その2

「ねえねえ、楽しみだね!」

午前7時50分。

ホームルーム前の教室にて。

加代は登校してくるなり、ツバメの席に寄ってきた。

「え、何だっけ」

早くも授業の予習をしていたツバメは顔を上げた。

「忘れちゃったの?転校生が来るんだよ」

「ああ、そう言えば」

この1年1組に新しいクラスメイトが加わることは前々から伝えられていたが、それが今日であることは忘れていたツバメである。

しかし加代のほうは大層待ち遠しかったらしい。

「どんな人かなあ。女子としか聞いてないけど」

想像を膨らませるように、寝ぐせの残る髪をゆらゆらと振る。

「うん。まあ、それは気になるけど」

ツバメは持っていたシャープペンを机に置き、空いた手で加代の顔を指差す。

「あんた、ネコについての興味はどうしたのよ」

学を含めた3人で迷いネコ、ミセス.マルガレーテ探しをしたのは、つい昨日のことである。

日が変わった途端それを忘れたように、今度はやれ転校生だとはしゃぐ加代。

お前の心はどれだけ移り気なのか。

ツバメがそう指摘すると、

「いやあ、あの件はもういいよ。マルガレーテは誰かが捕まえたみたいだし。それに、なんか変な感じになっちゃったじゃん」

加代は嫌な臭いを払うように、鼻の前で手を振った。

昨日の夜、ネコは無事に保護された。

しかし飼い主夫妻のほうが無事どころではなかったらしく、どういうわけか何者かの手により半殺しにされたという。

今朝、地方のニュースでツバメはそれを知った。

マルガレーテがそれにどれだけ関係しているのかは定かではないが、学の推測通り、蜜井夫妻には物騒な裏があったということなのかもしれない。

不思議な噂やゴシップに目がない加代だが、暴力沙汰が関わってくれば話は別らしい。


「よくわかんないけど結局さあ、うちら深く関わらなくてよかったよね」

加代は怯えながらものんきな調子で、ツバメに同調を求めてきた。

対してツバメは、

「ねー」

と曖昧に頷くばかりだった。

実際のところ、ツバメの方は結構な深さで関わってしまっている。

だが例によって、ヒゲグリモーが絡む事柄は他人に言うわけにはいかないのだ。

「あ、ところでツバメちゃん!」

加代が突然声を上げる。

「なんで今まで隠してたの⁉︎」

「えっ、何が⁉︎」

驚いたツバメはガタリと椅子を鳴らした。

「決まってるじゃん。どうしてツバメちゃんたら、日向先輩と知り合いなの?」

「ああ......、そっちか」

ツバメは肩を下げて息を吐いた。

ヒゲグリモーのことを考えていたので焦ったが、陽子との繋がりについてであれば、どうとでも言ってごまかせる。

「別に隠してたわけじゃないわ。実は、私の通っている英会話教室に日向さんも来だしたのよ」

「それはね、うん。ない」

ごまかせなかった。

さすがに適当過ぎたかとツバメも思う。

日向陽子が放課後を使って習い事をするなど、人類滅亡の大予言より信じ難く、タニシが三段跳びをするくらいありえない。

陽子と直接関わったことのない加代でも、それくらいはわかるようだ。

しかしツバメは改めて取り繕うこともしない。

納得するしないは加代の勝手だとばかりに、机の上に開いたノートに目を戻す。

「ねえ、ツバメちゃんてばあ」

加代が肩を揺すってくるが、ツバメは無視をする。

するとちょうどよく、担任の教師が教室に入ってきた。

いよいよ転校生のお出ましである。



胸の下まで届く長い黒髪に、腿が丸見えになるほど短いスカート。

だらしなくボタンを外したシワだらけのシャツ。

ひょろりと伸びた青白い足には靴下を履いておらず、素足の踵が上履きの後ろ側を踏み潰している。

そして額の中央で分けられた髪から覗く、眠たげな目の周りは、なんと黒いアイシャドウで縁取られていた。


校則違反の見本を示すために学校が雇った女子高生だろうか。

担任が連れてきた見知らぬ少女を前に、生徒達は互いに顔を見合わせる。

だが当然、皆気付いている。

わかってはいるが信じたくなかった。

しかし誰がどう思おうと、彼女こそが予告されていた転入生である。

仲良くなれるだろうか、いやそれ以前に意思疎通ができるのだろうか。

教壇の上、だらけた姿勢でこちらを見下ろす彼女は、そもそも中学1年生に見えない。

一同が唖然とする中、担任も苦々しい横目を転入生に向けながら、黒板に名前を書いていく。

ツバメは斜め前の席を見た。

異様に丸まった加代の背中から、早くも転入生と友達になることを諦めたのがはっきりと伝わってくる。

その様子に苦笑しつつ、黒板に目を戻したツバメは、口をパカリと開けた。

「えっ」

転入生の名前を書き終えた教師が、生徒達に向き直る。

「はい、皆さん静かに......してますね。いいですか。こちらが今日からこのクラスに加わる新しいお友達です。お名前は、多飯田ナツさんです。皆さん、仲良くしましょう」


「ナツ⁉︎」

ツバメは思わず声を上げた。

他にもちらほら、顔を見合わせる生徒がいる。

教師は頷く。

「そう。知っている方もいるだろうけど、多飯田さんは小学2年生までW町に住んでいました。隣の市に引っ越して、このたびお家の事情で1人こちらへ戻ってきたというわけです。それでは多飯田さん。一言、挨拶をお願いします」


果たして彼女は何を言うのか。

生徒達が見つめる中、ナツは小さく頷き、口を開く。

「よう、ツーちん。久しぶり」

彼女の視線はただ1人、ツバメへと向けられていた。

「久しぶりね、ナツ」

皆の注目がアイアンメイデンのごとく突き刺さるのを感じつつ、ツバメは小さく手を振った。

教師が困ったように言う。

「えーと、多飯田さん。できれば皆さんに向けて挨拶しましょう」

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