21.エース・ソニックの神髄
敵対するものが『なにであるか』判ってしまうと、逆にこれほどに親近感が湧くものなのか。
雅臣は今日、そう感じている。
操縦桿を握りしめ、旋回と上昇降下を当たり前のようにしながらも、心の中ではその奇妙な感覚に囚われている。
「ぴったりくっついてくる」
昨日まで、あっという間に現れ、あっという間に撃墜され憎々しくおもっていた『コードミセスのティンク』。
なのに今日は雅臣が必死にかわすフライトをしているため、向こうもロックオンのチャンスを逃しているだけなのだろうが、ほんとうにシンクロするようにぴったりと上か横、あるいは真後ろにひっついて追いかけてくるだけ。
それだけ雅臣が回避できているということになる。
『飛行時間が二十分を越えた』
今日は御園大佐の声だけではなく、橘大佐の声も聞こえてきた。
『いいぞ、ソニック。ロックオンをされないということは、かわしているということ。後はおまえが追うほうに逆転することだ』
「わかっています、隊長」
いまは室長、同列の大佐。しかし雅臣は、橘大佐のことはいまでも『俺を叩き上げてくれた、スワローの隊長』と親しんでそう呼ぶことが多い。
吸いつくようにぴったりと相棒のようにしてティンクが常にそばにいる。それは不気味でもあって、でも、『同じ事を考えて飛んでいるんだ』という親しみを覚える。
初めて知った。あのお姉さんは、俺と同じ感性をもって飛んでいたのだ。こちらもきっと『惜しい』と言わしめてきたのだろう。『女性でなければ』、そう言いたい男たちがいるのも頷ける。それをいま雅臣は体感していた。
だが、だからこそ。この人になくて、俺にあるもので勝負をしなくてはならない。そう、これは所詮『女性のデータ』。申し訳ないが、ここは男であるからこそのものを発揮させてもらう。
「できるのか、このシミュレーションで」
コックピットと同じ動作性を持つシミュレーション機。雅臣も何度か操作してきたが、重力がかからない分、操縦桿が重くなっている。シートが回転するので遠心力はかかるが負担は軽く、簡単に操縦できたと思っても、その分データには空を飛んでいたらそんなものだろうと思える控えめの結果が出る。
結局は、戦闘機操縦の疑似。本物の戦闘機だからこそできる操作と現象というものがある。それがこの疑似の世界でできるのか?
だがもうそれしか思いつかなかった。ぴったりとまとわりついてくる分身のようなティンクを追い払おうと悶々としているうちにそれしか思いつかない。
「いま操縦しているこの機種は、俺が乗るはずだった『雷神のネイビーホワイト』……。その機動力はあるはず。あちらは、旧型のホーネットだ」
いくぞ、ダメモトだ! 雅臣は操縦桿を握りしめ、ヘッドマウントディスプレイに映るデータを読み込む。
海の水平線が消え、ティンクに『追いかけてもらうため』にわざとスピードをアップして高速で飛んでもらう。
俺の狙い目は『変態機動』。ティンク側で『オーバーシュート』(追撃していた状況から相手を越してしまい、後方をとられる)になるのを狙う!
調子よくティンクが高速で追いかけてくる。今だ! 雅臣は操縦桿を捌く。機首がぐんと跳ね上がる。ここでギリギリの減速――。その減速により雅臣が座っているシートが機首を真上に垂直になる!
『プガチョフコブラか!』
橘大佐の驚きの声が聞こえてきた。
いま映像は、ティンクの機体の真上に、機首を跳ね上げ垂直になったソニック機というものになっているはず。そして雅臣も見た。垂直になっている機体の下方にティンク! 彼女が雅臣の機体の前に出た。ここで後方をとれば、こちらからロックオンが狙える。
ただこのプガチョフコブラという機動の弱点は、垂直になっている体勢中にロックオンをされやすいということで、空戦機動で有効というよりかは、戦闘機のその性能を魅せるための展示飛行的な技とも言われている。それをこの実戦で賭けで使っている。
だが今回は相手はティンク一機。なんとかなるのではという雅臣の賭けだ。
真上に向いた機首がゆっくりと傾き落ちていき、元の水平に戻ろうとする。その後、機首が下を向こうとする、そのまますうっとゆっくりと降下していく。その降下する時、ティンクが目の前にいるか、いないか――だ。
いた! 減速されたためゆっくりと木の葉のように機首が降下していくそこに、彼女がいる。今度は俺が彼女を見下ろしている!
すかさず操縦桿を動かし、ロックオンの照準リングをティンクの機体にロックする。ここまでくればもう決まったも同然。
『マジか、マジかよ!』
橘大佐の驚きの声が響く。二日でコードミセスを制する。
それがいま現実となる。雅臣の目の前には、ティンクの尾翼。そこに照準合わせのリングが固定される。
「ロックオン、撃墜」
赤いボタンを押した。目の前の戦闘機の尾翼から炎があがる。空中で粉々に散って、海上へとひらひらと落ちていく映像がかえって痛々しく、雅臣は手放しで喜ぶことはできなかった。防衛パイロットはそういう痛みも覚悟して飛んでいるのだから――。
チェンジのコックピットが明るくなる。ひと息ついてから、雅臣はヘッドマントディスプレイとベルトを外す。ゆっくりとシートから降り、シミュレーション機のドアを開けた。
そこに一人の男がいる。急いで二階のコントロールルームから駆け下りてきたのか、黒ネクタイの制服姿でも汗を滲ませ、息を切らして雅臣へと向かっている。
「先輩、すげえ!」
英太だった。純粋な子供のように透き通る黒い瞳で、敬う眼差しを向けてくれている。
だが、雅臣はそんな『少年』に容赦はしない。
「あたりまえだろ。女指揮官の犬になりきってそのままのガキと一緒にすんな」
そこでようやく悪ガキの目が闘志を秘めた光を放つ。
「いいなりになってるわけじゃねえよ。あの人の演習だって、とんでもなく『えげつない』こと要求して、俺もコブラでなきゃ回避できないことあったよ。それぐらい、やりこなしてきた。先輩だってあのままコックピットにいられたら――」
俺にもしも……をいいやがるのか。誰もが避けてきたその言葉を。だから雅臣も言い返す。
「あのままコックピットにいられたら、俺がエースだ。おまえじゃない。俺なら1対9を制覇してエースになったと言い切れる。おまえのように、もう誰も前にいなくなったから、1対9はやらなくてもエースでいられるだなんて甘んじない! 絶対に1対9を制覇したエースにこだわる!」
あのままコックピットにいられたら、先輩だって『ミセス准将のえげつない演習に四苦八苦したはず』と言いたかったのだろう。なんだと、この悪ガキ。演習がえげつない訓練になるのは当たり前だろ。俺より訓練を積んできたみたいに言うな!
そういいたいが、そこはもう何年も前に戦闘機から離れた男が現役エースに言えるものではなかった。それでも雅臣は英太へとその眼差しを射ぬく。
「おい、英太。できるっていうなら、俺と一緒にそこに行こうじゃないか。見ただろ。俺はコードミセスを制した。つまり、あの人が行こうとしなかったところに、俺となら一緒に行けると言っているんだ」
やっと英太は自分がなにを持ってここに呼ばれたのか悟ったようで、ギョッとしている。
「は? ま、待ってくれよ。先輩……。そんな、」
「おまえがやれないって言うなら、俺はそこに行きたいから他のパイロットを相棒にする。その男が1対9を俺と制したら、おまえはエース返上、新エースの誕生だ」
それにも英太がショックを受けた顔をした。
「敵方の指揮官には葉月さんについてもらおうと思っている。俺は、あの人がいなくなる前に、あの人ができなかったことを達成させる。いまそれしか頭にない」
空の仕事に戻ってきたからには。もう飛べないのなら。それしかない。
「ほ、本気でいってんのかよ。先輩……」
「飛べなくなったエースの意地を馬鹿にすんなよ」
コックピットを降りても、エース。その威厳と気迫をまだ若いこのエースに見せておかなくてはならない。
そして――。俺に『雷神』という希望を持って期待してくれ、でも失って苦しんだあの人へ。俺を空へと戻してくれた、愛する彼女と一緒に空へと飛ばせてくれたあの人へ。
葉月さんからもらった空を、彼女に見せなくてはならない。
それが俺と英太の卒業だ。
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