13.大佐殿、秘密でお願い……
「あの、」
心優がやっと声を発した。猫の目が、きょとんとしている。
「エースって、やっぱりすごいね。いま……。臣さんじゃなくて、鈴木少佐が目の前にいるのかと思っちゃった」
「あいつと一緒にするな。アイツ、葉月さんの犬だ。葉月さんには勝てなくてもいいと思っている腰抜けになっているんだよ」
また心優は驚いたように、目を瞠っている。
「鈴木少佐がもう悔しくないと思っていることなのに、臣さんは凄く悔しかったの? そんな臣さん、初めて。びっくりしちゃった」
なのに、次には心優が嬉しそうに、薄着になっている雅臣の胸元に抱きついてきた。
「凄い。臣さんって、ずっとパイロットのままなんだね。本当にエースなんだって、かっこいい!」
彼女を困らせると思っていたのに。彼女が嬉しそうに抱きついていたので、今度は雅臣が困惑する。
「え、えっと。えっとなあ……。うん、その。大声出してごめんな」
「ううん。やっぱりエースさんって、負けず嫌いなんだね!」
それこそエースだと心優は讃えてくれる。
そうか。これが、もしかすると――『妻』てヤツなのかなと、雅臣は初めてそう感じて、やっと心優を優しく抱き返していた。
なのに。今度は心優からサッと雅臣の身体から離れていく。あれ、いまからいい雰囲気を取り戻そうと思ったのに? その心優がくつろいでいる雅臣の真横で正座になる。
「臣さん。わたしも大事な話があるの。わたしも、言いたくて言えなかったことがあるの」
キャミソールとショーツだけの姿なのに、心優は仰々しく、ベッドの上で正座をして改まっている。
「な、なんだよ。どうしたんだよ」
突然、心優は正座で雅臣に頭を下げた。
「城戸大佐。お願いします。御園准将が安心して去れるように、気持ちよく追い出してあげてください」
「え……?」
これから敵になろう対戦相手『ミセス准将』のいちばん側にいる秘書官である心優からの願いに、雅臣はさらに困惑した。
だが、顔を上げた心優は真顔で、雅臣に詰め寄ってくる。
「准将室の秘書官だから、たとえ夫になる臣さんにも言えなかったんだけれど。『城戸大佐がやろうとしてること』を聞かせて頂いて、准将の護衛官側近として独断だけど、『あることを』伝えるべきだと決意しました」
「ま、待て! 言うな。秘書官は上官の内事情はたとえ家族でも漏らしてはいけないんだ。そこは承知で結婚するだろ。俺の、葉月さんに喧嘩を売る行動とは、機密性が違うだろ」
「確かに、もの凄い機密的なことだよ。でも、わたし、臣さんのこと『大佐殿』として伝えたいといま思っているの」
「だめだ、聞かない。絶対に聞かない。言うな! 言うなら俺は今夜、別々に寝る!」
耳を塞いでベッドを降りようとした。だからなのか、雅臣が逃げていくと思った心優が慌てるように告げた。
「准将は新設される『小笠原訓練校』の初代校長に任命されることが内定しているの。海東司令がそうしているの」
聞いてしまった! でも、雅臣はそれを聞いて呆然としてしまい、元の自分の寝床ベッドの上へとぺたりと座り込んだ。
「それ。本当か」
「本当だよ。知っているのは、わたしと准将と、ラングラー中佐。あとは細川連隊長ぐらいじゃないかな。あ、あと駒沢少佐もなんとなく察しているかもしれない」
「なんで駒沢君がここで出てくるのかな」
「准将が校長室の新しい秘書室の側近にしたいと、引き抜きを狙っていることを彼本人に仄めかしたから。駒沢少佐はそれが訓練校長の秘書官だとは思っていないけれどね。それに御園大佐も知らないと思う。隼人さんは奥さんの葉月さんをいずれは司令部へと願っているでしょう。葉月さんは逆にご主人の御園大佐をこっそり大隊長候補にしたいために、ご自分の進退はギリギリまで明かさないつもりみたい」
うわ、また凄い内事情、葉月さんの極秘作戦を聞いてしまった。雅臣は逆に真っ青になり、今日負けた悔しさも吹っ飛んでしまった。
「なんだよー、聞かなければ良かった。これからどう知らない顔をすればいいんだよっ」
「できるでしょ。臣さんたら、いざとなったら秘書室長だった時のように、なんでもにっこりお猿の愛嬌と微笑みで乗り切っちゃうでしょう」
「対:葉月さんは別だよ。あの姉さんだと俺は敵わないんだよ」
「そうだったね。臣さん、葉月さんになるとなんだか弱いもんね。でも、臣さんだってもう気がついてるじゃない。『そろそろ安心してもらおう。そのためにはエースのバレットを俺が引き受けよう』ってことなんでしょう。葉月さんに安心して空母指揮を去ってもらうための準備なんでしょう。それならわたし、間に挟まれたとしても協力するよ!」
心優に負担がかかるのが心配だった。だが、心優が協力してくれるなら、これほどの協力者は他にいない。
「わかった。なるべく心優の負担にならないようにするし、俺は俺でやってみる。ただ、これから俺も『空の対戦』となると今夜みたいに素っ気なくなることも増えると思う。葉月さんもそうだと思うけれどお互いに口もきかなくなるかもしれない。本気の対戦はそうして集中するもんなんだ。だから……」
「いいよ。当然だよ。わたしだって試合で負けた時は一晩中悔しくてギリギリしてきたもん。悔しがらなくちゃ、勝てないじゃない。対戦中の集中力を高める時間も大事。口をきかなくなっても、葉月さんは臣さんの師匠だし、臣さんも葉月さんの教え子にかわりないでしょう」
勝負事なら、心優も充分な経験者。世界を狙うために心身の全てをそこに注いできただけあって、そこはエースパイロットだった男のプライドをすぐに察してくれる。
そんな心優を、雅臣は改めて胸元へと強く抱きしめる。
「臣さん……」
「やっぱり、俺には心優って女が必要で、いちばんのパートナーだ」
彼女が雅臣の胸筋のところに頬をそっと寄せて、静かなキスをしてくれた。
それだけで一気に『お猿スイッチ』が入る。
「心優――」
彼女を柔らかいベッドの上に押し倒し、お猿は勇ましく彼女の上に覆い被さる。
もういつでもめくってくださいと言わんばかりの、一枚きりのキャミソールをたくしあげる。
「臣さん……たら……」
やっとやっと、彼女と雅臣のまわりにふわっとした熱い甘さが漂った。
嫌がらない彼女も雅臣の黒髪の頭をぎゅっと抱きしめると、欲しがるようにして胸元へと押しつける。もっともっと愛して……と欲しがってくれている合図だった。
彼女の肌のあちこちにキスをして、二人一緒に熱い身体を重ね絡み合う。いつまでも離れないくちびるを愛しあって、時々、その猫の瞳を見つめて彼女と吐息を混ぜ合う。
いつもは、まだまだ何も知らなさそうなかわいい女の子の顔をしているのに。ここ最近、雅臣と抱き合う夜を重ねる心優は、深夜になると途端に大人っぽい顔で色めく。
もともとスタイルの良いしなやかな身体は、女の子達が大好きなアメリカ製の着せ替え人形のように綺麗で、身体が大きめの雅臣とは相性もいい。
そんな心優の中に力強く入り込んでひとつになって夢中に愛していると、そう、あんな死神に出会ったことなんか消えてなくなっていく。
これからもきっと。心優がいるだけで、雅臣の心をえぐってきたものが刻まれたままだとしても、もう立ち止まることもないだろうと思えるほどの。
「夫と妻って……。ベッドの大きさ分だけでも一緒にいられるなら、それでもう充分……なんだって……。わからなかったけれど、本当だね……」
心優が、ふとわけのわからないことを呟いた。彼女の肌に夢中だった雅臣は聞き流したつもりだったが、なんだかその言葉が妙に胸に残ってしまった。
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