31.大佐殿、副艦長着任

 眼鏡の奥の切れ長の目がさらに細められ、連隊長がその書類を広げ、部下達を見渡した。


「艦長は、御園葉月准将」


 返答は待たず、細川連隊長は淡々と読み上げていく。


「副艦長には、城戸雅臣大佐」


 打診されたまま、雅臣に副艦長の内示が出た。正式任命はまだ先だが、内示が出ればほぼ決定。雅臣は密かに拳を握る。


 今度は副艦長だ。ミセス准将を完璧に支え、空も海も俺が護る。最前線で俺が護る。その気持ちが湧き上がるばかりになる。


「艦長配下の指令室に配属する秘書官と空部指揮官を伝える」


 指令室に控える秘書官ならば、ラングラー中佐と心優、そしてその頃には怪我も完治するだろうハワード少佐は鉄板メンバー。今回もきっと……。


「艦長室の護衛に園田中尉、指令室の護衛にハワード少佐。今回は指令室秘書官として福留少佐にもついていってもらうと思っている。そしてコナー少佐」


 まさかの福留少佐までの指名に、そこにいた心優とラングラー中佐が驚きでも喜んでいた。お父さんの福留少佐は『まさかこの年齢になって艦長のお供で長期航海に!?』と仰天している。それはサプライズな発表だったが、そこにいた大佐達も拍手をしたぐらいだった。


 だがそこで細川連隊長がふと言葉を止め、なにやら躊躇っている溜め息をついた。いつにない様子に誰もが気付く。


「さて。いままで御園准将には決まった秘書官がついていたわけだが――」


 いままでは、そうだったが――。その前置きに誰もが眉をひそめる。では今までと違うことを告げられるのかと。躊躇っていた細川連隊長も意を決したようにようやっと先を進める。


「これまで御園准将の第一補佐として、または、指令室のまとめ役として、ラングラー中佐を任命していたが――」


 え、ラングラー中佐が外される!? 雅臣はギョッとする。それは周りの先輩大佐も同じく。心優もミセス准将も呆然としていた。


 十何年も彼女のなにもかもを補佐してきたラングラー中佐を外すとなると、その穴埋めは容易なものではないはず! まさか自分が副艦長として着任する艦にそんな穴を開けられては困る! まさか他に誰かフロリダから引っ張ってきたのか?


 心が大騒ぎしているその目の前で、細川連隊長が続きを冷たく言い放つ。


「今回の航海では、御園大佐にその役割を担ってもらうと思う。指令室長として就いてもらいたい」


 え!? 

 そこにいる全員が呆気にととられた顔になる。特にミセス准将と御園大佐が。まさかの夫妻での着任命令に頭が真っ白と言ったところだろうか。


「待ってください!」

「お待ちください、正義兄様!」


 御園大佐とミセス准将は揃って立ち上がり、揃って叫んだ。それにも二人はお互いに驚いたのか顔を見合わせる。そんな夫妻の、ある意味息が合っている反応すらも、細川連隊長は銀縁眼鏡の冷めた目つきで静かに見上げている。


「息が合っているな。安心した。その調子で艦隊を守ってくれ」


「いえ、そうではなくてですね。連隊長! 私と葉月、いえ、御園准将は――」

「兄様、そうではなくて! わたくしと澤村は――」


 そこも二人が揃った抗議を口にして、また二人で驚いた顔を揃えている。


「海東司令から言いだしたことだ。もう澤村をいちいち海上に連れていくのは骨折りで、補給艦から帰らせるのも骨折り。それならいっそのこと艦に乗せてしまえ――とのことだ」


「ですが! 私は工学科の者で、空部隊の者ではありません」


「適任とあれば、どの部署にいようが配置するのが上官の仕事であろう。海東司令の判断を反故にするつもりなのか」


「いいえ、決してそのようなことは……」


「そもそも澤村は、こうして空部隊の業務連絡にも既に首を突っ込んでいるではないか」


 妻の准将が大事な任務に就く時。彼はいつも空部隊の会合にはこうして参加しているのは確かなこと。影で動いていることなど、皆が知るところ。だが、空母艦に指揮官として乗船する任命されるのは、確かにいままでにないことだった。御園大佐が驚くのも無理はないと雅臣も思う。


 だが、これは……。雅臣はふと気がついてしまう。

 もしや。これが『御園大佐を隊長へ担ぎ上げる』とかいう始まりなのか――と。周りの先輩大佐達もいま、何を感じているのか気になる。


「しかし連隊長、それでは息子が一人留守番をすることになります。まだ未成年ですよ」


 御園大佐の案ずるところはまずそこ。おなじくミセス准将も妻であり母であるのだからウンウン一緒に頷いている。


 しかしそこも細川連隊長はいつもの冷たい顔でこともなげに告げる。


「ああ、それなら海東司令が海人自身にコンタクトをとって、承諾を得たと報告を受けている。留守中については、連隊長の私と海野が責任を持って預かるから安心するように」


 また夫妻が揃って『はあ? なんですって』と騒ぎ始める。


「以上である。心構えを整えておくように」


 知らせることは知らせた、もう用はないとばかりに細川連隊長は来たばかりなのに、福留少佐の珈琲を一口だけ含むと立ち上がってしまった。


 そのまま騒然としているミセス准将一行に振り返りもしないで、この部屋を出て行ってしまった。


 誰よりも呆然としていたのは御園大佐。そして妻のミセス准将は顔を覆って項垂れている状態。


「冗談じゃない!」


 そう吐き捨てると、御園大佐から部屋の外へと、連隊長を追いかけに出て行ってしまった。


 そこに残された者達はしばらくシンとしていた。ミセス准将も嘆いた姿のまま。


 だが一人だけ、そんな御園准将を白けた目で見ている男が。彼女の隣に座っていたコリンズ大佐だった。金髪青眼の豪毅な元パイロット、ビーストームを長年牽引してきた隊長で、ミセス准将の兄貴分。


「ああ、どうして意地悪な夫と一緒に子供を置いて二ヶ月も毎日毎日仕事の顔で海の上にいなくちゃいけないのよ、気が狂いそう!! ――なんて、白々しい演技はもうやめろよな、嬢ちゃん」


 コリンズ大佐の横でうずくまっていた彼女の背が、少しだけぴくりと反応した。


 ミラー大佐もなんだそういうことか――と溜め息をこぼす。


「なるほど。海東司令の『担ぎ上げ』が始まったということか」


 先輩達に見透かされ、諦めたようにして御園准将が伏せていた顔をあげる。乱れた栗毛の前髪をかき上げ、彼女もひと息。


「まさか。私にだって、夫と一緒に艦に乗るようにしておいた――なんて連絡いっさいありませんでしたわよ。いまここで初めて伝えられたんですからね」


 え、そうなのか。では本気で慌てていたのか――と大佐達も驚きを見せる。


「きっと夫と一緒に驚かせなくては、私の態度ひとつで澤村の担ぎ上げがばれると思ったのじゃないかしら。だから私にも知らせない。途中から気がついて、大袈裟には驚いたけれど、海人のことはほんとうに驚いたの! なんなのあの司令ったら。うちの息子にいつのまにかコンタクトしているし、海人も知らん顔を保っていたってことじゃない!!」


「あー、そういうショックなわけ。葉月ちゃんもお母ちゃんなんだなあ。というか、確かに……海人あなどれないなあ」


 橘大佐もそこは『お父ちゃんに似てきたんじゃないか』と感心している。


 雅臣も同じく、だった。このまえスーパーで会ったばかり。あの時には既に海東司令と個別にコンタクトをしていて、両親にも、母親と一緒に艦に乗ると決まっていた雅臣にも、知らぬ顔をしていたことになる!


「もう諦めたらどうだ。お嬢さん。それに、海人なら俺もコリンズ大佐も気にして面倒はみるから」


 ミラー大佐の言葉に、御園准将も少し落ち着いてきたようだった。


「そうだ、嬢ちゃん。海人はしっかりしている。もちろん、あいつが頑張っちゃうところだって知っている。もうすぐ大人になるんだ。海人は大丈夫だ」


 それに――と、コリンズ大佐が続ける。


「おまえが陸に帰ってくるのがこれで早まるんじゃないか。澤村が航海に出るようになる。そうすれば海人とおまえで、留守番ができるようになるだろう。まあ、適当な家事をする母親と留守番じゃあ、海人のほうがママに手間がかかって、負担が多くなりそうだけれどな」


「それ言えてるな。海人がよく愚痴をこぼしているもんな。母さんは人の家事の仕上げを滅茶苦茶にしてくれるって」


 言ってる、言っている。アメリカキャンプでは有名な話――とアメリカンの大佐二人が笑い出した。


「なんなの、もう!! そうよ、そうよ! 海人のほうが最近はお料理も上手だし、お菓子を焼くのもお手の物よ。アイロンも上手だし、なんでもできるわよ!」


「子育ても、ほぼ澤村君の功績だしな。いまから君が母親らしくしたところで、海人は逆に戸惑うだけのような気もするけれどなあ」


 ミラー大佐の嫌味にも、ミセス准将はお嬢ちゃんの顔になってムッとしている。


 ああ、ここにもミセス准将をお嬢ちゃんにしちゃう大佐殿が二人いたんだなあと、雅臣は感心してしまう。


 御園大佐を空部隊隊長に担ぎ上げる――そこに大佐達は気がつきながらも、御園准将を茶化すのが楽しいようで、その賑やかさのままになってしまう。


 だが雅臣も腹をくくる。自分が副艦長になること自体、ミセス准将の後継に一歩近づいたということ。自分が彼女のような指揮官に近づけば近づくほど、彼女が去っていく日が近づいてくるということ。


 そして、海東司令も『例外』を作る準備を始めた気がする。とにかくあの大佐を艦に乗せてしまえ。航海での経歴を重ねさせる。そうして数年後には……。


「そういえば、御園夫妻以外にも、もう一組の『新婚さん夫妻』もおなじく着任することになったみたいだな」


 ミラー大佐が、大人しくしている雅臣と、おかわりのお茶を配っている心優の二人を見た。


「おお、そうだった、そうだった。もうすぐ入籍するんだろう。夫妻もベテランになってきた澤村と嬢ちゃんが慌てているだなんてなあ。夫妻で乗船することでこんな騒いでみっともないよなあ」


 コリンズ大佐からの言葉にも、雅臣と心優は揃って照れてしまう。二人で目線を合わせると、心優の目が『返答は大佐殿にお任せします』と伝えてきた。


「いえ、うちはまだ子供がいませんから。御園准将が母親として、海人に留守を任せることを案じるのは当然だと思います」


 そう答えた雅臣を、ミラー大佐も、コリンズ大佐も、そして橘大佐も、どこか優しく見つめてくれているのでびっくりしてしまう。


「ソニックが帰ってきてくれて、俺は安心した。コードミセスを二日で攻略しただなんて。やっぱりエースだな」


 それまで記録を保持していたミラー大佐に言われ、雅臣は恐縮する。


「俺も、嬢ちゃんが雷神から離れる決意をしたと知って……。彼女と一緒にこれからの小笠原を考えていくことにしたよ」


 コリンズ大佐も今後の進退を決めているかのような言い方。彼女と一緒に――つまり小笠原での『訓練校』の仕事を一緒にしていきたいということなのだろうか。


「雅臣、俺もおまえが指揮官として落ち着いてきて安心した。もう、いつ俺が小笠原を去っても大丈夫だな」


 いちばん側にいてくれた先輩、橘大佐の言葉にも雅臣は頷き微笑んだ。



 頼んだぞ。ミセス艦長を。雷神を。



 そしてミセス准将も微笑んでくれている。


「雷神も、あなたのものになっていくのよ」


 小笠原で尽くしてきた彼等が築きあげてきたもの全てを、これから雅臣が引き継ぐのだろう。


 そのプレッシャーももちろんある。だけれど……。見えるのは、俺のコックピット。


 


 とっても綺麗だった。コックピットが宇宙みたいだった! 

 同じものを見たんだな。俺と心優。


 


 いけるよ、先輩。いまならいける!

 おまえはいま、あの時の俺だ。


 


 彼女と、俺と同じ空を飛ぶパイロット達がいる。


 


 雅臣、負けたわ。雷神をよろしくね。


 


 彼女の言葉を胸に、俺は心優と見た空を飛ぶ。

 いつかベイビーを抱いて、そいつらにも空と海を教えるつもり。


 会えるまで、あと少し、待って欲しい――。


 


◆ お待ちください、ベイビーちゃん 完 ◆ 


⇒ to be continued おまけ小話②&③ ⇒ 心優編 よろしくね、ドーリーちゃん

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