その9

日向陽子VS女子高生幽霊。


猛ダッシュで駆ける陽子は、幽霊に手が届く程の距離まで接近していた。

「くたばれ!」

死人に向かってそう叫び、殴りかかる。

しかし彼女の拳は届かなかった。

制服幽霊に到達する寸前、陽子は弾かれたように後ろに吹き飛ばされたのである。

校庭の土の上を無防備過ぎる小さな身体が転がる。

「痛ってえ」

全身に擦り傷を作りながらも、陽子はすぐに立ち上がり身構えた。

倒れてもすぐに体勢を立て直すという、喧嘩における常識が、彼女には染み付いている。

「てめえ、どこ高だ!今すぐシュンゴを離せ!」

こちらを見ようともしない幽霊に向かって、陽子は両拳を構える。

だが再び飛び出そうとしたところで、彼女は地に伏せた。

今度は地面に這いつくばる格好である。

陽子の意思ではない。

目に見えない何かが、上から押し潰すように乗っかっていた。

「離せ!」

叩かれた虫のようにじたばたともがきながら、陽子は吠えた。

「てめえ、ぜってえ成仏さす!」

キュウと絞られた瞳で幽霊女子高生を睨み付ける。

その鋭い視線を頰に感じたのか、ずっと正面を向いていた幽霊の首が初めて動いた。

ガクリと頭を傾けると、髪の隙間から表情のない少女の顔が覗く。

夜闇より暗い虚ろな瞳で、幽霊は陽子を見つめた。



絡繰人形のようにぎこちない動作で陽子を見下ろした幽霊。

遠くから見守るだけのツバメでさえゾクリとした。

標的を少年達から陽子に変更したらしい。


いや、そうじゃない。

ツバメは気が付いた。

いつの間にか、シュンゴの隣にコメジが並んで浮かんでいた。

揃って苦しそうに顔を歪めている。

一体何箇所を同時に操れるというのか。幽霊はいとも簡単に少年2人を捕らえた上、陽子を押さえ付けてしまったのだ。

今や無事なのはツバメただ1人である。

「助けを、呼んでくれ...」

微かな声がした。

ツバメが見上げると、コメジが呻きながら、こちらへ手を伸ばしていた。

もはやためらっている場合ではない。

「は、はい!」

意識を失いかけたコメジに向かい、ツバメは思わず大きく返事をしてしまう。

そして、その声を幽霊は聞き逃さなかった。

陽子を見下ろしていた顔が素早く正面に向き直る。

長い髪の中から、2つの光がツバメを捉えていた。


見つかった。

ツバメが悟った瞬間、プールの水面が突然弾けた。

「きゃあ!」

ツバメは身を縮める。

鞭を振り回すような音と共に、水が幾度も叩かれ大量のしぶきを上げた。

「やめて!私なんにもしてないじゃない!」

ツバメの叫びも虚しく見えない攻撃は続き、辺りに凄まじい風が巻き起こる。

プールサイドに放置されていたツバメや陽子の服が次々に吹き飛んだ。

「あっ」

そして通学カバンやブリキのバケツ、ビート板に交じり、ツバメの遥か上方をヒラヒラと舞っていくものがあった。

白い布でできた小さな物体である。

「だめ、帰ってきて!」

ツバメは悲鳴を上げた。

だが彼女の懇願をあざ笑うかの如く、その布きれは悠々と学校の敷地を超え、民家の彼方に消えてしまった。

「わ、私の下着が...」

ツバメは頭をかばいながら唸る。

パンツを失った。

スマホの入ったカバンもどこにいったかわからない。

もう駄目だ。

荒れ狂う水面に耐えられず、ツバメは水の中に頭を沈めた。


鼻を指でつまみ、身体を胎児のように丸めながら考える。

しかしどう考えを巡らそうにも、あれ以外に思いつかなかった。

そう、あれに頼るしかない。

切り抜ける道はただ1つ。

それは最後の最後まで使いたくなかった手段である。

ツバメは嫌々ながら意を決し、プールの底を強く蹴った。

「ぷはーっ!」

頭を再び水面から出した瞬間、深く息を吸い込むと、ツバメはあらん限りの声で叫んだ。

「ウィスカー‼︎」


やつは毎晩のように紺野家にやってくる。

おそらく今日もこの町内をウロついてる筈なのだ。

どうか、聞こえてくれ。

ツバメはそう願った。


「はいはーい」

プール用更衣室の裏から、返事があった。

恐ろしく早いレスポンスと共に、ひょこりと顔を出すウィスカー。

フワフワと宙を飛んでやってくる。

「あんた、ずっと見てたの⁉︎」

のんきなその様を、爆ぜるような水しぶきの中からツバメは睨む。

「ツバメ、なんて格好だモニャ。いや間違い、なんの格好もしてなかったニャ」

「うるさい!」

笑い転げるネコを一喝すると、ツバメは催促するように手のひらを見せた。

「見てたならわかってるでしょ。早く貸して!」

「何をニャ?」

「もう!とぼけてる場合じゃないでしょ!」

「あれ。君はたしか、もう使わないんじゃ」

意地の悪い目つきで、付けヒゲを出し渋るウィスカーだった。

「好きで言ってるように見える⁉︎緊急時なんだからしょうがないでしょ!」


一方。

地面に這いつくばっていた陽子はじりじりと体勢を変え、なんとか自力で見えない圧力から抜け出していた。

幽霊の周囲を走り回り、ツバメへの攻撃から注意を逸らそうとする。

宙吊りにされた友達、そして自分が騒動に巻き込んでしまった後輩。

皆を絶対に救わなければならない。

陽子はそう思っていた。

幽霊の真後ろに回り込み、隙をみて食らい付く。

だが無駄だった。

柔らかい壁のようなものに阻まれ、幽霊女子高生に触れることもできない。

またもや不可視の力に顔を叩かれ、陽子は地面に投げ出される。


駄目だ、全然敵わねえ。いつもの喧嘩とは勝手が違うじゃねえか。

陽子はツバメのいる方を向き、声を張り上げた。

「逃げろ!こいつ超強え!」

そのときだった。


プールの中心に、竜巻のように渦を巻く水の柱が立った。

中心が白く光っている。

辺りにファンファーレのような謎の音が鳴り響いた。


「何だ、ありゃ」

やがて水柱は四散し、中から人の形をした黒いものが飛び出した。

宙返りを決めプールのフェンス上に立った影は、高らかに口上を述べる。

「うず巻き だて巻き ドリル巻き!ヒゲエンビー、ここに参上!」

黒いシルクハットに燕尾服、エメラルドのブローチとオレンジ色のフリルスカート。

そして口の上に巻きヒゲを付けた少女が、指揮棒を手に姿勢よく立っていた。


後編へ続く

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