15.先輩、エースの見本!
ちょうど昼時、 混雑するカフェテリア。
いつも窓際の席は人気席で空いてはいない。ど真ん中のテーブルは各訓練から帰ってきたパイロットたちの溜まり場になっている。諸々の視線を避けるため雅臣と橘大佐は壁際の隅席でひっそりと向きあった。
「腹は立ったけどな、なんとなくわかっちまったんだよ」
和定食セットを選んで食べている橘大佐からふと呟き始めた。
雅臣もカツ丼セットを食べ始めるところ。
「葉月さんが横須賀にそろそろ帰るか――と聞いたことですか?」
「そう。俺がちょっと漏らしちゃったんだよな。『小笠原で子育てできるんだろうか。横須賀市内のごくごく普通の学校に通わせた方がいいのか』ってね」
橘大佐の子供は秋には生まれる予定だった。ちょいワル兄貴だった彼もついに親父なる。彼も人並みに子育てを考えるようになったということらしい。
「俺も
「なのに、言われた時はそこに気がつかずに『バカにすんな』――と突っ返して帰ってきてしまったんですか」
『そういうこと』と、彼らしくない非常に落ち込んだ様子でうなだれていた。
「横須賀にそろそろ帰る? と言われて、それだけで頭に血がのぼっちまったのもさ。実は……その、」
彼がそこで言い淀んだ。なんでもはっきりと声を張り上げてハキハキしている隊長殿ではない、珍しい様子を見せる。その大先輩がちらっと申し訳なさそうに雅臣を見た。
「怒るなよ、気にするなよ、雅臣」
ドキッとする。これからこの大先輩で、元上司で元隊長であった彼になにかを言われる嫌な予感。
「な、なんですか」
「彼女が『横須賀にそろそろ帰る?』といった途端に俺がすぐに感じたのは子育てで気遣ってくれたんだということではなくて、『バカにすんな。雅臣がそばに来たから俺はもういらないっていうのか。バカヤロウ』と咄嗟に出た言葉がそれだった。ほんとうに咄嗟に。どうしてあんなこといいだすんだよと頭に来たものの、雷神室でちょっと冷静に考えてみたら『ほんとうは俺が父親になってどうしたいかということを、心配して言いだしてくれたんだ』とさっき急に気がついた。それでもな、あの女も前振りもなくさらっと言い出すからさ。なんでも急な女なんだよ。いつだって驚かせやがって、そう思うとまた腹立ってくんのな。だからむかっ腹立ったまま戻ってきてしまったんだよ」
「そんな、俺のせいで……。隊長にそんな気持ちをもたせているんですか」
「いやいや。別におまえのせいとか思ってねえよ。でもな、俺な、いつのまにか小笠原に愛着を感じていて、出て行きたくねえーと思っていたんだと目の当たりにしたのもショックだったな」
「真凛さんはなんと言っているのですか」
「どっちでもいいと言っている。でも小笠原から出るなら事務官を辞めるとかまで言っているんだよな……」
それはもったいないと雅臣も呟いた。彼女は事務官としては優秀で、いま雅臣がいる雷神室の事務官を選抜する時に、御園准将が『彼女なら信頼できる』と候補にしたがった程。だが、所属先の四中隊が彼女を手放したくなかったことと、雷神室の室長が『彼女の夫』であることから候補から外されたと聞いている。それほどの彼女を辞めさせるのは軍の損失だと本気で思う。
「真凛さんと心優は同世代であって、御園とも近いし、同じく官舎住まい。仲がいいんですよね。できれば、小笠原で一緒に子育てをしてくれたら……とも思っているんですよ」
「だよな。真凛もそう言う時あるよ。園田さんとは一緒にやっていけそうってさ……。でも小笠原の小学校だとほぼ基地の日本人隊員の子供達で転校で出入りが激しくてさ、でなければ、御園家みたいにアメリカキャンプのインターナショナルスクールにおもいきっていれて、海外方式の教育にしちまうかになるからな。まだ先の話だし、俺もその時どうなっているかはわからないけどさ。考えるんだよ、どうも最近」
「もうすぐ本当に父親になるのだから当たり前ですよ、そりゃ」
「雅臣はまだそうだな。結婚したようなもんだけれど、まだ挨拶も終わっていない婚約中だし。まずは正式に結婚をすることでいっぱいいっぱいだよな」
「はあ、そうですね。航海任務もまた控えていますしね」
まずはそれが終わらないと、落ち着いた結婚式もできない状態。それでも雅臣も子供ができたらは、ふわっとしたものだが考えることは多くなっている。
「雅臣がほんとうに葉月ちゃんの右腕になったら横須賀に帰ろうと思う。雷神のノウハウももう少し学びたいしな。俺と長沼の野望はそれからでも遅くないだろうさ――」
だからミセス准将には、俺はまだおまえから離れないぞ――と言ってやるんだと橘大佐も心決めたようだった。
「でさ。おまえはなに苛ついているんだよ。もうコックピットにいるわけでもないからライバルもいない。かといってシドのことはおおらかにどーんと構えられているならなんなんだよ。事務室のあいつらは、葉月ちゃんが大隊本部から選抜してくれた『信頼できる男候補』の二人だから、これから徐々に御園のそばで働く心構えを教育してくれって澤村君にも頼まれているんだよな。俺がうるさい男なら、雅臣は受け止め役としてうまいバランスとれているところだからさ――」
まだ馴染まない若い二人を居心地悪くさせたくないという室長の心配だった。
雅臣も信頼できるパイロットの先輩と二人きりになったので、腹を決めた。
「コードミセスと対戦しました」
「は、あれと!」
先輩も驚いた顔になったのは一瞬。なにかを思い出したのか、すぐに不機嫌そうな顔になる。
「おまえが苛ついてんの、納得した。俺も最初にあれと対戦した時、しばらく彼女と口をきくのも嫌になるほど、むかっ腹たったんだ」
うおー、やっぱりエースパイロットはこうでなくちゃ――と、雅臣は急に舞い上がってしまった。
「ですよね! 俺もめっちゃ悔しかったんですよ。なんすか、あれ。めちゃくちゃっすよ。でも彼女から体力負担をとっただけと聞いたらまた腹立たしい。しかも『そいつ』にあっという間に……」
ああ、あの時の悪夢と死神的飛行とアイスドールの眼差しが焼き付くようにして、雅臣の胸を痛めつける。悔しさでいっぱいになる!
「で、エースソニックはどれぐらいでやられたんだよ。俺は五分即刻」
また泣きたくなってきた。この先輩の方がまだ逃げ切っている。
「俺は三分も経っていなかったです」
橘大佐が同情めいた目つきで溜め息をついた。
「雅臣は、俺の教え子の中でもほんとうにエースの中のエースだった。それは自分でも自負しているだろ。ライバルが現れても絶対に勝利してきただろ。なのに、いまになってなんで女性パイロットだったコードミセスなんか気にしたんだよ。あのデータが『女性パイロットのデータだから、俺と対戦しても無意味』と思い続けていれば、あんなバケモノデータに遭遇することも興味をもつこともなかっただろうに……」
まさにそれだった。本当に罠にはめられたような気分でいるのも、むかつきに拍車をかけている。
勘が良く、采配が一流でも、パイロットとしては体力が劣れば技術が高くてもそれ止まり。それが女性パイロット。もちろん女性パイロットだって訓練をすれば、防衛で活躍はできる。男より冷静に対処だってできるし、戦闘機も操れる。それでも、体力込みで勝負すれば、そこは絶対に勝てることはないのだ。だから……。どんなに采配は優秀なミセス将軍様であっても、正直なところパイロットとしては『敵でもない、ライバルでもない』、だから対戦なんか興味もない。だったのだ。
そんなことをしなくても『俺はエースだった男、ソニックだ』と胸を張れていたから。
「どうして対戦に興味を持ったんだよ」
そこも橘大佐にはもう隠せないだろうと覚悟した。
「葉月さんから、英太を引き取ろうと思っています」
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