27.エース仕上げ

 半年前まで、この栗毛の女性は毎日この空母の演習指揮に君臨していた。


 潮風になびく柔らかな髪、表情を読ませない琥珀の目、つんとしたままの唇は滅多に微笑みを刻まない。


 でも。そこに風が吹く。甲板にはそぐわない女の匂いを漂わせ、でも女の顔ではない。


 ――ミセス准将が来た!

 甲板要員達が戦闘機の整備をしながら戸惑う姿を見る。

 ――なにかあったのか。

 すっかり退こうとしていた雷神の隊長が知らせもなしに現れたために、雷神のパイロット達もざわめいていた。


 訓練前、ブリッジ入口のドア前に集合することになっている。橘大佐を筆頭に、その隣に雅臣が、そして控えめにしてミセス准将が並ぶ。御園大佐は雷神パイロットの後ろに控えて見守っている。


 白い飛行服の彼等が整列している前で、いまは雷神の訓練責任者である橘大佐が真向い伝える。


「突然だが知らせがある。エースコンバットを再開させる。ただし今回のコンバットはエースを決定するものではなく、鈴木少佐がクリアをしていない1対9に挑んでもらうためのものである」


 雷神の男達が驚き、顔を見合わせている。だが、前もって知っている英太とフレディだけは動揺を見せず、既に覚悟した落ち着きを見せている。


「鈴木のために、他の9機は敵機の役回りをしてもらうことになる。鈴木のステージアップのためだけの演習となるのではと思われるかもしれないが、今回のコンバット再開にはもう一つ目的がある」


 ついにそれが彼等に伝えられる。


「エース機、7号バレットを追い込み最終的撃墜に五回成功した者には『ジャックナイフ』の称号を与える。その前に鈴木がステージクリアをした場合は無効となる。ジャックナイフの称号を得られる者は一名。早い者勝ちだ。誰よりも先に、鈴木の前進を五回阻止出来た者に与えられる。これが細川連隊長が称号を与える為にお考えくださったルールだ」


 ジャックナイフの称号だと!? さすがに雷神のパイロット達が湧いた。


「そうだ。あの細川元中将がフロリダのパイロット達に言わしめたものだ。その後、引退後もパイロットならば知っている男のタックネームが称号となる。細川少将連隊長が、父上の許可を取った上でつくってくださったばかりだ」


 雷神のパイロットのざわめきに構わず、橘大佐が雅臣の背を押した。


「エース、バレットには城戸大佐がつく。9機の監督は……」


 橘大佐がミセス准将を見た。そこでやっと彼女が前に一歩出る。以前のように、この雷神を率いている長は私であると胸を張っていた時のように――。


 雅臣の隣に、彼女が並んだ。


「9機の監督は御園准将がつく」


 それにも英太とフレディ以外のパイロット達が戸惑いを見せる。


 どうして急にそんな『ソニック対ティンク』みたいな対戦ができあがったのだ――といいたげなパイロット達の顔。


 そこにコードミセスを挟んだ『パイロットの気持ちの対決』があったことをまだ彼等は知らない。


 エースソニックとエースバレット、そしてミセス准将の対決なのだ――、彼等はそれをもう悟っていた。


 そこに誰もの脳裏に浮かんだことだろう。『これは世代交代の前兆』なのだと。


 ミセス准将が甲板を去っていくかもしれない。その後継は、ソニック。いまからのその継承が始まるのだと察したパイロット達の表情もすぐに引き締まり、彼等も落ち着きを取り戻した。


「では、9機のリーダーは、1号機、スコーピオンにしてもらおう。いまから五分のチームミーティングとする。追い込み作戦にポジションなどを決めるといいだろう」

「ラジャー!」


 これから彼等9機がすべて、雅臣と英太の敵となる。

 9機の輪の中に、ミセス准将もすっと静かにはいっていく。


「バレットと雅臣も話し合っておけよ」


 橘大佐はあくまで中立の役割を買って出たようだった。


 9機のパイロットとミセス准将が密やかに作戦を打ち合わせている中、雅臣と英太は二人で向きあう。


「先輩、俺、本気でやるつもりだから」


 白い飛行服姿の英太も、今日はいつになく大人の顔で雅臣をまっすぐに見つめている。


 その眼差しに、雅臣は切り込む。


「英太、おまえ。9G追い込み、連続でもいけるよな」


 9Gの重力がかかるような飛行でもいけるか。その問いに英太が『え?』と戸惑う表情を見せた。しかも困ったように、そばにいなくなってしまった葉月さんへと振り返っている。


「当然っすよ。いけるに決まっているじゃないですか。まあ、予測8Gになると葉月さんがいつも止めちゃうんですけどね」


「俺は止めない」


「……生きて還るが雷神の最低条件のはずでしょ、先輩」


「9Gで還ってこれるだろ。俺なら還ってきた」


 英太が仰天し黙った。いままで『それができたとしても深入りはするな。生きて還ってこられる範囲でやめておけ』と叩き込まれたのだろう。


 それは大事なことだ。そして英太はもうそれを理解している。横須賀で『俺なんかどうなってもいい』と、ヤケになって飛んでいた本当の悪ガキだった頃とはもう違う。だからこそ、今度こそ『限界に挑める』のだと雅臣は思う。


 葉月さんが命を大事にするパイロットに育ててくれた。なら、次を引き受ける俺がするのは『本物のエース』に仕上げること!


「あの人は知らない。でも俺は知っている。限界までのコックピットを知っている。そしておまえもそれができる男だ」


「先輩のハイレートクライム、滑走路極低からの鋭角上昇、新人の頃に真似したけれどもどうしてもできなかった。今の今まで滑走路のアスファルトの真上にいたのに、あっという間に空の彼方に機体が見えなくなる。鋭角どころか、直角上昇にも見えた。スピードも、身体の体力も耐久性も、技能も全くなかった。あると思っていたけど、なかった。でも今ならできる」


「そうだ。いまの英太は、『あの頃の俺』だ。俺の指揮はあの人の『守る』とは違う」


 英太も覚悟を決めたのか、いつもの生意気な笑みをみせた。


「つーことは、いままで止められていたところ、もっと思いっきりやちゃっていいってことなんすね、先輩」


「あの人に、スワローの俺達がいなければ『雷神』は成り立たなかった、これからも成り立たない――と思い知らせてやるんだ」


「いいっすね。やっぱり俺がエースだって見せつけてやりますよ」


 だが、悪ガキのその笑顔と眼差しが少しだけ翳った。


 彼女はいつかいなくなる。それを受け入れる時が来たのだと。悪ガキもようやく決意をしたのだろう。

 そして本物のエースになることが、彼女へ恩返しの気持ちになるはずだ。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 エースコンバット再開から、数日が経つ。


 小笠原の飛行隊は、点検を兼ねた待機停泊中の空母を日頃の訓練の場としていることが多い。


 その空母から離艦した後は、敵対するそれぞれのチームに上空で分かれ、空母を標的としたロックオンを狙うチームと、それを阻止するチームという形式でドッグファイトの訓練をする。これが小笠原式コンバットと呼ばれ、さらには、雷神のエースを選ぶためのエースコンバットとも呼ばれている。


 雷神のエースコンバットはさらに形式が加わる。

 5対5、5対2、5対1とチーム形式から徐々に味方が減っていき、1対1から、2対1、3対1、と対戦機体が増えてステージアップする。

 最終は9対1。これを制覇した者がエースの称号を得られるというのがルールだった。


 雷神エースコンバットが始められた二年前、8対2までステージアップが出来たパイロットは三名。リーダー機を務める1号機『スコーピオン』のスナイダー=ウィラード中佐。6号機『スプリンター』のフレディ=クライントン少佐、そして7号機『バレット』の鈴木英太少佐。


 スコーピオンは9対1のステージに到達した時点で、あとひとつのステージクリアを目の前にしながらもギブアップ宣言をした。


 スプリンターもそこを目の前にしながらも、ギブアップ宣言をした。

 9対1のステージで対決する者がいなくなり、最後残った英太が自動的にエース称号を獲得した。


 英太はもちろん納得はせず、一目散に御園葉月准将に抗議をしたが、そのときも様々な一悶着があったと、雅臣は聞かされている。


 しかし、どのような経緯であれ、ルールどおりの中、英太は雷神エースとして、皆に賞賛されつづけている。


 そして最後の『宿題』を、元エースだった雅臣が、英太とミセス准将を巻き込み、その気にさせ、残りのステージ『9対1クリア』を狙う。



 『エースコンバット』は白熱しながらも、英太はラストステージをクリアできず、また雷神のパイロットからも『エース狙撃、ジャックナイフ』の称号を取得する者もなし。


 つまりは、雅臣とミセス准将の指揮も互角ということになる。


 今日も英太は雷神9機から逃げ切るだけで精一杯。残しているハードルあとひとつがクリアできずじまい、そして追いかける側の9機も誰も狙撃の称号は得られずじまい。


 そりゃ、そう簡単に決着がつくわけないか。コンバットに参戦している十機全てが、トップパイロットとして選ばれ雷神に配属されてきた強者ばかりだ。


 これは時間がかかるな――と、雅臣も気長にやっていく気持ちに切り替える。


 空母艦、ブリッジのにある管制室内の指揮カウンターで、今日も英太のコックピットの様子と、ガンカメラで捕らえる空の映像と、そして彼のヘッドマウントディスプレイで今現在目の前に映し出されているデータがモニター画面に表示されている。


 雅臣が見るモニター台から数メートル離れたところにも、9機を指揮するミセス准将が、同じくモニターを何機分も表示させて指揮をしていた。


 あちらの指揮は淡々としている。彼女は無線のインカムヘッドセットを頭につけているが、口元を静かに動かしてマイクに呟くだけで、声を荒げることはまずない。


 なのに、1機に対して9機での追い込み。静かなアイスドールの指揮は容赦ない。冷たい横顔は表情を読ませないし、声で動かす9機の戦闘機は手抜かりなくエース機を無惨に撃墜していく。


 だが、空母前で『とどめの狙撃』を五回成功も難しいものにしている。


『五時の方向に2機見える。後方1機――』


「低空、海上に2機控えている。バレットが全力で逃げ切って空母目の前に来た時に、一気に追い込みをかける編隊ってことらしいな」


『スプリンターは、いまどこに』


 英太が常に意識しているのは、親友で通常ならば僚機になる6号機スプリンター。


「わからない。こちらでも確認できていない」


 レーダーで9機がどこに散らばっているかはわかるが、どの点が6号機スプリンターなのかわからない。


『ミセスのことだ。追い込み隊で海上低空に温存させているかもな。俺が気になるライバルの体力は絶対に使わせずに、最後だけ全力で畳みかける役。相変わらず、えげつないよ。スプリンターだってそんな勝負はしたくないと思うのに……』


「そうだな……」


 雅臣はたった一人で指揮しているモニターから、護衛の心優にラングラー中佐、そして橘大佐までそばに置いて囲まれている彼女の指揮カウンターへとちらりと視線を向ける。


 英太がいうとおり『えげつない』。彼等が『今度こそ真剣勝負で決着をつけよう』と男同士で誓って挑んでいるというのに。


 英太にだけ体力をとことん使わせ、本当に体力を使い切って決着をつけたいはずのフレディは最後の切り札に残しておき、追いかけっこには参加させない。


 最後、空母前まで息も絶え絶えやってきた英太がロックオンを挑む時、そんな時にどこからともなくスプリンターをあてがって、狙撃させる。


 そうすれば、スプリンターは9機の援護を受けた上で、易々と狙撃ができる。その狙撃も本日でそろそろ3回目、あと2回で称号を得られる5回。その称号を与えたいが為に、ミセス准将が指示しているのだろうか。


 ――あの人だってわかるはずだ。そのやり方が、パイロットのプライドを傷つけるということを。なのに、どうしていつものような演習的な作戦を押しつけているのか。これは彼等のプライドをかけたパイロットのためのコンバット。好きなようにさせてやればいいのに。と、雅臣も口惜しくは感じている。


 だが、そう思わせるのが『ティンク』の思惑にも思える。姑息な手段をみせつけて、こちらを精神的に苛立たせる作戦なのかとも感じている。


 となると、そろそろ正攻法でやってきそうな気がする。『フレディ、2回目までは演習でそうであるように勝利を優先にしなさい。どんな作戦でも狡賢い姑息なやり方だと言われても2回まで我慢するのよ。あとの3回、貴方の好きにさせてあげる。その時に勝負をかけなさい。そこまでの土俵は貴方のために私が作り上げてみせるから』。


 何故か、雅臣の頭の中に、そう指示をするミセス准将の声が聞こえる。そうあの人なら、こんな作戦を立てそうだ。

 

 ということは……だ。


「バレット。いまおまえの周辺をマークしている近しい機体は気にするな。それよりも『いま俺はここを攻められたくない』というポイントがあるなら、そこに注意を集中させ……」

  ……集中させろ。と言い終わる前、『来た! 絶対にアイツ!!』、雅臣のインカムヘッドホンに英太の叫びが突然届いた。


 海上低空から、急上昇で英太の真横に切り込んできた。雅臣のモニターにも、6号機の機体番号を確認する。


 ―― コードミセスのような動きできた!


 やっぱりあの人の考えそうなこと、当たっていた! そして英太も雅臣の指示がなくともきちんと構えていた。


『息切れ切れの急上昇をしてきたばかりだろう! 今度は急降下させてやる!』


 真のエースコンバットが開始する。


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