その7

 そして土曜日。

 体育祭当日の朝である。


「来ないじゃないの!」

 ジャージ姿で教室の席に着くツバメは、斜め後ろの机を睨み付けた。

 黒板上の時計は8時15分を指している。

 開会式前にいったん各クラスで朝礼をすることになっているが、ナツだけがまだ来ていない。

 担任ももはや予想していたらしい。ナツの到着を待とうとはせず、本日の段取りを説明するばかりだった。

「じゃあ、そろそろ時間ですね。校庭に向かって下さい」

 ガタガタとイスが引かれ、生徒達が立ち上がる。

「あんなに約束したのに」

 歯噛みしつつツバメも席を立ったとき、教室の後ろのドアがゆっくりと開いた。


 少しだけ開かれた隙間から、白い顔がそろりと覗く。

「......すいません。遅刻しました」

 廊下に出ようとした生徒達と鉢合わせしたナツが、狼狽えつつ言った。どうやらこっそり入ろうとしていたらしい。

「ナツ!遅い!」

 ツバメは指を突き付けて怒鳴った。しかし心なしか頬が緩んでいる。

「いや、ごめんてば。寝坊して急いで来たんだけど、チャリ停めるとこが見つからんくて」

「自転車で通学するな!」


 かくして。

 1年1組は全員が揃ったうえで、体育祭に臨むこととなった。雲一つない青空のもと、W2中学校のグラウンドに全校生徒が集合する。

 開会式から選手宣誓、準備体操と続き、最初の種目の100m徒競走へ。体育祭のプログラムはつつがなく進んでいった。

 そして午前中の競技が終わりに近づいたときである。

 その少女は現れた。



 校門の外から、グラウンドの様子を眺める1人の少女。

 日に焼けた健康そうな肌に、ショートボブの輝く黒髪。長いまつ毛に縁取られた大きな目と、くっきりした太い眉、さくらんぼのようなポテリとした唇。薄手の白いジャケットと桃色のワンピースを身に纏っている。

 しばらくグラウンドを眺めていた少女は、近くを通りがかった男子生徒を呼び止めた。

「すみません。あの、ちょっと聞きたいんですけど」

 のんびりとした口調で少女は言った。

「え、えっと。どうしたの?」

 突然声を掛けられた少年は、緊張しながら返事をする。

「ナッちゃん......、じゃなくて。多飯田ナツさんをご存知でしょうか」

 少女は尋ねた。

「多飯田......。ああ、転校生の。隣のクラスに来たのは知ってるけど」

「よかった!私、前の学校でナッちゃんと一緒だったんです。今日は体育祭みたいですけど、来ていますか」

「どうかな、全員参加だから来てはいるんじゃないかな。用があるなら呼んでこようか?」

「いいんですか⁉︎ 嬉しい! ありがとうございます」

 少女はえらく喜んだ様子で少年に駆け寄ると、彼の右手を両手で握った。

 びくりと驚いた少年は、顔を真っ赤にしながらゴニョゴニョと言う。

「いや、そんな。別に......」

「じゃあお願いします。ナッちゃんには『ミチルが会いに来た』って伝えてくださいね」



 ナツの姿が見えない。

 そのことにツバメが気が付いたのは、午前の部が終了し、昼休みに入ったときだった。ナツを昼食に誘おうと見回したが、クラスごとの応援席に、彼女はいなかった。

 

「ねえ加代、ナツ知らない?なんか見えないんだけど。さっきまでいたのに」

「ええ? 知らないや」

 早くも弁当を抱える加代が言った。

 ツバメの頭を嫌な予感がよぎる。

「ばっくれたんじゃないわよね」

 2人で参加する二人三脚走は午後1番の種目である。昨日の、ひどく出場を渋っていたナツの姿がツバメの目に蘇った。

「今さら? まさかあ。おトイレ混んでるんじゃないの?」

「それならいいんだけど。もしやあの子、また急に面倒になって家帰ったのかと思って」

「ええ、疑い過ぎだよ」

 加代は言った。

「だって二人三脚なんて、1人欠けたらできないじゃん。いくらなんでもツバメちゃんにそんな迷惑の掛け方するかなあ」

「そうよね。さすがに邪推よね」

 ツバメは不安の抜け切れない様子ながら頷いた。すると、

「ああ、多飯田さん探してるの?」

近くにいたクラスメイトが言った。

「さっき呼ばれてるの見たよ。2組の川崎君に」

「え、何の用で?どこに行くって?」

 ツバメは尋ねた。ナツが隣のクラスの男子に呼ばれる理由がわからない。

「どこかは知らないけど。川崎君は誰かに伝言頼まれてた風だったかも」

「ふうん......」

 ツバメは小さな不安を感じつつ頷いた。

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