陽子side その1
10月最初の土曜日、午前6時30分。
「スペクトルシリアル、スペクトルシリアル、にじいろのあさごはん」
CMソングを口ずさみつつ、陽子は1人、ダイニングテーブルで朝食を食べていた。
胸に抱える大きなボールには、毒々しいほどカラフルなシリアルが牛乳に浸っている。
彼女の視線はテレビの釣り番組に釘付けとなり、スプーンからこぼれる牛乳がTシャツを汚すのにも気が付いていない。
「わあ、でっけえ」
テレビ画面の中、日焼けをした男が80cm程の鯛をぶら下げるのを見て、陽子は叫んだ。
口からシリアルの欠片が吹き出すが、こちらも気にしていない。
「いいなあ、アタシも巨大魚捕まえてえな」
陽子は無性に釣りがしたくなった。
なんでもいいから大きな魚を胸に抱えたかった。
だがW町は海から遠く、電車でも2時間ほど掛かってしまう。
それに、海で巨大魚を捕まえたければ船を出さねばならない。
そこで彼女は閃いた。
そうだ。
今日は沼に行こう。
タヌキ山の山頂にある沼には何十年も前から1匹の大ナマズが棲んでいると言われていた。
沼のヌシというやつであり、捕らえた者には恐ろしい災いが降りかかるとも言われている。
そいつを捕まえに行ってやろう。
陽子はシリアルを口に掻き込んだ。
今からタヌキ山へ向かえば、きっと日没までにはゲットできるに違いない。
とても良い考えだと思った。
しかし1人で行くのもつまらない。
いつもの不良仲間は皆、一昨日の幽霊騒動でまいっている状態である。
「よし、じゃあツバメだ!」
新しい友達の顔を思い浮かべ、陽子は1人ニマニマとした。
巨大ナマズを捕まえようなどと誘ったら、きっとツバメは大喜びする筈だ。
さっそく陽子はウィスカーへ電話を掛ける。
「あ、もしもし、ニャンコ?今からツバメんち奇襲するから家教えてくれ!」
*
午前7時20分。
「ちぇっ、なんだよスズメのやつ。風邪とかいってわけのわからんもん引きやがって」
家々の屋根を跳びながら、ヒゲシャイニー陽子は独りごちた。
なんとなくの気分で、すでにウィスカーは撒いている。
「まぁいいか!1人で行くからいいもんね」
すぐに気分を変え、陽子は高らかに笑い出した。
感情の切り替えが早過ぎる。
「わはははは!鎮まれや大ナマズ!タケミカヅチ陽子様とはアタシのことよ!」
自身の跳躍と大声が多くの民家を揺らしていることに、彼女は気付いていない。
*
午前11時。
「わにゃあ!」
陽子の打った白球が、真っ青な空に吸い込まれるように飛んでいく。
「あははははは」
ドロドロのTシャツ姿で、笑いながら塁を回る陽子。
彼女はいま中学校のグラウンドにいた。
たまたま校庭で遊んでいた同級生の男子達に混じり野球をしている。
タヌキ山には行ったものの、沼で大規模な清掃作業が行われているのを見た陽子は、ナマズ探しを諦め町に帰ってきたのだった。
「タイム!」
陽子が小躍りしながら今日3度目のホームインをすると同時に、マウンド上の日に焼けた少年が叫ぶ。
集まってきたメンバーの前、少年は重々しく口を開いた。
「オレもうやだよ、陽子に投げるの」
これ以上女子にバカスカ打たれてはたまらん。
それを聞いた他の少年も、顔を見合わせ頷いた。
「そうだな」
「やめっか」
「ちょっと待てよ、まだ終わってねえぞ!」
そう言って、会議に乱入してきた陽子を少年達は押しとどめる。
「もう別のことしようぜ、陽子。このピッチャーは君にホームランを打たれるのが、たまらなく悔しいのだ」
丸刈りの少年が、セリヌンティウスのような口調で言った。
そして、
「やめやめ、野球終わり!ゲーセン行こうぜ」
ということになった。
陽子と少年達はガヤガヤと支度を始める。
*
午後0時20分。
「なあ、アタシ腹減ったよ。サンドリヨン行こうぜ」
格闘ゲームに夢中になる少年の後ろで、陽子はしかめっ面をつくる。
「ああ?なんて⁉︎」
ゲームセンター内を飛び交う電子音が非常にうるさい。
「メーシ!はらがへったの!」
怒鳴る陽子に、
「お前金ないじゃん!」
少年は画面を見たまま言い返した。
そうなのだ。
陽子は財布を持ってきていない。
もともとはツバメと山で遊ぶ予定だったからだ。
だからゲーセンに来ても、彼女だけがちっとも面白くない。
「ねえ、おごってよお、コウタくーん。ハンバーグとサーロインのセットオ」
猫なで声で言う割には遠慮がない。
「バカか、ラスボスまでくんのにいくら使ったと思ってんだよ。あっちで両替機でも眺めてな!」
4色のボタンを連打するコウタはにべもない。
「ちぇっ」
陽子はソバカスの浮いた鼻にシワを寄せ、その場を離れた。
何かとうまくいかない日である。
他の少年達も百円玉を浪費するのに忙しいらしく、まるで相手をしてくれない。
いよいよつまらなくなった陽子は、気付けば入り口付近に置かれた太鼓ゲームの前にいた。
バチを握り太鼓をむやみに叩いてみるが、金がなければ当然どうにもならない。
「どっかで面白えことないかな」
陽子が呆けた顔でそう呟いたときである。
彼女の背後、自動ドアの向こうがにわかに騒がしくなった。
サイレンの音が鳴り響いている。
陽子が振り向くと、ちょうどパトカーが通り過ぎるところだった。
その数5台。
ちょっとただ事ではなさそうである。
しかも、どうやらパトカーはこの付近で停車したらしい。
サイレンの音が急に鳴り止んだからだ。
陽子はフラフラと歩き出した。
漂う事件の香りに吸い寄せられるかのように、1人ゲームセンターをあとにする。
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