おしゃま少女ヒゲグリモー

オジョ

第1話「ヒゲとネコの序曲」

その1

 紫色に染まる夕暮れの空。

 熱を帯びた高層ビル群の隙間を、冷ますような秋の風が吹き抜ける。

 オフィス街の路上は、1日の仕事を終えた人々で混み合っていた。列をなすように建物から現れては、地下鉄の入り口へと吸い込まれ消えていく。

 急ぎ歩く彼らは気が付かない。

 遥か上方、ビルの屋上から屋上へ、軽々と飛び移っていく影があることを。


 谷間風に流れる金色の長い髪。青いカチューシャと、光沢のあるエプロンドレス。右手にはティーポットほどもある、大きなダイヤモンドが握られていた。

 裾の広がったフリルスカートをひらめかせ、怪人は高らかに笑う。

 手に入れたばかりの宝石を夕日にかざせば7色に輝き、まるで宵の明星をつかんでいるようだ。

 地を這う働きアリ共には触れることすら叶わないものを、自分ならものの数時間で盗み出すことができる。そう思うと、可笑しくて仕方がなかった。

 立ち並ぶビルの上に幾つもの虹を掛けながら、怪人は薄闇に姿を消した。



 某県 林真下はやしました市 W町。

 林真下市立 第2中学校校門前。


「エーッオーッ、エーッオーッ」

 野球部の謎の掛け声を遠くに聞きつつ、一人の少女が不機嫌な顔で突っ立っている。

 片手に通学カバン、もう片方にはバイオリンケース。

 両手がふさがっているため時計を確認できないが、約束の時間はとうに過ぎている筈だ。少女の右のつま先は地面を小刻みに叩き、その度に綺麗に巻かれたツインテールがペコペコと動く。

 眉間にシワを寄せ、辺りを見回していた少女は、やがて向こうから駆けてくる別の少女を見つけると、いきなり怒鳴りつけた。

「遅い! どうして学校出てくるのにそんな時間かかるわけ」

 駆け寄ってきた少女は震えながら、ずり落ちかけた眼鏡を上げる。

「ごめんね、ツバメちゃん。教室にお箸忘れちゃって」

「加代が一緒にお稽古行こうって言うから、待ち合わせてるんでしょ。遅刻したらどうしてくれるのよ」

 巻き髪の少女は、他の生徒達の視線も気にせず、足を踏み鳴らした。そうして早足で歩き出す。

 眼鏡の少女はそれを慌てて追い掛けた。


 不機嫌なときの巻き髪少女、紺野ツバメには何を言っても通用しない。

 言い訳でもしようものなら、むしろ火に油、猛牛の前でマントを振り回すようなものである。烈火の如く怒り出すのだ。

 それを嫌というほど知っている眼鏡少女、小岩加代は小さな声でひたすら、ごめんなさいを繰り返した。

 暫くはつんけんしていたツバメも次第に機嫌を直し、急いだおかげでバイオリン教室の時間には間に合った。

 しかし開始早々、加代が稽古で使う楽譜を忘れてきたと知ったとき、ツバメの顔の中心には、再びいくつものシワが集まっていた。


 そして結局、帰り道でもツバメはプリプリと怒っている。

「どうしてちゃんと準備ができないの。そんなんだと一緒に通ってる私までだらしないと思われるじゃん。しっかりやれないんなら加代はバイオリン辞めたら?」

 容赦ない口撃に、口をぎゅっと結んで堪えていた加代だったが、最後の突き放すような一言で、彼女の目から涙が溢れ出した。

 ツバメと共に稽古へ通えないなんて、絶対にイヤだったからだ。


 ツバメと加代が友達になったのは今年の春、中学校に進学し同じクラスになってからのことである。

 前々から何か習い事をしてみたいと思ってはいたが、新しいことを始める勇気のなかった加代は、ツバメがバイオリンケースを持って登校しているのを見て声を掛けた。

 ツバメは幼い頃からバイオリンを習っていて、中学生になってからは英会話教室にも行きだしたという。

 私もバイオリンやってみたい。

 にわかに羨ましくなった加代が思いきって言うと、ツバメは「じゃあ、おいでよ」と笑顔で応えた。

 ツバメにしてみれば、自分が許可する立場ではないと思ったからそう言っただけなのだが、とにかく加代は喜んだ。憧れのお稽古と新しい友達をいっぺんに手に入れた気分だったのだ。


 そうして早五ヶ月。

 加代はバイオリンという楽器の難しさと、それからツバメという少女の気難しさを痛感している。

 加代はツバメのことが大好きだ。

 頼りになるしっかり者だし、勉強も教えてくれる。そして何より、彼女はとても可愛い。

 女子である加代でさえ、巻き髪を揺らして笑うツバメの笑顔を見ると、赤くなってしまう。

 加代にとって、ツバメという友達がいることが一つの自慢だった。

 しかしツバメは規律や時間に厳しい性格で、加代に対しても容赦がなかった。

 今日のように加代が遅刻でもしてこようものなら、鬼の顔になるのである。そうして散々小言を放った挙句、残酷な一言をぶつけてくるのだ。

 私なんかそばにいなくなったって、きっとツバメちゃんは全然気にしないんだ。

 そう思うと加代はいつも泣いてしまう。

「なに泣いてんのよ!」

 泣いたら泣いたで更に怒られることはわかっているが、涙は抑えられない。

「もう、いいわ。さっさと帰りなよ。暗くなると危ないから」

 呆れたように首を振り、先を行くツバメ。

 このまま帰ったら不安で眠れなくなる。そんな気がした加代は、なんとか会話をしようと頭を巡らす。

「危ないと言えば、そう、最近怖いよね。昨日またアリスが出たんだって」

「アリス?」

 ツバメが振り返る。

「怪盗アリスだよ。T都の美術館で、一番大きなダイヤが盗られちゃったんだって」

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