15.お猿は女心がわからない


 まだシミュレーション機を満喫している双子は御園大佐に任せ、心優は御園准将と雅臣と一緒に准将室へ戻った。


 戻ると、そこにはラングラー中佐を相手に、ノートパソコンのモニターに流れる映像を楽しそうに見ているアサ子母の笑顔があった。


「あ、准将。おかえりなさいませ。いいつけどおりに、お母様に城戸大佐が航海中に広報と作られた広報映像をご覧になっていただきました。それから、許可されている空母内での職務中の映像も見て頂きました」


 アサ子母がソファーから立ち上がり、ミセス准将へと向かう。息子が働く姿を楽しそうに眺めていたのに、途端に不安そうな顔になる。双子がどうなり、連隊長がどう感じたのか。その結果が気になるのだろう。


「お母様。連隊長が不問としてくれました。よろしかったですわね」

「本当ですか! ああ、良かった……!」


 黙っていると凛々しいばかりのゴリ母さんの顔がほころぶ。


「え、ということは……。あの、連隊長さんは双子のシミュレーションを見て、なにか感じたというのですか」


 そこは御園准将もすぐには言いにくいようだった。准将自身もどこか信じられないものを見たというところか。


 だがそこは息子の雅臣が前に出た。


「とりあえずな。双子になにかあると感じてくれたようだよ。今回は、たまたまだ……」


 なんだか雅臣も信じがたいようで、こちらは逆に不機嫌だった。


「でも良かった……! これで帰れるよ。雅臣、ほんとうに悪かったね、迷惑かけたよ。双子はもう連れて帰るから」


 アサ子から雅臣に駆け寄り、ぎゅっと手を握った。


「べ、別に。そんな急いで帰らなくてもいいよ……。せっかく宿も取ったし……」


「いいや。今回は帰るよ。許しをいただけたからと、ではとこの基地の中を大きな顔で歩けないよ。来るならまた改めて、今度は雅臣にちゃんと話を通して来るからね。双子にもそう言っておくから」


「あのさ、ユキとナオに聞いたんだけど。あいつら、どうやって旅費を捻出したのかって。まさか、ねえちゃんの財布とか家の金を持ち出したのだったら、叱らなきゃと思って……。でも、あいつら、小笠原に来たくて、去年からバイトをしていたんだってな」


「ああ、そうだよ。今年の夏休みに絶対に行こうと決めて、それを目標に貯めてきたみたいだ。でもそんな目標を言えば、バイトをする前から母さんに止められると思って黙って貯めてきたんだろ。いざ貯まって、さあ母さんの許可をもらって、叔父さんに報告して、基地に行こうと思ったら、真知子が大反対だ。だから勝手に飛び出した。基地について雅臣に会えばなんとかなるだろうと思ったんだろ」


 この基地に来たくて、ずっとバイトをしてきた? それを聞いて、心優はあの双子がどれほどの思いで、ここに来たかったのかを知る。


 それは初めて知った御園准将も同じようだった。


「そうでしたの。ユキ君もナオ君も、そんなに頑張って……。この基地に……それほどに……」


「祖母である私も母親である真知子も、双子の気持ちをもう少し丁寧に扱ってやるべきでした。たとえ、反対でも……」


 雅臣がそこでちょっと哀しそうな顔をする。


「姉ちゃん……。双子が海軍になるのは反対なんだ」


「そりゃ。弟がどれだけ大変な仕事をしているか知っているからだよ。天性だって? そんなものだけで、お国の境界線で人知れず命張る仕事が務まるわけないだろ。それに……、危険な仕事だってわかってるよ」


 確かにそうだ――と、雅臣も項垂れている。


「でも。どうだろうね。息子達がそうなりたいと本気なら、真知子もそこで手放す覚悟は出来ていると思うよ」


「わかった。今回は残念な訪問になったけれど……。今度は俺が招待するから、双子にそれまで大人しく待っていろと言うよ」


「そうしてくれるかい……。悪いね、雅臣。いつも、迷惑をかけて……」


 どうしてか、お母さんがしゅんとしてしまった。雅臣もそんな母が何を思っているかわかっているようで、言葉をかけられないまま困っている顔。


 うちはいつもこうだ。騒々しい――と言っていた雅臣。その騒々しさで、雅臣に迷惑をかけてばかりとでも言いたそうだった。


「ま、いいや。母さん、俺からも姉ちゃんに伝えておくよ」

「うん、そうしてくれ」


 雅臣が気の良い笑顔を見せると、アサ子母もホッとしたようだった。


「ああ、そうだ。葉月さんにお土産を持ってきたのに、昨日の騒ぎで渡せなかったんですよ」


 アサ子母がソファーに置いていた無地の紙袋を准将に差し出した。


「まあ、お気遣い有り難うございます」

「雅臣から聞いて、時間があったので横浜で買ってきたんです。それが大好物らしいですね」


 准将が袋の中から箱を取り出すと、『ショコラリボン』と書かれたチョコレートの箱が出てきた。


「ええ、これ、すごく大好きなんです! まあ、あのお店でいちばん大きな箱じゃないですか」


 横浜にある葉月さんが大ファンのチョコレート専門店のアソートボックスだった。


 准将も横浜に行けば必ず買ってくるもの。そして心優もご馳走になって大好きになったチョコレート。 でも心優はそれを知って、ものすごくショック受ける。


 だって。だって。それ! わたしが浜松に行く時に、お姑さんとお姉様へのお土産と考えていたのに!! 臣さんだって、それを知っていたはずなのに! どうしてわたしがお土産にしようとしていたものを教えちゃったの??


 心優はつい雅臣を睨んでいた。でも雅臣はまったく気がつかず。


「雅臣。よく知っていたわね、私がここのお店のものが好きだって」


「いや。母がどうしても葉月さんにお土産を持っていきたい。どうせなら離島ではなかなか食べられないお菓子とかどうかと聞かれて、それがピンと思い浮かびまして……。いつも心優が……」


 と、雅臣がそこでやっと心優を見た。当然、心優は眉間にしわを寄せ睨んだまま。雅臣もそんな心優の怒りにやっと気がついたようだった。


「ええっと、心優が、いつも、准将と食べていると聞いていたので……」


 准将もそこで『ああ、なるほどね。心優が話していたから知っていたのね』と嬉しそうな顔。


「せっかくだから、一緒にいただきましょう。双子ちゃんにとんでもなく驚かされて、正義兄様じゃないけれどちょっと疲れちゃったわ」


 テッド、お茶をちょうだい――とミセス准将がいうと、ラングラー中佐もなごやかになった准将室にホッとしたのか笑顔で頷く。


「そうだわ。連隊長兄様にもお分けしましょう。兄様も甘いものはけっこうお好きだから……。心優、正義兄様のところにも届けてくれる?」


 心優もなんとか仕事の顔になろうと「かしこまりました」と笑顔を浮かべた。


 でも雅臣はもう冷や汗をかきっぱなしなのか、心優と目を合わせてくれない。


 もう! お猿はほんと女心をわかってくれない!


 心優は雅臣にはひそかにツンとして、准将がおやつを分ける時に愛用している花柄のペーパーを持ってきて、ミセス准将が『兄様にはこれとこれ』と選んだものを包んだ。


 それをトレイにのせ、いいつけどおりに准将室を出た。


 もう~! どうしてわたしがこれをお土産にするって教えたものを、お母さんに教えちゃうのよ。お母さんがお土産に持って来ちゃうのよ! 


 ぷりぷりしながら心優は一階上にある連隊長室へ行くため、エレベーターの前に立った。上階へ行くボタンを押して待つ。


「み、心優」


 狼狽えている雅臣の声が聞こえた。気になって追いかけてきてくれたみたい……。でも心優は振り返らない。


「ご、ごめんな。ほら、母さんがすっごい勢いで『葉月さんが好きなものを教えろ! いますぐ、時間ないんだよ! すぐ言え!』なんてこんな感じだったもんで。つい、ショコラリボンの……て」


「そう」


 心優は素っ気なく返答するだけ。


「心優が土産に持っていくものだって……ごめん、あとで気がついて……」


「いいよ。臣さんだって、慌てていたんだもんね。お母さんには弱いんだもんね」


 なんだか嫁姑って、そのお母さんが嫌いじゃなくても、息子のこういうところでイライラしてくるのかな――とも思った。


 でも。心優もなんだか違うと思えてきた。


「お母さんに実際に会って……。なんかチョコレートもらって喜ぶようなかんじじゃないって……わたしも思ってるよ……」


「なにいってるんだよ。母さんは、心優が持ってきたものならなんだって……」


「わたしは! ほんとうにお母さんに心から喜んでもらいたいんだって! なんでも喜んでくれるんじゃなくて……。それがチョコレートじゃないってわかっただけ!」


 振り向いて叫ぶと、雅臣の顔が強ばった。とっても気にしている申し訳なかったというお猿さんの、女の子を傷つけて困った顔。


 そこでエレベーターが来て、扉が開いた。


「連隊長室へ行って参ります。城戸大佐」

「うん……。わかった……」


 しゅんとした大佐殿が、心優が惚れ惚れしてしまう凛々しい大佐殿じゃなくて……。情けないお猿の男になっている。お猿は嫌いじゃない。でもそんな女の子に負けっぱなしの負け猿は嫌。


 エレベーターに乗った心優は扉を閉める前に、去ろうとしている雅臣に言う。


「臣さん、これで良かったのよ。わたし、突然、お母さんに会えて良かったと思ってる。本当のお母さんに会えなかったかもしれないと思うと、そっちのほうが嫌。だから…… お土産も新しいものを考えるよ」


 そう言ったところでエレベーターを閉めようとしたのに……。


「まて、まてよ、心優!」


 閉じかけたエレベーターの扉の隙間、そこにでっかい両手ががっと割り込んできた。


 え、そういうときはボタンを押せば……いいのに? ちょっと触れば挟まれ防止で扉だってさっと開き直るのに。


 でも心優の目には、お猿が力いっぱい怪力でエレベーターのドアを割り開いたかのような姿に見え、そんな雅臣の逆襲に思わず後ずさっていた。


 雅臣がエレベーター内に踏み込んできたところで、彼の後ろのドアがすーっと閉まる。そしてエレベータがふたりだけを乗せて動き出した。


「心優、昨日からずっと!」


 雅臣が心優を奥へとじりじりと追いつめるかのように迫ってくる。


「お、臣さん、ちょ、わ、わかったから」

「昨日からずっと! 俺は、心優にどんだけ嫌な思いをさせたかと、ずっとずっと気になっていたんだよ!」


 連隊長へ持っていくチョコレートを乗せたトレイを大事に持っている心優を、雅臣はついに奥の壁に追い込むと、心優の頬の側に大きな手を『バン!』と強く突く。


 きゃー、お猿がキレた!? いつだってどんなときだって、にっこり愛嬌で受け流す臣さんが。こんな子供みたいな困り顔で切羽詰まった顔で迫ってくる!


「心優……、俺みたいな男だけれど……」


 そんな泣きそうな顔の大佐殿が、ふっと身をかがめたかと思うと、また……職場なのに心優のくちびるにキスをする。



 驚いた心優は思わず、持っていたトレイを落としそうになる。

 でも、雅臣がそれを支えてくれている。

 そういうことが予測できる大佐殿なのに……。どうして? 女心になるとわからなくなっちゃうの?


 でも、そんな臣さんが好き。本当はトレイを落として、臣さんの背中に抱きつきたいよ。

 大丈夫、うんと愛してるよ。どんなことがあっても、ただただあなたが好きなんだって! 


 でもエレベーターはすぐに一階上についてしまう。そこで雅臣が惜しそうにして離れた。


「昨夜は我慢したけど。やっぱ、いつもどおり心優を触りまくって寝る!」


 昨夜、背中を向けて寝ていたの。なんか遠慮していたんだと初めて知る。


「わたし、大丈夫だよ。アサ子お母さんのこと、素敵なかっこいいお母さんだって思ったよ」


「うん、ありがとうな……」


 そして心優も伝える。


「お、臣さんのこと。大好き、愛してるよ」


 いつもの、お猿兄さんの顔に戻った雅臣が心優の鼻先に、自分の鼻先をきゅっとくっつけてきた。


「心優、俺のミユ……。おまえに泣かれたら、辛いんだ」


 彼の汗ばんだ皮膚が熱い。お猿の体温に、彼の汗の匂いに、心優は思わずきゅんとなって泣きたくなってきた。


「連隊長に渡してこなくちゃな」


 落としそうになっていたトレイを、雅臣が大きな手で心優もしっかり持つようにと、握り直してくれる。


 その顔はもう、心優が頼りにしている大佐殿だった。


「い、行ってきます」

「うん、じゃあ……。俺は雷神室にもどるな」


 こっくり頷きながらエレベーターを出ると、雅臣はそのまま下へ行くと閉まるボタンを押した。


 でも閉まっていく扉の隙間から、ずっと心優を見つめてくれている。

 扉が全部閉まって、エレベーターが下りてしまい、そこで心優はひとりになる。


「もう、ずるいよ。お猿のかわいい顔、ずるいよ、もう」


 それがまた最後にかっこいい大佐になるんだもん。ほんと、ずるい。

 カラダの芯が熱くつきんつきん疼いている。


 きっと、今夜はお猿だけじゃなくて。わたしも飛びついちゃいそう。ずっと、不安だったから……。


 そこで一人、心優は溜め息をつく……。


「でもお土産、どうしよう」


 かわいいお嫁さんのご挨拶も、お母さんと向きあっていままでを話し合うのも。これだって決めていたお土産も。すべてだめになってしまった。


 でもきっと。それはアサ子お母さんも一緒なんだろうなと思えてきた。

 

『心優さんが来る頃には、髪も黒く染めようと思っていたのに』


 あの言葉。アサ子お母さんも心優と一緒に、『いいお姑さん』として取り繕う準備をしていたんだって。


 心優も同じ。いいお嫁さんとして取り繕うとしていたんじゃないかって――。


「あ、そうだ」


 そんなアサ子お母さんとハーレーダビッドソンが映っていた画像を思い出して、心優はふと閃く。

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