その5

「ちょっとこれ! 大丈夫なの⁉︎」


 爆音を轟かせ、住宅街の細道を疾走するバイクの上。

 ハンドルを握るナツの祖母、そして荷台にまたがるナツに挟まれながら、ツバメは大声で言った。

 バイクに乗るのは初めてであり、急発進や急減速、左右の揺れにいちいち心臓が縮む。

「案ずるな、ツーちん! ばあちゃんのテクは未だ健在よ!」

 後ろからナツが返した。

「法律の話をしてるんですけど! 3人乗りってありだっけ⁉︎」

 しかもツバメとナツに至ってはノーヘルである。

「もちろんナシさ、ヒヒヒヒヒ」

 ナツの祖母の不気味な笑い声が風に流れていく。

「あと2、3分で着くよ、振り落とされなきゃね!」

 ツバメの感覚では、ランボーの指定した時刻、午後5時は既に過ぎている。

「早く行って加代を見つけなきゃ」

 ツバメが呟くと、ナツが言った。

「あのさ、ツーちん。さっきも思ったんだけど」

「何よ」

「加代ちんてケータイ持ってないの?」

「…………あ」

 当然持ってきている筈だ。焦るツバメは電話という手段を見事に失念していた。

「おいー、それでも現代人か」

「もっと早く言いなさいよ!」

 ツバメはローブの裾をまくり、短パンにしまっていたスマートフォンを取り出した。

 片手はナツの祖母の腰を強く掴んでいるが、甚だ危険な行為である。

 数秒のコールの後、加代は電話に出た。

「はい、こちら小岩であります!」

「もしもし、私だけど。あんた今どこ?」

「もう駅にいるよ。すごく人が多くて見えないんだけど、ツバメちゃん着いてる?」

 加代の浮かれた声に気が引けるが、逡巡しているヒマはない。ツバメは少し間を開けてから言う。

「ごめん、今日行けなくなった」

「え」

 電話の向こうで、加代が固まるのかわかる。

「……どうして」

「本当にごめんなさい。せっかく素敵な衣装を作ってもらったし、私もすごく楽しみだったけど、どうしてもダメになったの」

 バイクの走行音に負けないよう、ツバメは大きな声で言った。

「とにかく悪いと思ってる。埋め合わせは絶対にするから。ハロウィンはまた来年行こう」

「来年」

 ぼんやりとした声で加代は繰り返した。

 ツバメは苦い顔で言う。

「他のイベントだって色々あるし。それでね加代、理由はあとで説明するけど、とりあえず駅周辺から離れて欲しいの」

「え、なんで?」

 当然の疑問である。

 だが、今にもそちらに暴漢が現れ、人々を巻き込み大暴れする恐れがある、などと説得するわけにはいかない。

「だから、それは……。ほらっ、加代みたいな子が1人でふらついてたら危ないでしょ。変なヤカラに絡まれるかもしれないし」

「え、1人? 多飯田さんも来れないの?」

「あ」

「もしかして、いま多飯田さんも一緒にいるの?」

 珍しく冴えている。ツバメは心の中で舌打ちをした。

「いないわよ。だけどたまたまナツも急用ができたって、さっき連絡が来たの」

「そうなんだ。残念だな」

 加代は本当に残念そうだったが、明るい声で言った。

「わかった。じゃあまた今度ね」

「ごめんね加代。絶対家に帰るのよ?」

「うん、そうする。バイバーイ」


 通話を終えたツバメは、スマホを胸に当てる。少し心が痛むが、加代を危険に巻き込みたくないがためだ。仕方がない。

「ヘタだねー」

 後ろからナツが言った。

「あれじゃあ、加代ちんをハブりたくて家に帰そうとしてるみたいじゃん」

「うそっ。そんな風に聞こえた?」

 ツバメは驚いて振り返った。

「ハロウィン祭りから遠ざけたいならさあ、『衣装でトラブったからすぐ私の家来て』とかでよかったでしょ」

「ううむ。ナツみたいにサボりの言い訳とか慣れてれば良かったんでしょうけど」

「まあ、加代ちんには後でパフェでも奢ってやろうよ。すぐ機嫌直すっしょ」

「それもそうね。ちゃんと家に帰ってくれるといいんだけど」

 

 ツバメはそう言いながら、またスマホを操作し耳に当てる。

「また電話?」

「ウィスカーに連絡しないと」

「おお、ウィスカーちん!」

 何故かナツはウィスカーを可愛がっている。

 さて、ウィスカーはすぐに電話に出た。

「もしもし。どうしたモニャ」

「ちょっと大変なことになってる」

「んニャ?」

 ツバメは現状を掻い摘んで説明した。


「たしかに、大変なことになってるニャ」

 聞き終えたウィスカーは唸った。

「まずわかることは、ランボー・ボークンが装着しているヒゲは『ヒールレスラーっぽいヒゲ』に違いないニャ」

「ヒールレスラー?」

 ツバメが聞き返すと、後ろからナツが言った。

「プロレスラーの悪役のことだよ。つか、そんなヒゲまであんのかよ」

 思い返せばたしかに、ランボーの身に付けた、ピチピチした面積の少ない衣装はプロレスラーのようだった。

「で、能力は?」

「属性は『精神』。その中でも奴のヒゲは『恐怖』に反応するニャ」

「何それ」

「他人の恐怖心を受けて強くなる」

 ウィスカーが端的に言った。

「どういうこと?」

「他人を怖がらせれば怖がらせるほど強くなる。更に、大勢の人間から恐怖されれば、際限なく力が増していくという恐ろしい能力ニャ」

「……なるほど」

 理解したツバメはため息を吐いた。

「それであんなバカみたいに威嚇してきたってわけね」

 元から強面で図体のでかいランボーには、打ってつけの力である。

「恐怖をエサに強くなり、強くなれば更に恐怖を得る。その悪循環に入ったらおしまいだモニャ。奴を倒すには最初のパワーアップ前に仕留めるしかニャい」

 しかし、その機会は既に失っている。

「ちっ」

 ナツが舌打ちをした。

「私のせいじゃんか。私がビビったから、あいつはでかくなったんだ」

 ランボーの身体が大きくなったように見えたのは、やはり恐怖による錯覚ではなかった。否、ナツの恐怖心を受け実際に巨大化していたのである。

「私だって怖かったわよ。不審者を警戒するのは人として当然」

 ツバメはぴしゃりと言った。

「ごめんウィスカー、もうパワーアップさせてる。他に攻略法とかないの?」

 電話の向こうからは何も返ってこない。これといった弱点はないらしい。

「あいつは私の前に一度現れた上で、改めて戦う場所を指定してきた。ハロウィン祭りで人がごった返す駅前に」

 ツバメはランボーの行動を分析する。

「その理由は、私達から恐怖を得て少しだけパワーアップした状態で、多くの人の前に出たかったから。人混みで暴れればパニックが起きる。そうなれば指数的に自分を強化できるってわけね」

 ランボーはかなり優位な環境を作った上で、ツバメを待っていることになる。

「まったく。バカそうなわりにズルい手使うじゃない」

「けどさ、多分さっきだってウチらを倒すのなんか簡単だったろ? わざわざもっと強くなる意味なんかあったか?」

 ナツが疑問を呈する。

 猛り狂っていたランボーが突然矛を収め、決闘の場所を別に指定してきた流れに違和感を覚えた。

「それはおそらく、ツバメがヒゲを持っていないことをランボーが知らなかったからじゃニャいか」

 まさか人間の少女相手に臆したわけではないだろうが、既にマオマオが敗北している事実がある。絶対の勝ち確定路線に乗るため、ランボーはまず威嚇と挑発のみを行ったのだろう。

 そうウィスカーは推測した。

「図体のわりにずいぶん慎重だな。そんな野郎には見えなかったけど」

 ナツが疑わしげに言うと、

「というか奴の行動は、予めソリアットの指示したものだろうニャ」

 ウィスカーはすぐに返した。

「キミ達の見立て通り、ランボーという妖精は、攻撃の機会だの、生命界に及ぼす影響だのを考慮するような奴じゃニャい。人間に姿を見られることだって何とも考えていないだろうニャ。だから、ここまで奴を抑えていたのはソリアットに違いないニャ」

「ソリアットの奴! どうしてよりにもよって今日解き放つのよ」

「それは多分、ヒゲグリモーの正体がツーちんだってバレたからじゃね? 昨日とか今日とかに」

「それに加えて、今夜がハロウィン祭りだってこともあるかもニャ。ランボーの能力は人が集まる場所で最大限に発揮できるから」

「要するに最悪のタイミングってことね」


 奴の誘いに乗れば、これまで目立たぬよう活動してきたヒゲグリモーの存在が世の明るみに出ることとなる。

「この際ランボーなんか無視する手もあるけどニャ」

 ウィスカーがポツリと言った。

 駅周辺の市民を切り捨てる。

 それは冷酷な選択肢だが、彼の判断によって人類の未来が左右されるのだ。ランボー1人による多少の犠牲は見過ごすことも視野に入れなければならない立場にある。

「ウィスカーがそう考えることは向こうも読んでいるでしょうね」

 ツバメは言った。

「そうさせないために、ランボーはまず私達2人を怖がらせに現れたんだわ。私達が無限パワーアップの取っかかりにされて、結果人々への被害に繋がると知ったら、責任感のある人間であれば必ず防ごうと動く筈だから」

 組織の頭ではなく部下を縛る。それがビアードの作戦なのだ。

 そして奇しくもツバメは、責任感のある人間である。

「ウィスカー。今すぐ日向さんをあんたの基地に呼んで。日向さんがそっちで変身してから現場に行けば、おそらく5分くらいで着くでしょ」

「……わかったニャ。けどツバメはどうするつもりニャ」

「今、駅前に向かってる。日向さん到着までは私が時間をかせぐから。できればある程度まではランボーを弱体化させたいけど」

「ニャ⁉︎」

 ツバメの言葉に、ウィスカーの驚いた声が返ってきた。

「弱体化? どうやってニャ?」

「確認だけど、ランボーは皆から怖がられて強くなる。だけど、いつまでもパワーアップしっぱなしってわけじゃないわよね? 恐怖を向けられている間だけ、それか一定時間だけってことでしょ?」

「そ、そうだモニャ。周囲の人間の恐怖心をパワーに変換して吸い取る能力だからニャ。だから視界に誰もいなくなると、徐々に力は抜けていく。小さな穴の空いた風船みたいなイメージかニャ」

 それゆえにランボーは、ツバメにタイトな時間指定をしたのだろう。急がなくてはツバメとナツから得たパワーが抜けてしまうためだ。

「じゃあ、たとえば周りに沢山人がいる状況でも、誰もランボーを怖がらなかった場合はどうなるの?」

「パワーはたまらニャいし、既に得ているパワーも抜けていくと思うモニャ。そんな場合があればだけどニャ」

 ウィスカーがそれを弱点として説明しなかったのは、まずあり得ない状況だからだ。

 約束の午後5時を回っている現在、既にランボーは市民を相手に暴れている可能性がある。街中はパニックになっているかもしれない。

 一度群衆の中に恐怖の感情が生まれてしまえば、それを拭い去るのは至難である。

「生身のキミに何かできるとは思えないニャ。それどころか、ヘタに出ていって人間達の目の前でやられでもすれば、それがまた人々の恐怖心を煽るんニャぞ。キミは大人しく陽子を待った方が……」

「私が戦うわけないでしょ! だけど日向さんが来るまで待ってたら、あいつは手がつけられないほど成長してるわよ。いい? 大至急で日向さんを呼んでね」

 そう言いつけてツバメは通話を切った。ナツの祖母の肩越しに、目の前に迫る繁華街をキッと睨む。

「見てなさいよ、ランボー。私とナツをコケにしたこと、それから作戦決行を今日にしたこと。絶対に後悔させてやるわ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る