測する。


「ええっと。午前中のアレのことだけどー、えーっと、その、御園准将……、怒っていたかなと」


 仕事ではパートナーでもあって、彼が先輩でもあるが、結局のところ軍人としては、上官である准将殿にあのような態度をとれるはずもない。だから橘大佐も反省をしているようだった。


「いいえ。お聞きしたかったことについては、一発でわかったと笑っていました。ずっとですよ。あのアイスドールと言われているわたしのボスが、ずっと……、嬉しそうにくすくすと。止まったかと思ったらまた嬉しそうに笑っているんです。まだお側にいてほしいようですね」


 心優を介して気になる彼女の様子を聞いて、やっと橘大佐の表情がほっと緩んだ。



「そっか。だよな! だってよ、向こうがわざわざ横須賀までやってきて、俺に来て欲しいって頭を下げてくれたから、こっちにきたんだからな。横須賀マリンスワローの隊長を辞めてまでだぞ。それをさ……、」


 そこまでして引き抜いてくれたのに、あっさり返すような素振りを感じたので、怒ったということらしい。


「……俺、いつの間に、こんな気持ちになっていたんだろうな」



 二年で横須賀に帰る予定の約束だったのに、その二年はとうに過ぎていると聞いている。

 そして横須賀側も、小笠原側も、橘大佐に帰ってこいも帰れも言わない状態が続いている。

 きっと葉月さんのサポートのために引き抜かれた大佐だから、御園准将がそう決めているように『艦長を辞するまで』が、本当の約束期限なのだろう。


 だとしたら、まだまだ橘大佐は必要な隊員。

 そして彼ももう、ここにいることが当たり前になっているようだった。


「ごめん、心優ちゃん。彼女に俺が反省して、謝っていたと伝えておいてくれ。後日、俺からも謝罪に行くから」

「かしこまりました。ですが、准将にお気持ちは既に通じているかと……。気にしないでくださいませ」


 そこで橘大佐が、心優を見下ろしふっと微笑んだ。

 そう、この男性。ときどき、こんな素敵な顔をする。

 もう若くはない人だけれど、だからこその男の風格と色気を醸し出す。そして、普段は鋭い目つきをしているから、その優しい顔がまた麗しいのだ。


「これも言っておいてくれよ。俺は、まだ帰る気はないってね」


 柔らかに微笑む目元に刻まれる皺が、また女性の心をときめかす。


「かしこまりました。お伝えいたします」


 心優が頭を下げると、その隙に橘大佐は照れくささを隠すようにさっと通り過ぎ、去って行った。


 あの人は、雅臣の空の師匠であって、尊敬する先輩。横須賀マリンスワロー飛行隊を、アクロバット飛行隊としてたたき上げた腕前を持つ指揮官でもあって、男たちが憧れるパイロットでもあった。


 そして。心優のボス、御園葉月准将にとっても、必要な人だ。

 

「同じ釜のメシを食う……か」


 お二人の絆はそこにあると心優は思っている。

 若いとき、同じ空母に搭乗し、空の防衛に勤しんだ同世代パイロットのおふたり。

 指揮官になっても。海と空の危機に、一緒に立ち向かった戦友でもあるのだろう。

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