12.夫になれない夜もある

 それでもパイロットとしてのプライドはズタズタだった。


 あの人がただ者ではないことぐらい百も承知で、対決に臨んだ。そんなの空の現場では相手がどんな男かパイロットかも不明なまま『対領空侵犯措置』に挑むのだから、不明な相手との突然対決なんて、現場では当たり前だ。


 コックピットに乗って操縦桿さえ握ってしまえば、相手がどんなに不明でも『絶対に負けない』気持ちで飛ぶものだ。


 なのに。判断も様子見も隙を与えられず。あっという間にロックオン照準内に捕捉され、驚いて回避して焦っているだけの時に的確にロックオン、撃墜された。


 確かに『死神』のようだった。背後にいたのに。回避旋回した時には、向こうも接触されてニアミス爆破しかねない至近距離に躊躇なく詰めてきていた。あれをやられたら、そりゃあ、先にミセス体験済みの先輩方も『あんなのと一緒に飛びたくねえ』と言って当然のところ。


 あの人、マジであんな思考で飛んでいたのか。華奢な骨格の女には高度上昇時の重力『G』の負担は相当のもの、男達のような力で押し切れる飛行についていけないからロックオンできるチャンスも少なかっただろうが、あの人から重力を解除したら、あんなことができていたのかと――。


 あのデータはバケモノのような動きをする。しかし裏を返せば『いまのあの人が空母で指揮をしている脳そのものでもあるのではないか』ということだった。


 彼女は指揮官となりパイロットを護る立場になったから、あんな危険な飛行を指示することはまずない。だが、彼女にはあのデータのように『無駄を省いた一瞬での攻撃』を見出す目と判断力を持っているということ。


 そんな彼女の手となり空を飛んでいるのは『雷神』。特に疎通しているのは『バレット』、英太だった。


 その英太と彼女を引き離して、今度は俺が英太を飛ばす。

 では、俺なら……。ハウンド猟犬として、英太をどう飛ばす? どうやってあの姉貴と対戦させる? 勝たせてやれる?


 英太にとってはひとつの卒業ともなるだろう。

 いつか、彼も彼女から卒業しなくてはならない。それは、雅臣も同様だった。雷神のエースへと、初代飛行隊長、リーダーへと選んでくれた彼女に、やっと報いるのが『追い出し』だなんて皮肉だ。

 

 それでも皮肉な決断の向こうに、雅臣はPTSDに苦しむ姉貴の姿を描いている。


 


 ――楽にさせてやるんだ。安心させてやるんだ。ソニックとして一緒に空に連れていってやれなかった分。


 


「……臣さん、どうしたの」

 もの思いからやっと抜け出し、雅臣はハッとする。

 目の前には、心優の顔。風呂上がりの濡れた黒髪、そしてキャミソールとショーツという姿で、ベッドにあがってきたところだった。

 悶々としたまま、雅臣はいつのまにか自宅官舎のベッドルームで夜を迎えていた。



 彼女より先に入浴を済ませ、ベッドで航空機雑誌を眺めていた雅臣だったが、そのページが進んでいなかったことに気がつく。

『お風呂に行ってきます。その雑誌、後でわたしにも見せてね』――と笑顔で彼女がベッドルームを出て行った時と同じページだった。

 彼女が出て行った時と帰ってきた時とページが変わっていないのだ。

 それだけもの思いにふけっていたということに……。


 雅臣の隣へと寄り添ってきた彼女もそれに気がついている。


「臣さん。おかしいよ。今日、夕ご飯の時も上の空だったよね。やっぱりシドとなにかあったんでしょう。昨夜、あんなにお酒を呑んできたのも、本当はなにかあったんでしょう」


 せっかくあのシドが案じていたことが心優の中で綺麗に消化されたはずだったのに。変なことで蒸し返されようとしていて、雅臣は慌てた。


「シドとは本当に偶然に呑みに行っただけだって」

「本当に?」


 あのかわいい猫の目で覗き込まれる。今日も彼女の首には、雅臣が婚約の印として贈ったブラックオパールキャッツアイのペンダント。その石と同じ目で雅臣を心配そうに見つめてくれる。


 そんな心優を、雅臣はベッドの上で抱きしめる。


「ごめんな……」


 パイロットとしての悔しさ。雅臣にとっては男としても元エースとしても情けない、格好悪いばかりで、そんな姿を晒したくないだけ。彼女にはいつでもかっこいいエースパイロットの臣さんでいたい。


 でも、それは間違いだったのか。心優の目に涙が浮かんでいたので、雅臣はギョッとする。


「いつも、臣さん一人で悩むよね。わたし、准将や御園大佐やみんなのおかげで中尉にまでなれたけれど、ほんとうは軍人としても経験が浅いことわかっている。だから、臣さんが大佐として困っていること気がついてやれないし、それを知って助けてあげることもできないのが辛いの……」


「いや、そんな……。そんなことではないんだよ」


 困った。大佐として、下官である中尉の彼女には明かせない『極秘業務』のことで悩んでいると思われているようだった。そうではない。まったく違うことで、雅臣さえ決すれば、妻になる彼女に吐露できるようなものなのに……。


「だって。それがわからなくて、わたし、横須賀で一人で辛い思いを抱えて耐えていた臣さんに、酷いことを言って別れちゃったんだもの」


「だから。あれも、俺の言葉足らずと、人に心を明かす勇気がなかっただけで……」


「ううん。辛くて言えないことあるよ。あってもいいよ。ただそんな顔をしている臣さんを助けてあげられないのが辛いの。こうしてそばにいるだけじゃ、だめなこと?」


 ピーチ色のキャミソールに、シンプルなボーダーラインがあるグレイッシュカラーの綿ショーツ。いまが夏だということもあるが、心優は雅臣と寝る時はそれだけの薄着で隣に寄り添って眠ってくれる。


 同じく薄着でいる雅臣の胸に抱いている心優の肌は温かく、そしてとても柔らかい。風呂上がりで濡れている髪は洗ったばかりでいい匂いで、そして肌もしっとりと雅臣の皮膚に吸いついてくる。


 それだけで充分、雅臣には安らぎだった。横須賀でもそうだった。『これさえあれば、俺はこれから、この子とやり直せる』と思っていたのに。どうしても煮え切らなかった自分の態度で彼女を傷つけた。そして彼女に酷いことを言わせるまで追い込んだのは、大人であるはずなのに上司であるはずなのに、男としては情けなかった雅臣自身だった。


 もう、彼女を心配させてはいけない。不安に陥れるぐらいだったら……。


 その為に、いまにも欲情しそうな色香を放つ彼女を胸元から離す。

 ずっともやもやしていたものを、雅臣はついに吐き出す。


「俺な。葉月さんから英太を奪おうと思っているんだ」


 え。ミセス准将の側近である彼女の息が止まる。


「英太と一緒に、あの人に勝とうと思っている。つまり、あの人を空母から追い出そうと思っている。直ぐにではない。これからその勝負をして、安心してもらおうと思っているんだ」


「それって……。准将に気持ちよく陸に帰ってもらうため……?」


「そう。その行動にこれから移ろうと思っている。心優は……。葉月さん側の人間だから、俺が思っていることを妻として知ってしまうと、御園准将秘書室の作戦もあるだろうから板挟みになって困ることもあると思うんだ」


 さすがに心優もそこは思い巡ったのか、躊躇うようにして何も言わなくなった。


「それで、今日。パイロットの間では極秘になっている『コードミセス』というデータを見させて欲しいと、管理責任者である御園大佐にお願いしに行ったんだ。まずは葉月さんのパイロットとしての思考回路を知ってから対策を練ろうと思ってさ……」


 また。沸々とした『悔しさ』がこみ上げてきた。まるでフラッシュバックのようにして、背後にいたはずなのに真横にニアミス覚悟で詰めていた死神的飛行を思い出して、雅臣は黙り込む。


「臣さん……?」


 心優がまた心配そうに、うつむく雅臣の堅い表情を覗き込んでいる。

 腹をくくって、雅臣はひと息ついて、妻になる彼女にはっきりと告げる。


「その、コードミセスという『御園葉月』のデータに、あっという間に撃墜されてしまったんだよ。この俺が! エースだった俺が!」


 最後は悔しさいっぱいに、声をめいっぱい張り上げてしまっていた。だから、心優が叱られたかのようにしてビクッと怯えた顔になる。


「わ、悪い。あのな……。たとえ、シミュレーションでも、相手が誰であろうと、悔しいもんは、悔しいんだよ。彼女は尊敬する指揮官だけれど、パイロットとしては俺の方がエースだったんだ。彼女がもし男として飛べたとしても、誰であっても、英太にだって絶対に勝てると俺は思っているんだ。いまでも!」


 それがエースってもんだ!


 二人きりの甘い空気が常に漂っていたベッドルーム。それが今夜はシンと静まりかえり、窓からは生ぬるい夜風がふっと入り込んでくるだけの素っ気なさ。


 彼女がびっくりした顔のまま固まっていて、何も言わない。

 今夜こそ、心優といい匂いの中抱き合って、とろんとした夜を貪ろうと思っていたのに。雰囲気台無しだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る