38.沼津 園田家(心優実家)

 潮の香りは、小笠原とおなじ。千本松原の海岸、港町、沼津。


 心優が生まれ育った場所だった。元は母の生まれ故郷、演習出張などで父親の留守が多いため、母の実家のそばに家を建てたと聞かされている。


 心優の祖父も空手をしていた。そんな祖父と父が最初に出会っていて、師範であった祖父の娘と、その弟子として父と母は出会ったらしい。


「そうか。じゃあ、心優の師匠はお父さんと言うより、お祖父ちゃんなんだ」


「ちっさい時はね。お父さんも留守は多かったけれど、いる時はみっちり教えてくれたよ」


「心優は子供だったから知らなかったかもしれないけれど。心優の親父さん、園田少佐の手ほどきで育った特殊隊員も結構いるらしいからな。そういう男達が極秘の任務に出て行くための格闘訓練も担当していたようだから、演習となると何日も訓練にこもっていたはずだよ」


「うん、最近知った。お父さんも軍隊の仕事は機密の部分が多いから家ではそんなこと喋れないんだよね。御園准将という中枢にいる上官の下にいると、そういう話も普通に聞こえてくるし、護衛部の部長とか、シドと一緒に訓練をしている海兵の特殊隊員さん達が『園田教官のお嬢さん、やっぱりさすがだ血筋だと思いました』なんていまになって言ってくれるんだよね」


 御園准将のそばにいれば、軍の機密もすぐそばで日常。そんなことはもう知っているだろう秘書官になった途端に、聞けるようになった『父の功績』。


「そういう演習に駆り出されていたんだろうな。実戦経験はなくても、そういう『技』はお父さんならではなんだろう。心優だって実戦でその実力発揮していたから、余計に証明されたもの。心優のシルバースターの勲章は、心優を育てた園田教官の功績でもあると言われているらしい」


「え、そうなんだ。知らなかった――」


「お父さんの株もあがったことだろう。これから園田教官目当てに訓練を申し込んでくる男達が殺到することだろうな」


 心優が授与された『シルバースターの勲章』。それが父のためにもなっていると聞いて、嬉しくなった。あの時、命がけという言葉すら浮かばないほど必死だった。もう少しでお父さんとさよならすることろだった。でも、お父さんが叩き込んでくれたこと全てが心優を守ってくれたとも思っている。あれはお父さんそのもの。それがさらに評価されたなんて……。でもそれも生きて還ってくればこそ。心優は再度、還ってきてこそと肝に銘じた。


「あの家だよ」


 濃いピンク色の薔薇に囲まれた玄関を指さした。


「うわ、心優の実家ってかんじだな」


「そ、そうかな。……えっと、がさつな体育会系の家だからね」


「いやいや。お母さんが家庭を大事にしているのがわかるよ。心優だってちゃんと女の子らしいんだから、そこはお母さんがちゃんと守ってきたってわかる家!」


 花々に囲まれているのは母の趣味なんだけれど……。でも確かに花が絶えない、季節を感じる家ではあった。


「でもー、ドキドキしてきたー。柔道のコーチと、格闘ジムの社長さんー」


 車を駐車した雅臣がまたハンドルへとがっくり脱力している。


「大丈夫だって。大佐だよ、ファイターパイロットで、エースパイロットだったんだよ。いまは雷神の指揮官だよ! 今度は副艦長なんだよ」


「うんなの、一般社会では関係ないもんな」

「あるよー、おなじだよ」


 いつまでも脱力している雅臣をなんとか励ます。


「心優?」


 車の音で気がついたのか、母が玄関から出てきた。それに気がついた雅臣がやっとしゃきんとして、いつもの凛々しい大佐殿に大変身。


 心優も車から降りて、久しぶりの母に微笑む。


「お母さん、ただいま」


「おかえり、心優ー。横須賀のお迎え以来ね」


「うん。あのあと業務報告があって一緒に食事もできなくて、すぐに小笠原に帰っちゃってごめんね」


 本当は『査問委員会』があって、大陸国のバーティゴ事故に、国籍不明不審者侵入などの報告があったことは、まだ母は知らない。


「それでもあなた、中尉に昇進したってびっくりしたわよ。護衛をしただけで昇進できるなんて、ほんとに凄いお嬢様な将軍様のところにいっちゃったのね」


「あはは、そうなの……よ、わたしもびっくりで……」


 基地では『不審者制圧をした空手家護衛官』と噂が流れ、認められているところがあるけれど。母からすれば、お偉いさんの為にそばにいる護衛官の泊のために昇進したと感じることしかできないよう。


 父も知っているはずだけれど――。そこは父も余計な心配はさせまいとか、子供だった心優にはずっと知られないようにしてきたように『極秘の仕事は軍隊では常』として家族にももどかしくても黙ってきたのがよくわかった。


「お母さん、お久しぶりです」


 そして、心優の隣に凛々しい大佐殿が並んだ。

 背が高くて爽やかなお猿スマイル。やはり母もそんな男前な大佐殿を見上げて、ちょっと頬を染めている。


「いらっしゃいませ、城戸大佐。この度はわざわざこちらにいらしてくださってありがとうございます」


「ええっと。お母さん、俺のことは、大佐じゃなくて、雅臣って呼んで欲しいです」


 娘の上官に接するような仰々しさだったため、雅臣がちょっと困惑していた。


「母さん、心優が来たのか」


 薔薇の庭から、父がもっさりと出てきた。今日はポロシャツにバミューダーパンツというラフなお父さんの姿で。


「お父さん、ただいま」

「お父さん、お邪魔いたします」


 制服姿で並んでいる二人を見て、父はなんだか誇らしげな笑みを見せてくれる。


 その父が目の前にやってくる。


「おう、お帰り。心優。そして雅臣君、いらっしゃい。待っていたよ」


 父は、大佐の肩章をしている雅臣を見ても、もうお父さんとしての接し方だった。だからなのか、雅臣の方がジンとしちゃった顔をしている。


「さあ、入れよ。寿司、頼んでるから」


 父が心優より雅臣の背を押して、連れていこうとしている。


「沼津で寿司ですか。楽しみです」


 雅臣もすっかり息子の顔になっていた。

 男二人が和気藹々と玄関へ行くのを、心優もホッとして眺める。


「よかった。お父さんらしくて……」


「そうなのよう。なるべく少佐と大佐にならないよう気をつけようと気構えていたみたいよ。スーツで来るのかな、制服かな、もしや正装でかしこまってこないだろうな。俺の服装どうしよう……なんて、ね」


 あ、こっちのお父さんもお猿さんと同じようにそわそわして悩んでいたんだと心優は知る。


「それに。心優が書いた婚姻届なんて見ちゃったら泣いちゃうどうしようなんて言っていたからね」


「ほんとに? やだ、お父さん。証人の欄にきちんと書いて欲しいよ。浜松のお父様はすごい落ち着いている方だったから」


「あちらのご実家は大丈夫だったの。お母様どのような方なの? お姉様もいらっしゃったのでしょう」


 母親の心配も早速。でも心優は満足げに母親に微笑みを返す。


「すっごく素敵なご家族だったよ。はやくお母さんにも紹介したい」

「あら、そうなの。心配しちゃったのに……」


 でも心優がそんなに嬉しそうなのも久しぶりね――と、今度は母が心優の背を押して家の中に行きましょうと連れていってくれる。


「うわあ、お母さんの薔薇。久しぶり。いい匂い……」


 実家の風の匂い。潮風と花の匂い。素朴な一軒家だけれど、母がつくり出すこの家の空気は、心優の大好きな匂いのままだった。


 あっという間に子供に帰れる。そんな匂い。軍隊で緊張しているなにもかもがほどけていくようだった。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 雅臣と一緒に久しぶりの実家へあがる。


「こちらへどうぞ」


 母の案内で客間にしている和室に通された。

 その和室に入って、心優はギョッとする。


 東京の大学でコーチをしている長男兄の『達郎』と、母と同居をしている次男兄の『武郎』とお嫁さんの咲子、そして武兄の娘ふたり、ルリとマリがきちんと正座して並んでいたから――。


「いらっしゃいませ、城戸大佐」

「おまちしておりました」

「いらっしゃいませ、大佐さん」


 一同揃って正座にて次々と畳に額が付くほど頭を下げている。あまりの物々しさに心優は唖然とする。


 それは雅臣も同じく――。あんなに緊張してやってきたお猿さんが、さらに硬くなったのが心優にはわかった。


 こんな仰々しいから、ついに大佐殿が襖がある入口で正座をしてしまう。そこ座ったら痛いでしょ……と心優は困惑するばかり。


「はじめまして。城戸雅臣です。本日はお邪魔いたします」


 違う、違う! うちはこういう仰々しい家庭じゃないから! 心優はそれを一緒に後ろで控えて見ていた母にこっそり言う。


「お母さん、なんなのこれ。雅臣さん、すごく緊張しちゃったじゃない」


「だって。大佐殿なんだもの。しかも空の国境を護っていたファイターパイロットさんでしょう。あのマリンスワロー飛行部隊でエースさんだったし、雷神にだって一番に引き抜かれて、横須賀基地でも将軍の秘書室長でエリートさんだったし。いまは雷神のエースを育てる指揮官さんでしょう。それに、今度の任務は副艦長。そういうお偉いさんがやってくるのよ。粗相のないようにとお兄ちゃん達、すごく気構えていたのよ」


 いつもの兄ちゃん達じゃない! 心優は呆気にとられるばかり。

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