その11

「ぎゃあああ‼︎」

 ツバメのすぐ頭上から悲鳴が聞こえた。

 少年が叫んでいる。ツバメの足元にハサミが転がった。

 ツバメは鼻の下から2mmの位置で、付けヒゲを止める。身体が解放されるのを感じ、振り返った。

「いいいい痛えっ‼︎」

「うちの学校で何はしゃいでんだ?」

 叫ぶ少年の手を捻り上げているのは、W2中の体操着を着た少年だった。半袖Tシャツと短パンにはまったく似つかわしくない、金色に染めた髪を揺らす。

「は、離せ! 誰だよテメェは⁉︎」

「いや、お前が誰だよ」

 更に腕へと力を込める金髪。

「痛い痛い痛いィイイイ‼︎」

 少年は脂汗を流しながら、身体を不自然に曲げた。

「春悟さん!」

 ツバメが呼ぶ。

「おうツバメちゃん。無事かよ」

 金髪少年は笑顔で応える。

「いや、ツバメさんだろ」

 彼の隣で、ガラの悪い坊主頭が言った。

「コメジさんも。それから宗太さん、川上さんと海老沢さん」

 気が付けばツバメにナツ、そしてみちるとその手下は5人の不良少年達に囲まれていた。

 ツバメは正気に返ったように目をパチパチとさせ、やがて安堵のため息と共にその場にへたり込む。

「うっす! ツバメさん、お疲れ様っす!」

「いつもお世話になってます!」

「名前覚えててくれたんすね!あざっす!」

 皆がツバメに向かいペコペコと頭を下げる。


「おいツーちん。誰だ、こいつら」

 ナツがツバメの耳元で尋ねる。

「えっと......。その、私の先輩よ」

 ツバメは迷いながら答えた。正確には、春悟ら不良少年5人組は、ツバメの先輩である日向陽子の悪い仲間である。

 先日、彼らはとある(偽)幽霊に襲われ、揃って意識を奪われた。そしてそんな5人を救って回ったのがツバメだった。

 当然ヒゲグリモーに関わる部分は伏せた上で陽子が説明をしたはずだが、以降、ツバメは校内で彼らに会うたび、命の恩人として頭を下げられている。

「まさかツーちんが女番長だったとは」

「ほんとやめて」



「名前と住所、ついでに好きな女子の名前。こっちに顔見せながらゆっくり言え」


 地べたに正座をする他校の少年達を前に、コメジがスマホの録画ボタンを押す。

 少年達は腫れやアザだらけの顔に涙を伝わせながら命令に従った。

 屈辱のあまりか、彼らの声はそろって震えていたが、抵抗する者はいなかった。春悟達がそれだけ恐ろしかったのだ。


 ツバメの髪を切ろうとしたことを知るやいなや、5人はみちるの手下達に襲いかかった。

 当然手下達も猛り、返り討ちにせんと拳を構えたが、彼らの戦意は3秒で喪失させられた。それほど一方的な勝負だった。

 人の弱みにつけ込み支配するみちると、格上ばかりに喧嘩を吹っかける陽子。双方やっかいな女ボスを持つ不良の集まりだが、ぶつかってみればその違いは明らかだった。ツバメが途中で止めなければ、今頃はもっと酷い惨状になっていただろう。

「これがW2中名物、シャコパンチじゃあ‼︎」

 なぜか体操着を脱ぎ捨て、タンクトップ1枚になった海老沢が叫んだ。


 かくして。

 ミチルの手下達は仲良く正座するに至ったのである。

「もう。もうわかりました。僕達が悪かったです」

「じゃあ俺らはそろそろ......」

 腰を浮かせる少年の額を、春悟が思い切り指で弾いた。

「いてっ!」

「誰が帰っていいって言った?」

「すいません!」

 惨めな少年は慌てて座り直す。

「ほんとにわかってんのか、こいつら」

「じゃあ最後にテストだな」

 思案するように顎を傾けながら、宗太が背後を親指で示した。

「このナッちゃんが朝学校に来る途中、バナナの皮を踏んで転んでしまいました。さあ、誰のせいでしょう」

「そ、そりゃあ本人の不注意で......」

「はいバカ、残念。もうちょい流れ読んでごらん」

 コメジが呆れて息を吐いた。

「正解は、ナッちゃんの通学路を掃除しなかったお前らの責任だ」

「はあ? そんなわけ......」

「海老沢、シャコパンチ」

「ちょっ、ちょっと待って下さい!」

「いいか。今後ナッちゃんとツバメさんに少しでも不幸なことがあってみろ。全部お前らのせいとみなす。お前らの学校に乗り込んで全員殺す」

「こ、ころ......」

「わかったか‼︎」

「はい‼︎」

「よしっ、帰って宿題やれ!」

 みちるの手下達は大慌てで走り去った。



 残るはただ1人、須永みちるだけである。

 彼女は逃げ出した子分達を顧みることもせず、優雅な足取りで歩き出した。そして、ツバメとナツに向かい合う。

「なんだか野蛮な人達に邪魔されちゃった。シラけたから帰るね」

 困ったようにみちるは肩をすくめ、にこりと笑った。

「今日は元気そうなナッちゃんが見られてよかったわ。それから」

 みちるの大きな瞳にツバメが映る。

「あなたとも出逢えた、紺野ツバメさん。また一緒に遊ぼうね」

 対するツバメは顎を上げ、みちるを下目遣いに睨み返した。

「やめといた方がいいんじゃない? またあなたが惨めな思いするだけだったりして」

「つれないのね。でも私達って、実はとっても気が合うんじゃないかな」

「その見立てからして、あなたとは合いそうもないんだけど」

 みちるはさも可笑しいというように、くつくつと笑う。

「そうかな?私は紺野さんにシンパシーを感じたわ。特に、さっきのあなた......」

 みちるは軽やかに歩き出し、ツバメとナツの間をすり抜ける。そしてすれ違いざまに、ツバメの耳元で言った。

「私を殺そうとしたわね?」

 みちるの涼やかな囁きは、まるで荒いヤスリのようにツバメの心を削り取った。

 全身が粟立つのを感じながら、ツバメは振り向くことができない。去っていくみちるに何も言い返すことができなかった。



「あっ!いたー!」

 小柄なメガネ少女がこちらに駆けてきた。

 加代である。

「ツバメちゃん、こんなところで何してんの⁉︎」

 あちこちを探し回っていたのだろう。ヒイヒイと息を切らせる加代は、そこで体育館裏の光景に気付き仰け反った。ツバメの他にナツ、そして不良の先輩5人が集まっている。

「ああ、ちょっと日陰で休んでたのよ。それよりどうしたの?」

 ツバメが問うと、加代は全関節を硬直させ、ゼンマイ仕掛けのおもちゃのような姿勢で近寄ってきた。

「どうしたのじゃないよ。二人三脚レース始まってるよ!」

「ああっ‼︎」

 ツバメは顔を手で覆った。そもそも彼女は、出番が近いことをナツに知らせるため、この体育館裏に来たのである。

「はあ......。結局間に合わなかったかあ」

 ナツは大げさに肩を落としてみせた。わざとらしい。

 しかし、

「まだ順番は来てないかも」

ツバメは顔を上げた。

「ええー」

「先に行って止めてくるわ」

 露骨に嫌そうな顔をするナツを無視し、ツバメは春悟達に向かい、深くお辞儀をした。

「先輩方、助けてくれてありがとうございました」

少年達は照れくさそうに手を振る。

「いいって。早く行きな」

「大恩あるツバメさんのお役に立てれば」

「陽子には言うなよ」

 ツバメは走り出した。


 体育館裏の隙間を抜けグラウンドに入ると、加代の言う通り、二人三脚レースは既に始まっていた。

 他のクラスの走者達が準備万端、スタート位置についているなか、1組のレーンだけが空いている。

 まさに自分達の順番であるらしい。ツバメはジャージを脱ぎ散らかしながらトラックへ駆け込んだ。


「何やってるんだ、遅いぞ1組!」

 スターターピストルを振り回して怒鳴る体育教師を前に、ツバメは急いで屈伸運動をする。

「もう1人はどうした!」

「すみません、今来ますので!」

 そう言ったツバメは俄かに不安になったが、振り向けば体育館の方からやってくる体操着姿のナツが目に入った。

 丈の短いパンツの位置を気にしつつ、剥き出しになった長い足を振りながら歩いてくる。

「なにをテレンコテレンコやってんのよ!」

「めんどくさいんだもん」

 全校生徒にざわつかれるなか、ツバメは右足をナツの左足に寄せ、ヒモで結んだ。

 背の高さの全く違う2人は、無理やりに肩を組む。

「言っとくけどさあ」

 スタートラインにつく中、ナツは気まずそうに、ツバメへ耳打ちした。

「私、走れないから」

「わかってる。そのくらい何よ」

 ツバメは前を見たまま言った。

「歩いて進めばいいんでしょう」


 そして。

 午後の青空にピストルの音が鳴り響く。

 直後、ツバメとナツは盛大に転んだ。

「ぎゃあ!」

「痛って!」

 なにしろ練習を全くしていない2人である。どちらの足から前に出すかすら打ち合わせていなかった。

「勘弁してくれよツーちん。結んだ足から出すのが二人三脚界の常識なんだよ」

「何よ、私が悪いって言うの⁉︎ あれだけ嫌がってたアンタが偉そうに! やり方決まってるなら最初に言いなさいよ!」

 他の選手が遠ざかっていく中、砂ぼこりにむせながら2人は立ち上がる。

「いや、そもそもスタート前に内側の足下げてんだからさあ。そんくらいわかろーぜ」

「あー、わかったわよ! 早く肩組んで! 今回においては内側から踏み出す方式に私が合わせるわよ!」

「言い方。その負けず嫌いをレースの方に向ければいいのに」

「だから早く行こうって言ってるじゃないの!」

「はいはい。せーのっ!」

 再び走り出したのも束の間、

「ちょっと、ペース合わせてよ!」

 引きずられたツバメが進むのを止め、ナツは前につんのめる。

「んだよ、危ねえなあ。つか、歩くことすらできないじゃん」

 脚の長さが違う2人は、歩幅がまるで合っていない。

「私のほうが遅いんだから、私に合わせるの!」

 ツバメは拳を振り回した。

「近いところで暴れるなよ。だって急いでるんだと思ってたからさあ」

「急いではいるわよ!」

 周囲から笑い声が聞こえた。

 何が起こったかと2人が見回すと、笑われているのはどうやら自分達である。見れば他の組は全てゴールしており、ツバメとナツだけが未だスタート地点周辺で騒いでいるのだった。

「ほらあ、もう恥ずかしいじゃん」

 全校生徒に注目される中、ナツは眉間を掻きながら言った。

「ハズいし、ビリだし、次の奴らに迷惑だし」

 愚痴りながらナツは、ツバメの肩を抱いた。掛け声を合わせ、よたよたと2人は歩き出す。

「私は恥ずかしくなんかない!」

 ツバメは額に汗を浮かべながら言った。

「ビリだっていいじゃない。順位が付くだけマシよ」

「こんなときまで説教かよ」

「私はナツとやりたいからやってるの。絶対ゴールするんだからね。他人の迷惑とか知らないし、ナツが嫌がろうと関係ない」

「ひでえなあ」

「そう思わなきゃ、こんな注目の中やってられないでしょ」

 ツバメの耳が真っ赤に染まっているのを見て、ナツは吹き出す。

「よそ見しない!」

「わかったよ」

 ナツはめんどくさそうに言った。

「あーあ、ひどい洗礼だよ。ここじゃもっとさあ、クールなキャラでやってこうと思ったのに」

 全校生徒の視線に押し倒されそうになりながら、2人の少女はゆっくりと進んでいった。



 そして、体育祭のトリを飾るスウェーデンリレーは、加代の思わぬ奮闘が功を奏し、6クラス中2位の成績をおさめたのであった。

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