その15

果たして、堤防の上に辿り着いたツバメの目に入ったのは、川へ向かって直進するマルガレーテの姿だった。


スピードを緩める気配がない。

伸び放題の草むらをものともせず、ヒゲシャイニー状態のカラカルは川原を駆け抜ける。

そして暗い水面に到達する寸前、マルガレーテの全身が再び光り始めた。

「やっぱり......」

マルガレーテはスルリと水の中へ消える。

しぶきや音を一切立てていない。


「ほーらね!私の考えた通りだわ!」

ツバメはヤケクソで叫んだ。

やはりマルガレーテは抵抗なく水を通り抜けている。

きっと濡れてさえいないのだろう。

ヒゲシャイニーの光魔法は、透明であれば液体に対しても有効なのだ。

水中をロケット花火のごとく突き進む光の塊を、ツバメは堤防の上から眺めた。

この追走劇はいつまで続くというのか。

そう考えた途端、ツバメは空気が抜けていくようにヘナヘナとしゃがみ込んだ。


「ごめん、無理」

彼女は1人、ギブアップを宣言する。

もはや追い掛け続ける気力がない。

せっかくここまでマルガレーテに接近したのに、また隣町で一から捜索し直しなんて、想像しただけでも目眩がする。

もうやってられなかった。

ツバメはウィスカーに頼まれてこんなことをしているが、もともとはあいつらの撒いた種なのだ。

ネコを見失ったとして責任を問われる立場ではない。

それに、もしかすればマルガレーテはこのまま誰にも捕まることなく逃げおおせ、遂にはノラとして生きていくことになるかもしれない。

その場合、ウィスカーは魔法の付けヒゲを1つ失うことになるが、その存在が明るみに出ることはないのだ。


「うん、あいつならきっと大丈夫よ。1匹でもやっていけるわ」

そうポジティブに考えるフリをして、ツバメが匙を投げかけたときである。

川底を走るマルガレーテの輝きが、吹き消したように見えなくなった。


「あれ?どこ行った?」

不意にマルガレーテを見失ったツバメが暗い川を見渡すと。

直後、どぷりと音を立て、小さなネコの頭が水面から現れた。

「えっ?」

川幅のちょうど中間あたり。

光の消えた位置の真上である。

前足を振り回し、必死に水を掻くマルガレーテを見て、ツバメは理解した。


光のエネルギーが切れたのである。

ヒゲシャイニーの能力を使うには、頭の王冠に光を貯めておく必要がある。

夜になった今、街灯の下で蓄えたわずかな光のエネルギーでは、川を渡り切るまでには至らなかったらしい。



マルガレーテは溺れかけていた。

冷静な状態であればどうにか泳げていたかもしれないが、光の魔法が突然解除された際に大量の水を飲み込んでいた。

水面に浮かぶことすらままならず、がむしゃらに振り回す前足はしぶきを撒き散らすばかりだ。


檻から逃げ出しただけで、なぜ自分はこんな目に遭わなければならないのか。

幼いカラカル、ミセス.マルガレーテには知る由もない。

この3日間ろくな獲物にはありつけず、満足できる寝床もなく。

今日になっては大勢の人間に追い掛けられ、挙句謎の能力を手に入れたと思えばこのザマである。

まったくひどいところへ来たものだ。

ついにマルガレーテは精根尽き果てた。

諦めと共に全身の力が抜けた彼女は、冷たい水の中へ沈んでいく。


そのときだった。

出し抜けに、マルガレーテは首を掴まれ、水中から引き上げられた。

水に滲んだ瞳で彼女が見たのは、同じくびしょ濡れになった少女だった。


「はい、捕まえた」

鼻の下にヒゲをたくわえた奇妙な少女

はマルガレーテを胸に抱き抱える。

マルガレーテもひしと少女にしがみ付いた。

「痛い痛い痛い!爪立てないで!」

もう大丈夫だから。

少女は疲れた顔で苦笑する。

「ずいぶん手間かけさせてくれたわね。悪いけど、これ返してくれる?うちのデブネコの大切なものみたいなの」

そう言って彼女は、マルガレーテの顔から付けヒゲを剥がした。

それから、ついでのように自らの巻きヒゲも取る。

1人と1匹の身体が同時に光り出した。

輝きはやがて淡い光の霧となり、風に乗せられ広がっていく。

「あー疲れた。って、あなたもよね」

変身の解けたツバメとマルガレーテは、揃って星の瞬く夜空と、橋の照明を逆さに映す川面を眺めた。


「ん?」

ふと。

ツバメは橋の裏側、複雑に組み合わさる鉄骨の中に妙なものがへばり付いているのを見つけた。

目を凝らして見れば、フルフルとうごめく、小さな丸い物体である。

「あれ、......ウィスカー?」

間違いない。

賞金稼ぎ達から逃げ、あんなところに隠れているらしい。

「おーい!こっちこっちー!」

ツバメは吹き出しそうになりながら、手を振る。

「マルガレーテ捕まえたわよー!」


しかし、それは不覚だった。

彼女の声は大き過ぎたのだ。

「なんだと⁉︎」

「いたわ、あそこよ!」

ウィスカーを追って近くまで来ていたらしい数10人の賞金稼ぎ達が、一斉に橋の欄干から顔を覗かせた。

「あ......」

ツバメは急ぎ川から上がろうとするが、変身を解除してしまった彼女の足は重い。

人に見つかった以上、再びヒゲを付けるわけにもいかなかった。

一方で、バシャンバシャンと激しい水音を立て、橋から水面へと飛び降りてくる大人達。

あっという間にツバメは追い付かれる。

そして1人の男に肩を掴まれた。

「やめて、離して下さい!」

マルガレーテを抱きしめるツバメは抵抗するが、大金に目のくらんだ男に容赦はない。

「最終的にこいつを届けた奴の勝ちなんだよ!」

そう高らかに笑いながら、男はツバメからマルガレーテを引ったくった。

「乱暴に扱わないで‼︎」

ツバメは鬼のような形相で男を睨む。

「その子はゲームの景品じゃないのよ!」

「ばーか、こんなネコ要るか!俺が欲しいのは金......がっ、ああ!」

男は野太い悲鳴を上げ、右手を押さえた。

同時に、キラキラ光る銀色の物体が宙を舞い、ボチャンと水中に落ちる。

「てめえ、ぶっ殺す!」

そう叫びながら水を掻き分け、人を押しのけやって来たのは陽子だった。


「なにアタシの後輩に手ェ出してんだ!」

「日向さん!」

「こっの、クソガキ‼︎とんでもないもん人に向かって投げつけやがって!」

川の底から未開封のネコ缶を拾い上げた男は、血走った目を陽子へ向ける。

「どういう教育受けとんじゃ‼︎」

「こっちのセリフだボケ‼︎」

陽子は素早く男に組み付くと、

「てめえこそ道徳と体育やり直せ!」

水中で相手の足を蹴り払った。

「ぎゃっ!」

水の中へと派手に転び、ガボガボと泡を吐く男。

「オラ、他の奴らもかかってこい‼︎」

一方の陽子は周りを見回しながら戦闘の構えを取った。

「待って下さい日向さん!マルガレーテは⁉︎」

瞬間、誰もがハッとなる。

「あそこだ!」

1人が指差す10mほど先、男の手を離れたマルガレーテは、またも川に流されていた。


「どけ!俺が見つけたんだ!」

「触らないでよ!ひっぱたくわよ!」

「うるせえ、ネコ缶でぶん殴るぞ!」

「くたばれ金の亡者どもが!」

夜の川面は泥沼と化した。

誰もが他人の服を引っ張り、髪を掴み、1匹のネコを求めるその様はまるで地獄絵である。

ただ1人取り残されたツバメが哀しい目で見守る中、体格の良い角刈りの男が、ぐったりと流されるマルガレーテのもとへとたどり着いた。

「へへへ!懸賞金はオレのもんだ!」

だが手を伸ばした角刈り男は、直後に水の中へ沈む。

何者かが彼の頭の上に乗っかっていた。

「はい残念。ゲームは終了よん」

そう言って謎の影は、マルガレーテを片手でヒョイと摘まみ上げる。

「ああ!あなた!」

ツバメが声を上げた。

「おー、よちよち。怖かったでちゅねえ、マルガレーテちゃん」

角刈り男の上に姿勢良く立ち、赤ん坊をあやすようにネコを抱き抱えるのは。

2m近い長身と時代がかったスーツ、そして顔の下半分を真っ青なヒゲの剃り跡で覆われた男である。

「青木さん!」

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