17.またね、ドーリーちゃん

 お土産と移動中の食料を持たされた双子は上機嫌。


「心優さん。俺達、浜松で待っているから」

「心優さんが来るの、楽しみにしているから」


 もう~、かわいい弟が出来たようで、心優も感激している。

 自分が末っ子だったから、こうしてお姉さんみたいに言われるとメロメロになってしまいそうだった。


「うん。浜松に行くの楽しみ」

「浜名湖とかみたことある?」

「よかったら、一緒に行こうよ」


「うん。横須賀基地に配属される前は、浜松基地にいたの。だから……、馴染みはあるんだよね」


 え、そうなの――と双子が驚いた。


「うん。だから、ちょっと懐かしい気持ちで、久しぶりに帰るってかんじはわたしにもあるんだ」


 そう。懐かしい……、低空飛行だった日々。目標を失って、ただただ日々を流していた頃。


 浜名湖といえば……。付き合っていた彼がドライブで連れていってくれたな、ということが直ぐに思い浮かんでしまう。


 いまは大好きな臣さんと出会えたから、これぞわたしの最高の恋、最後の愛と言いたくなるような幸せに出会えたから『思い出せる』、あの頃の彼のこと。


 それでも思い返せば、彼が『おまえは、つまらない』と言い放った意味も、いまは凄く理解できる。


 男の人になんでも察して欲しかったし、なんでもリードして欲しかった。自分の意見など、怖くて言えなかった。嫌われたくなかったから。ただでさえ可愛らしい風貌ではないのに、うざったく思われたくなかったから。


 なのに。なんで素敵な上司で大好きな城戸中佐には、あんなに思い切ったこと言えちゃったんだろう?


 そう思うけれど、心優にはその答がもう見えている。そう、わたし自身が、ソニックというパイロットを激しく愛してしまったからなんだと。


 自分の気持ちから愛してしまうと、あんなに一生懸命になって、でも泣きたいほど辛くて、そして傷つけてでも欲しくなる。お許しください、大佐殿。あなたを必死に愛したくて、あなたをあそこから連れ出したくて、傷つけてしまうほどわたし愛してしまったの。ソニックのシャーマナイトの眼差しに。


 それがあるから。あの頃の、嫌な自分のことは思い出したくないけれど、でもだからって、あの彼にふられたことなどでもう傷ついてはいない。


 双子と一緒に『じゃあ、浜松に帰ってきたら、なにを食べたい?』という話で盛り上がる。


 すっかりお姉さんとして慕われ、心優も楽しく会話をしながら、双子と一緒に准将室へと戻ってきた。


 『ただいま帰りました』――とドアを開けたのだが。ドアを開けた心優の目に飛び込んできたのは、准将席に手をついてミセス准将に詰め寄っている御園大佐の怒った顔。


 不穏な空気が准将室に満ちている。


「いい加減にしろ! おまえがそういう誤魔化しをするときが、いちばん怪しいって言ってるんだよ!」


「しらないわよ。だから、そういう文句は正義兄様にぶつけてよ。あと海東司令にお願いします」


「俺を裏切るのか、俺に嘘をついているのか。俺ではない男と組んでなにを見てる? 俺に隠すようなことがあるのか!」


「信じてくれないのなら、それでいい。私もあなたにそこまで言われるだなんてがっかりよ」


「信じたいから、こうやって確かめに来たんだろうが!」


 御園大佐がそこで、バンと激しく准将席を叩いた。

 妻を、ミセス准将をもの凄い鬼気迫る目で睨んでいる。


 いつも余裕の眼鏡顔の旦那様が、こんなに差し迫ったように怒った顔を見るのは、きっとあの時以来。そう、心優の寄宿舎の部屋にPTSDで体調を崩した葉月さんをかくまった時、皆に迷惑をかけたのだと妻を本気でひっぱたいた恐ろしいご主人様の顔になっていて、心優は久しぶりにゾッとした。


 御園大佐が、心優と双子が帰ってきたことに気がついた。


「ああ、おかえり」

 途端に、いつものにっこり優しそうなおじさんの顔になった。


 それでもミセス准将はちょっと苛立った様子で表情は堅いまま。


「またあとで」


「あとなんかありませんわよ。私といくら話し合っても無駄。方針に不満があるなら、連隊長に直訴してくださいませ。『澤村大佐』――」


 彼は夫の顔で妻に問いつめているのに。妻は上官の顔で、夫を『旧姓持ちの下官』として切り捨てた。


 それには、いつもの余裕の笑顔に戻れたはずの御園大佐も口惜しそうな形相に変貌し、チッと舌打ちをする始末。


「そんな顔はここだけのミセス准将。いつまでもはぐらかせると思うなよ。家で待ってる」


 強ばったままの眼鏡顔で、御園大佐はすっと准将室を出て行った。


 やっぱり。妻の葉月さんが『訓練校にアグレッサー部隊を作る』と初めて聞いてしまい、なにかを感じ始めているのだと心優は思う。


 そんな准将もちょっと不安そうに溜め息をついただけ。でも、すぐに微笑んでくれた。


「お帰りなさい。いいものは見つかったの?」


 双子も不穏な空気は感じてしまったようで、ちょっと遠慮した笑みを返しただけ。


 准将も双子の気遣いを感じたよう。


「ただの夫婦喧嘩よ。お互いにそれぞれの部署の責任者でしょう。夫と妻だからって、仕事のなにもかもを話せるわけじゃないの。私が先に知っていて、あの人が後に知って驚くこともあるの。その逆の時だってある。それでね……、あの大佐のおじさんは、奥さんの私のところに文句を言いに来ただけ。よくあるのよ。ね、心優」


 この空気をなんとかしろとばかりに准将が振ってきたので、心優も慌てて合わせる。


「もう~、またご夫妻で喧嘩ですか。でもご自宅に戻られたら、すぐに仲直りされるのでしょう」


「ま、まあね。き、きっとそうなるわね」


 准将も心優が投げた会話に合わせてくれたが、葉月さん……、隼人さんからのやり返しが心配なのかちょっと焦った返事になっている。


 心優も心配になってくる。あの旦那さん、本気で葉月さんに立ち向かうと容赦ないんだもんなあ――と。あの恐ろしいご主人様の姿になって、ウサギさんをばしばしやるのかと思うと、この葉月さんも『あなた、ごめんなさい』になってしまって、『いまみんなで隠していること』がばれやしないかと。


 それでなくても、次回の航海任務では、どうして俺が指令室長みたいな任命で、夫婦で乗船しなくちゃいけないのかと疑わしそうにしているのに。


 これは明日の葉月さんの様子次第では、ラングラー中佐に報告した方が良さそう――。心優はそう構えた。


 なんだか今夜がとっても心配……。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 ついに。アサ子母と双子が帰る時間が来てしまった。あっという間の小笠原訪問が終わろうとしている。


 昨日、騒ぎを起こした訪問者チェックゲート室で見送りをする。


「心優さん、お世話になりました。会えて良かったよ」


 宿をチェックアウトして、双子とすっかり帰る姿を整えたアサ子お母さんが心優に微笑みかける。


「わたしもです。……今回、会えて良かったと思っています」


 本当のゴリ母さんに会えた気がしたから。でも、だからって心優は予定を変えるつもりはない。


「もうすぐですけれど、浜松にご挨拶に行かせて頂きます」


 ご挨拶もしたいし、そして、雅臣のやりたいことに付き合いたいから。

 その目的もアサ子母に伝えることが出来たから、お母さんももう何も言わない。


「家族で待ってるよ」

「ハーレーも見せてくださいね」


 昨日こう言った時、アサ子母は躊躇った顔だった。でも今日は。


「うん。一緒に乗せてあげる」


 笑顔でそう言ってくれたので、心優はもう舞い上がりそうになる。愛車に乗せてくれるって、それだけ気持ちを許してくれたってことなのかなと。


 でもまだいろいろとひっかかりはあるので、心優も落ち着いて『はい、楽しみにしています』とそつない返答に留めた。


 そんなアサ子母が、ちょっとだけ心配そうに雅臣を見上げた。


「雅臣。ちゃんと心優さんを連れてきなよ」

「もちろんだよ。俺達、なかなか帰省できないと思うから」

「じゃあ、みんなで楽しみに待ってるよ……」


 雅臣はもう楽しみのようで満面の笑みで『うん』と嬉しそう。

 でもアサ子母は……、最後に心優にも不安そうな顔を見せた。


「じゃあ、心優さん」


 そういうとアサ子母からがばっと心優に抱きついてきた。

 えーー、なんか今日はお猿さん達に抱きつかれてばかり!? 心優はどうしていいかわからない。しかも母親のような女性にこんなに抱きつかれて、どうしたらいいのか、ほんとわからない。


 ――『来てくれたら、健一郎君のこと詳しく話すから。雅臣と出かける前に』


 耳元でそっと囁かれた。心優は驚いて、目を見開く。

 それだけいうと、アサ子母がさっと心優から離れた。


「祖母ちゃん、なにやってんだよ」

「心優さんがびっくりしているじゃないか」


 自分たちも心優にがばっと抱きついて、海兵隊の兄さんに注意された後。とはいっても女と女の抱擁。でも双子には逆に異様な光景に見えたようだった。


「へえ、心優さん。ドールみたいだね」


 心優の身体をぎゅっとその両腕で体感したお母さんがそう例えてくれる。


「お人形みたいなお嫁さんか。うん、いいね」


 その手で何を思ったのか。感じてくれたのか。でもゴリ母さんの感性て、独特で惹かれるものがある。そんなアサ子母にお人形さんと言われ、心優は嬉しくて頬を染めた。


「待ってるよ。ドーリーちゃん」

 義母の大らかな笑みは、ほんとうに臣さんそっくり。心優はお母さんに抱きしめられて初めて思う。ゴリ母さんって、母性が溢れているんだよね。ゴリラのお母さんって、愛に溢れている気がする。あの勇ましい胸元、おっきいおっぱいのクッション、抱きしめられたそのぬくもりがじわじわと心優に伝わってきている。


 そんなお母さんのドーリーちゃんになったみたい?


 心優さん、待ってるから!

 叔父ちゃん、待ってるからな!


 お猿な嵐を運んできたユキとナオも、もう清々しい笑顔で手を振ってチェックゲートを出て行ってしまった。


 昨日と同じ、夕の空――。

 星の煌めきが見え始めた紫の空に、横須賀行きの小型ジェットが飛んでいく。


 翼のランプが夜空に消えるまで、雅臣と見送った。


「やっと帰った」


 雅臣はホッとしたようだが、同時にやっぱり寂しそうだった。


「帰ろうか、心優」

「うん」


 今日はもう、家族を見送ったらそのまま二人で帰ってもいいとお互いの上司から許されている。


 夕の滑走路。そこで心優と雅臣は手をつないで帰路を行く。その姿を見た隊員達が二人をみてにやにやしているのもわかっていたが、雅臣も気にならないようだし、心優も今日はそんな気分。


「ゆっくりしよう、二人で」

「うん、ゆっくりしよう。臣さん」


 きっといま考えていること同じ。いますぐ、あなたと……。

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