その8

「やっほー、ナッちゃん!久しぶり!」

 須永みちるは両手を胸の前で振った。ふっくらとした頬にえくぼが浮かぶ。

「元気してた? ......なんて、してるわけないよね。寂しかったよね。だって私がそばにいなかったんだもの」

 笑みを向けてくるみちるに対し、ナツはあさっての方向、体育館の外壁に走るヒビを目でなぞる。

 目の痛くなるような青空の下、生垣と体育館に挟まれたこの狭い空間だけは、切り取られたように薄暗かった。

「あれれ。ねえこっち向いてよ、ナッちゃん。ああ、もしや照れてるな?」

「お前と目を合わすくらいなら、路上ゲロ食ってるハト見てた方がマシだよ」

 ナツはそっぽを向いたまま言った。

「あはは、おもしろーい」

 みちるは手を叩いて笑う。

「何しに来たんだよ、須永」

 ナツは無表情に、低い声で言った。

「もちろんナッちゃんに会いに」

 みちるはテンションを崩さない。

「だってお友達が体育祭に出るって聞いたら、よその学校だって駆け付けちゃうでしょ? おかしいかな」

 ニコニコと微笑みながら、みちるはナツに近づいていく。

「見てみたいじゃない? ナッちゃんが今日の体育祭でどんな活躍するのかさあ」

 細い道に風が吹き、みちるのショートボブが揺れると、甘い香りがナツの鼻をくすぐる。

 目の前にいるみちるとは相変わらず目を合わさず、「帰れ」と吐き捨てるようにナツは言った。

「ちょっとー。わざわざ電車乗って来たんだよ。もうちょっと歓迎してくれてもいいのに」

「残念だけど、私は何の種目にも出ないから」

「え?」

「転校したばっかだし、もう私の入る枠はなかった。今日は見学させられに来てるだけ」

「なーんだ、つまんない!」

 みちるは心底がっかりしたように言った。わかりやすく肩を落とし、口をすぼませる。

「じゃあ意味ないや。無駄足、っていうか無駄な足代だね。適当にかっこいい男の子見て、ご飯食べて帰ろうかな」

 まるで興味を失った風のみちるは、頬にかかった髪を指でねじりながらナツに背を向ける。

 そして数歩歩いたところで、ぴたりと立ち止まった。

「......ナッちゃん」

「あ?」

「ウソついてないよね?」

 みちるは振り返る。

「まさかとは思うけど、みちるに帰って欲しくてウソ言ってるんじゃないよね」

 穏やかな口調だが、彼女の目は小さな穴を覗くように見開かれていた。

「みちるってほら、お友達に騙されるのが一番許せない人だから。けっこう人の表情とかに敏感なんだ。ナッちゃんも知ってるよね」

「うるせえな」

 ナツは言った。

「そう言うお前は、根拠もなく疑う奴なのか。赤の他人を」

 最後を強調するようにナツは言った。今日初めて、みちるの目を真っ直ぐに見返す。

 しばらくみちるは黙っていたが、やがてフフフッと笑った。

「ごめん! ナッちゃんの言う通り。みちる、悪い子でした。じゃあ帰るね。またね」

 そう言ってみちるは再び前を向き、弾むように歩き出す。

 そのときだった。

「こら、ナツ! やっと見つけた! こんなとこで何してるのよ!」

 体育館裏に怒声が響く。

 相当焦ってナツを探していたのだろう。顔を真っ赤にしたツバメが割り込んできた。

「早く準備しなさいよ、昼休みもう終わりよ⁉︎ 午後の部で二人三脚すぐ始まるってあんなに言ったのに! ナツが来ないと私まで出られないでしょ......、ってどちら様?」

 みちるの存在に気が付いたツバメはナツを見る。

 ナツは天を仰いだ。



「なんだ、友達が来てくれてたの」

「須永みちるって言います」

 みちるはツバメに向かい、丁寧なお辞儀をする。

「ナッちゃんとは先週まで同じ学校でした。こっちで体育祭があるって聞いたので、つい来ちゃったんです。ナッちゃんが新しい学校に馴染めてるか不安で」

 そう言って、照れたように頬を染める。

「そうなんだ。あ、私は紺野ツバメです」

 ツバメは笑顔で返した。

「心配いらないわ、須永さん。ナツはちょうどこれから、私と二人三脚に出るのよ」

 聞いたみちるは、驚いた表情で首を傾げ、ナツとツバメを交互に見る。

「それほんと? ナッちゃんたら全然教えてくれないんだから。体育祭に出るってことも私知らなかったし。それに、さっそくこんなに素敵なお友達ができたってことも、ね」

 ツバメは手を振った。

「いえ、私はもともとナツと友達だったの。ナツがそっちに引っ越すまでは毎日......」

「知らねえよ」

 突然、ナツがツバメの言葉を遮った。

「え?」

「紺野さんか? 昔同じクラスだったか知らないけど、今は別に友達じゃないから。二人三脚いっしょにやるとか勝手に騒いでるけど、ほんと馴れ馴れしいんだわ。こっちはいい迷惑なんだよ」

「なによ、それ。意味がわからないんだけど」

 眉をひそめるツバメを、ナツは呆れたように笑う。

「じゃあわかりやすく言ってやるよ。中学生にもなって運動会で張り切るとかハズいんだよ。んなもん、やりたい奴だけでやってりゃいいじゃん」

「あんたまだそんな......」

「優等生ぶって変な使命感背負ってるかのかもしれないけどさあ、しょうもないお節介に私を巻き込むのは勘弁して欲しいってわけ。あー、いいよ何も言わなくて。別にわかり合えるとも思ってないから。とにかくさ、せっかくいいサボり場所見つけたってのに、わざわざ探しに来ないで欲しいんだよね」

「だって昨日は」

 ツバメは拳を握りしめた。ツインテールの先が震え出す。

「昨日はやるって言ってたじゃない! 私とナツで二人三脚一緒にやるんでしょ! 約束した!」

「いちいち頭が硬いんだよ、そんなのウソに決まってんじゃん。本番になって相方がいないと知ったお前がどんな顔するか見たかっただけ」

「それ、本気じゃないわよね」

 ツバメはナツに近づいていく。

「めんどくせえなあ。だから本気だよ」

「だとして関係ない!」

 ツバメは素早く腕を伸ばすと、ナツの耳を掴んで引っ張った。

「いってえ! ちょっ、おま、なんだよ! 離せ!」

「いいから来なさい! あんたのわがままなんて知らないのよ! この期に及んで私の予定を乱そうだなんて許さないから!」

 ツバメはズンズンと歩き出す。

「いたたた! やめろよ! おい、耳取れるって!」

「二択で選びなさい! 大人しく二人三脚出るか、耳が取れた状態で出るか!」

「メチャクチャ自己中だな!」

「どっちがよ!」


 体育館裏で騒ぐ2人。

 そのとき、新たな人影がぞろぞろと現れた。

「なんだなんだ、やってんな」

「あー見てよ、ナツがケンカしてる」

 その数は6人。いずれも中学生くらいの少年である。

 ツバメはナツから手を離し、見知らぬ男子達を見回す。

 全員が私服を着ていることから、W2中の生徒ではない。そして格好や態度からするに、素行の悪い者達の集まりであることが見て取れた。

「これ全部ナツの友達?」

 ツバメが小声で尋ねると、

「違う。須永みちるの手下どもだよ」

とナツは言った。

 みちるが肩をすくめる。

「手下って。みんなお友達だよ。ナッちゃんとおんなじ、お友達」

「お前らなんか友達でも何でもねえよ!」

 ナツは声を荒げた。

 体育館の裏壁が弾かれたようにビンと鳴る。

「私に友達は1人もいねえんだよ! わかったらもう消えろ須永! 今度私の前に現れたら殺してやるからな!」

「プーッ」

 みちるが吹き出した。こらえきれないという風に両手で口を押さえ、大笑いする。

「アハハハハ! 友達じゃないだって、殺してやるだって! おっかしい!」

 釣られて笑い出す不良達に囲まれる中、ナツは青白い顔でみちるを睨む。

「そんな怖い顔して、まるで本気みたいじゃない。ああ面白い」

 みちるは目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら言った。

「ねえナッちゃん。どうやらみちるのことを良く思ってないみたいだけど、それってお門違いじゃない? もしあのことについて恨んでいるとしても、それはみちるのせいじゃないでしょう。ナッちゃんの自業自得なんだよ」

「なんの話?」

 みちるの不穏な言葉に、ツバメが反応した。

 しかしみちるは応えずに続ける。

「それにねえ、一方的に縁を切ろうとしたってダメだよ。だって先に仕掛けて来たのはナッちゃんなんだもの。みちるが許さない限り、お友達関係はずっと続くんだからね」

「ナツ。須永さんと何があったのよ」

 ツバメが、今度はナツに向けて聞いた。

 ナツは黙っている。

「ほうら、ツバメさんも気になっちゃうじゃない。せっかくだから話してあげたら?」

 笑みをたたえつつみちるが言った。

「みちるから教えてあげてもいいんだけど」

「やめろ!」

 途端にナツは声を上げた。だが、何も聞こえていないかのように、みちるは言った。

「ナッちゃんはあ、もう走ることができないんだよねえ」

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