その8

夜の校庭に現れた人影。

それは少女だった。

ツバメ達よりは年上らしく、市内にあるW西高校の制服を着ている。


彼女の様子はどうにも変だった。

上半身を不安定に揺らしながらこちらに向かって来るのだが、足の方はあまり動いていない。

まるで地面を滑るように進んでくるのである。

ダラリと前に垂らした腕。傾いた頭は長い茶髪に覆われ、顔は見えない。

そして何故か、身体全体が淡い光を放っているように見えた。

「ほら見ろ!お前らにも見えるだろ!あれだ、あいつが幽霊だ!」

コメジは喚きつつ、ツバメ達の視線をたどるように左右に首を振った。

たしかに、ツバメにも見える。

噂通り、失踪した女子高生が死んで化けたとなれば、まさにあのように現れるのだろう。


だが、

「まさか、そんなわけない」

ツバメは狼狽えながらも、そう呟く。

目の当たりにしても、まだ信じようとはしない。

あれが幽霊であるとは限らないからだ。生きている人間であれば、目に見えるのは当たり前である。

家出した女子高生が少年らとグルになり、自分達を脅かしに来ている可能性もある。

何の意味があるのかわからないが、ないとはいえない。

いや、そうに決まっている。

ドッキリの線はまだ生きている。

シュンゴの苦しむ素ぶりも演技なのだ。

ツバメがそう結論付けようとしたときである。


不意に、女子高生が立ち止まった。プールから30m程の距離である。

彼女は前方に向かってゆるゆると右腕を上げた。その先、力なく握られた拳から、人差し指だけを突き出す。

「ヒュッ!」

直後、もがいていたシュンゴが、更に暴れ出した。

真っ赤な顔で首を搔きむしり、声も上げられない様子である。

そして、苦しむシュンゴの身体は地面を離れた。

「え、ええ...」

ツバメと陽子は揃って呻く。


浮いている。

宙に浮かんでいるのだ。

足をバタバタとさせるシュンゴの抵抗も虚しく、彼は見る間に地上3m程まで浮かび上がった。

「だって、そんなあ」

ツバメは情けない声を出した。

いよいよついていけない。

糸もないのに、人間が空中に釣り上げられている。

これが少年達の言っていた「見えない力」か。

たしかに、それ以外に言い表せない現象だった。人間業ではない。

とうとう信じる他ないのか。

こんなことができるなんて、まるで本物の幽霊、しかも大悪霊ではないか。


「やべえ!お前ら早く逃げろ!」

幽霊をここまで付いてこさせておきながら、コメジが叫ぶ。

だが。

間が悪いにもほどがあった。

この期に及んで、まだツバメは逡巡している。

男子の手前、裸でプールから上がって逃げるのはどうしても御免こうむりたかった。

第一、逃げたとして逃げられるかもわからず、それなら水中に留まった方がマシなようにツバメは感じた。

水面から顔だけ出している状態のため、まだ幽霊に存在を気付かれていない可能性もある。

「何ぐずぐずしてんだ!ツバメちゃん!」

「私を呼ばないで下さい。いないことにして下さい」

「わけわかんねえこと言ってねえで、早くプールから出ろって!」

コメジは金網を叩く。

「いや、それは...。ねえ、日向さん」

言葉を濁しつつ、同意を求めようとツバメは隣を見た。


だが、そこには誰もいなかった。

そして、

「シュンゴを離せ、オバケ野郎!」

小さな影が拳を振り上げながら、校庭を駆けていった。

真っ裸の陽子である。

ツバメは目を剥いた。

いつの間にプールから出たのか、フェンスを乗り越えたのか、幽霊に向かって一直線に突進していた。

恥じらいの色を微塵も見せない、堂々たる全速力である。

宙吊りにされたシュンゴを救うため、女メロス陽子は飛び出したのだ。

ツバメにとっては目が痛いほどの、正しき行動だった。

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