その3
ヒゲグリモー7 その2
「いつ戻ってきたの?連絡してくれればよかったのに」
ショートホームルームが終わると、ツバメはすぐにナツの席へと駆け寄った。
「だってさあ。ツーちん、うちのことなんか忘れてると思って」
周りの生徒達がさりげなく様子を伺う中、イスにもたれたナツは照れたように笑う。
ツバメは首を振った。
「まさか。私がナツを忘れるわけないでしょ。いつも一緒に遊んでたんだから。それにしても......」
ツバメは改めてナツを眺めた。
長い黒髪、開けられたシャツのボタンから覗く鎖骨の凹凸、だらしなく投げ出される白い脚。
「ずいぶん大人っぽくなったわね。たしかにいま外ですれ違っても気付かないかもしれないわ」
実際、教師が黒板に名前を書くまで彼女がナツだとわからなかったツバメである。
「そんなに変わったかな」
ナツはこめかみを掻いた。
「うん。だってあの頃のナツは私より小さかったし、男の子みたいなショートカットだった。それにいつも外で遊んでたから、全身がテカテカの小麦色だったじゃない。それが今は......」
言葉に迷ったのか、ツバメは語尾を濁した。
「ん?今はなにさ」
透けるような青白い頬をいたずらっぽく歪ませ、ナツは訊す。
「まあ......、小麦粉色ってとこかしら」
「そんな表現あるか?」
苦しげに言ったツバメに、ナツは笑った。
「そういうツーちんは前とおんなじだね。髪型も顔も雰囲気も、腰に手を当てて喋るとことかも」
「ええ、そう?」
ツバメはさりげなく腰から両手を浮かせた。
「そうだよ、ツーちんはいつも真面目で、堂々としてた」
ナツはイスの背から身体を起こす。
「昔さあ、一緒にドーナツ買いに行ったの覚えてる?新しい店でめっちゃ行列できててさあ。寒いなか2人して並んで待ってたら、うちらの倍くらいでかい男が目の前に横入りしてきたじゃん。私はムカついたけど、相手が大人だから何も言えなかった。だけどツーちんは、そいつの前に仁王立ちしてさ。腰に手を当てて、『こら、ダメでしょ!』って叱りつけたよね。子供に言うみたいに」
「そんなことあった?」
ツバメは眉間に指を当てる。
「あったよ。ほんとビビった」
「そうだっけ。私が覚えてるのは、学校の帰り道でさ。ナツがいきなり立ち止まって『宝石見つけた!』って叫んだのよ。見たら、地面にピカピカ光るピンクの丸い石みたいなのが落ちてて。ナツったらもう恐れおののく感じで、震えながらそれを拾ったのよね。そうしたらそれ、誰かが吐き捨てたベッタベタの飴でさ。あれは可笑しかったわ」
「あったあった。最悪だった」
「あとナツがローラースケート履いてたら、坂道で止まれなくなって。真っ青な顔したナツが、後ろ向きにシャーって見る見る小さくなってってさあ。坂の下にコンビニがあったんだけど」
思い出したナツは吹き出した。
「入り口にぶつかる寸前に、ちょうど自動ドアが開いたんだよな。そんで店ん中に突っ込んで商品がぐちゃぐちゃに」
「あれも笑ったわ」
「笑うな。つーか、なんでそんなことばっかり覚えてんのさ。じゃあ、あれは?雨の日の朝だよ。ツーちんてば何考えてたんだかボーっとしてて、教室入ってくるまでずっと傘さしてんの。私が指摘したらハッてなって、真っ赤な顔で言い訳してさあ。しどろもどろ過ぎてみんなで笑ってたら、ツーちんすげえ怒ってさ。ちっちゃい頃のツーちんて変なとこで天然だったよな」
「あははは」
ツバメは腹を抱えて笑う。
「それは覚えてる。だけど本当に仕方なかったのよ。だってあの日の前の晩、私初めてオーケストラを観たんだもの。すごく感動したのを次の日にまで引きずってたのね」
「ああ、たしか当時も言ってた。そうだ、ツーちん昔は指揮者になりたかったんだっけ」
遠い日を眺めるようにナツが言うと、ツバメは首を振り、
「今もそうだから。私は絶対、一流の指揮者になるの」
ツンと鼻を上げた。
「ほんとに変わってないね。私は嬉しいよ」
ナツはくつくつと肩を揺らして笑う。
ツバメも微笑み、そして尋ねた。
「そういうナツはどうなのよ」
「ん?」
「陸上はまだ続けているの?100m走の選手になりたいって言ってたじゃない」
瞬間、ナツの表情がわずかに暗くなる。
「ああ。いや」
ぎこちない笑みを顔に貼り付けたまま、ナツはツバメから目を逸らした。
「やめたよ」
「え?」
「なんか、めんどくさくてさ」
ため息を吐くようにナツは言った。
「うそ、だって......」
ツバメが更に訊こうとしたとき、授業開始のチャイムが鳴った。
*
その日の午後のこと。
5時間目の授業のあと、1年1組の教室では臨時のホームルームが開かれることになった。
テーマは、土曜日に行われる体育祭についてである。
今週末の行事であるため、当然各生徒の出場競技はとっくに決まっており、練習も進められてきた。
しかし今日になって、種目の1つであるスウェーデンリレーにて急な欠員が出たため、急遽代わりが必要となったのだ。
「よりにもよってこんな時にケガすんなよ」
1人の男子が冗談混じりに言うと、
「ごめんなさい。アホでした」
ツバメのクラスメイト、楠瀬かおりは自分の机を見つめたまま頭を下げた。
昼休みのバドミントン中に足を捻挫してしまった彼女は、ギブスでふくらんだジャージを保健室の毛布で隠している。
いつもは勝ち気なかおりの、しおらしい反応と痛々しい様子に、からかった男子は顔を引きつらせて黙った。
ふざけるノリではないことに気付いたが、取りつくろう言葉も見つからないらしい。
クラス全体に気まずい空気が流れる。
そんな中、
「吉岡君、それに皆さんが残念に思う気持ちも当然です」
進行役の清鈴寺学が言った。
学級委員である彼は、教卓の上から淡々とした口調で語る。
「楠瀬さんは学年の女子で1番足が速いし、出場予定だったリレーは体育祭の最終種目です。最も盛り上がる競技でうちのクラスメイトが活躍するのを、皆さんは期待していた筈です」
生徒達からの反応はない。
皆、かおりを責める気はないものの、学の言うことにも同意だったからだ。
各クラスから最速の男女1名ずつが出るスウェーデンリレーは、ある意味期末試験より如実にクラスの実力を見せつけることになる。
沈黙の中、小さく丸めたかおりの背中が震えだす。
学は続けて言った。
「けれど、誰より悔しいのは楠瀬さん自身だと思います。楠瀬さんは体育祭をとても楽しみにしていました。それに皆さんの期待を背負う自覚やプレッシャーもあったことでしょう。他の学年のメンバーに頼み、バトンの練習もしていたようです」
かおりが張り切っていたのは皆が知っている。
生徒達は互いに頷き合った。
「だから皆さんには速やかに、代わりのリレー選手を決めてもらいたいです。楠瀬さんに安心して休んでもらえるよう、皆で協力しましょう」
学はそこで一呼吸置き、
「そこで僕からの提案ですが、吉岡君に女装して出てもらうのはいかがでしょうか」
無表情のまま、クラスメイトに問いかけた。
瞬間固まる生徒達だったが、すぐにそれが学なりの冗談だと気付き笑い出す。
「わ、わたしが......リレー選手ですって⁉︎」
ここぞとばかりに乗っかる吉岡少年に、かおりもクスクスと笑った。
かくして明るくなった雰囲気の中、リレーの代走者決めは始まる。
とはいえ。
話し合いは思うように進まなかった。
何と言ってもスウェーデンリレーは体育祭の華である。
全校生徒の注目を集める中、2年1組、3年1組へとバトンをつなぐ役目は責任重大だ。
その役をこの週末にいきなり負えと言われても、当然ながら誰にも心の準備ができていない。
また、あいにくクラスで2番目、3番目に足の速い女子は揃って体育祭の実行委員であり、大トリの種目には参加することができなかった。
4位以降の順位はダンゴ状態であり、そもそも春にタイムをとった50m走の記録など、誰もはっきりとは覚えていない。
推薦された女子も尻込みし、皆やんわりと辞退した。
かおりのために早く代わりを決めたいムードはあるが、自分が縦割りチームの代表を務めるとなるとやはり荷が重いようである。
そんなときである。
「多飯田さんて陸上やってなかった?」
1人の女子がぽつりと、思い出したように言った。
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