その11

一方の怪盗アリスは、相変わらず家々の屋根を移動していた。

猛スピードで駆けながらも、周囲への警戒は怠っていない。

後を追ってきた謎のヒゲ少女が気掛かりだった。

先程は返り討ちにしてやったが、打ち損じている。

再び目の前に現れれば今度こそ即座に殺せるよう、ハリボテ頭の口からは銃口が出たままだ。


暫くして、

「たしかこの辺りだったな」

アリスは低く呟きながら、走る速度を緩めた。

巨大な首を振り、辺りを見回す。

「あ、あれだあれだ」

眼下に目的のものを見つけたアリスは立ち止まった。

街灯の光を受け、滑らかに輝く黒い高級車。

彼が探していたのは、逃走用として目星を付けていた車である。

果たして、ツバメの大雑把な推理の1つが当たっていたわけだ。

犯行現場から離れた、警察の包囲の及ばない場所からは車で逃げるのがアリスの決まったやり方だった。

やがてアリスは3階建ての家の屋上から、ひっそりとした狭い道路へ音もなく跳び下りる。

駅にほど近い場所だが、高級住宅の建ち並ぶこの辺りは、昼夜を問わず人通りが少ない。

アリスはレンガ造りの細長い家の前で立ち止まり、ドレスのポケットから鍵を取り出した。

庭の車庫に停められている黒い外車の鍵である。

この家の住人が揃って旅行中だということを、アリスは予め調べていた。

昼のうちに空き巣に入って鍵だけを盗り、逃走時に車を盗む。

足がつきにくいよう、自分の車を使わないのもアリスのやり方だった。

あとは仮装を脱ぎ、悠々と高速道路に乗って逃げるのみだ。

「結局、あのヒゲのガキは何だったんだ?」

「さあ。しかしこれでざっと3千万の儲けとは、チョロいな」

アリスはバイオリンを眺め、忍び笑いをする。

この古ぼけた木細工がウン千万の値打ちを持つことがアリスには理解できないが、そんなことはどうでもいい。

海外への売買ルートを使えば、すぐに金に換えることができる。

実にボロい商売である。

さて、アリスが車の下に隠していた着替えを取ろうとしたときだった。


彼の背後を、何者かが駆け抜けていく音がした。

凄まじい速度だった。

驚いて振り返るも、アリスの視界には誰もいない。

しかし確かに足音ははっきりと聞こえた。

アリスは緩みかけていた気を引き締める。

逃走に使う車を知られると、あとで厄介だ。

誰にも見られてはならない。

「気を付けろ。きっとさっきのヒゲだ」

誰に向けたものか、アリスがささやく。

直後、再びタタタタという足音がした。

今度はレンガの家の庭からである。

その一瞬の後、駆ける音は隣の家の屋根に移動していた。その次は向かいの塀の裏、それから電線の上へ。

「いるのか?出てこい!」

アリスは慌てて周囲を見回すが、一向に足音の主は姿を見せない。

そして、駆ける音が電柱の陰で聞こえたとき、業を煮やしたアリスは口から発砲した。

閑静な住宅街に銃声が響き渡る。

「バカ野郎、こんなところで撃つんじゃねえ!人に見られるだろうが」

アリスは己を叱り付ける。

「すまねえ、つい」

それに謝るのもアリスだった。

妙なやり取りが交わされる中、案の定周囲の家々で窓のカーテンが引かれ、四角く切り取られた灯りの中に住人のシルエットが映り出した。

不穏な発砲音を聞き付けたのだ。

アリスは身構え、辺りに素早く目を走らせた。

皆がこちらを見ている。

異様な姿の自分を、不審な面持ちで見下ろしている。

それだけではない。

姿を現さない追跡者にも、どこかから監視されているのだ。

もはやここに留まっていることはできない。

アリスは車を諦め、走り出した。

勢いをつけ郵便ポストに乗り、更に高く飛び上がる。

そうして、また民家の屋根に上がったとき。

鉢合わせした。


黒い衣装に身を包んだヒゲの少女が、すぐ目の前に迫っていた。

「出た!」

アリスはビクリと驚き、一瞬身を固める。

「見つけた」

眼前の少女は不敵に笑い、反応しきれないアリスの手からバイオリンをひったくる。

そして後ろにジャンプしながら、反対の手に握ったタクトを強く振った。

ヒゲ少女の持つタクトの先端から、大きな光球の群れが放たれる。

いくつもの光は渦を巻きながら前方に飛び、吸い込まれるようにアリスの全身に当たった。

その途端、凄まじい振動がアリスを襲った。

電流を通されたような衝撃で、全身の自由を奪われる。

アリスは斜面のついた屋根でバランスがとれず、支えを失ったカカシの如く後ろ向きにゆっくりと倒れた。

地面に落ちながらも、張り裂けんばかりの振動は続く。

事実、アリスの巨大な頭はバリバリと裂けていた。

やがて中心から2つに割れた頭は、身体と共にアスファルトへと落下し、砕け散った。

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