その7
林真下市U町。
小さなアパートの一室にて。
カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中、1人の男がドライバーや針金を手に、鉄の箱と格闘していた。
ゴミの散乱した床の上には、鍵を壊されたトランクや金庫が無造作に転がされている。
「あのジジイ。手こずらせやがって」
男は悪態を吐きながら、目に入った汗を拭った。
盗んできたはいいが、あまりに厳重過ぎる。
独り暮らしの老人宅に押し入り、手に入れた鍵付きトランク。
苦労して開けたその中には金庫があり、更にその中にも金庫、そしてその中にあったのが、今男が抱えている第3の金庫である。
ここまでくるのに丸3日も費やした。
しかし、かけた時間だけ期待も大きくなる。
よほど貴重なものがこの中には入っているに違いない。
男は夢中で鍵穴を突つく。
大きさから見て、これが最後の筈だ。
それから1時間の後、半ば破壊するように鍵をこじ開け、ついに小さな金庫の上蓋が開く。
「やった」
拳を握り小さく叫んだ男が、中を覗くと。
中にはオルゴールが収まっていた。
鍵が付いている。
「うがああああ!」
いつまでも真の中身を拝めず、男の苛つきは限界に達した。
オルゴールを掴むと、奇声を上げながら壁に投げつける。
だがアンティークの木箱は脆かった。
衝撃で箱は砕け、バネ仕掛けの蓋が勢いよく開く。
そして。
中から光沢のある紙の束が、ヒラヒラと部屋に散らばった。
同時に、パッヘルベルの「カノン」が流れ出す。
オルゴールの演奏するメロディである。
男は紙を拾う。
古い写真だった。
こちらを向き微笑む女性が写っている。
「何だよ、これは!」
苦労して金庫を開け続けた結果、その報酬が知りもしない女の写真だけとは。
男は湿った畳を踏み鳴らす。
ひび割れた壁に拳を打ち付ける。
散々暴れた後、疲れた男はうつ伏せに寝転んだ。
3日間の苦労が、全くの徒労に終わったのだ。
何もする気が起きず、男はだらしなくふて寝を決め込もうとした。
そのときである。
ドアをノックする音が聞こえた。
下の部屋の住人か管理人が、騒音への文句でも言いに来たのだろう。
そう思った男が無視をしようとしたとき、突然爆発するような音が轟いた。
驚いた男が起き上がり見ると、玄関正面の壁に、真っ二つに割れた木製のドアが突き刺さっていた。
そして今までドアのあった場所、ぽかりと空いた長方形の穴から、不思議な出で立ちの少女が侵入してきた。
英国紳士のようなシルクハットと燕尾服。
フリルのスカートを履き、顔には何故か巻きヒゲを付けている。
鬼のような形相で、ヒゲ少女は言った。
「時間掛かり過ぎ」
「へっ?」
いきなりなじられても、意味がわからない。
男は後ずさる。
反対に、少女はズカズカと畳を踏みしめ近寄ってきた。
手袋をはめた右手を握り締め、ツバメは叫ぶ。
「オルゴール開けるまで、どんだけ時間掛かってんのよ!」
少女の小さな拳で腹を殴られ、男は気絶した。
✳︎
「どこでこれを?」
紙袋を覗いた辻先生は、信じられないというふうにツバメを見た。
「ホール入り口の塀に立て掛けてあるのを見つけました。もしかしたら泥棒が反省して、こっそり返しに来たのかもしれませんね」
ツバメは先生と目を合わせずに言った。
無意識にも強盗を立てるような言い方をしたのは、辻先生に余計な感情を持たせたくなかったからだ。
喜んでもらいたいとは思わないが、今はただ、帰ってきた写真を受け入れて欲しかった。
「そうか...」
辻先生はじっと紙袋の中を見つめたまま呟いた。
感情の整理がつかないのだろう。
父を死に追いやった者への怒りは治らないに違いない。
今更写真を返しに来たって、辻さんの命までは戻ってこないのだ。
ツバメは、黙ったまま俯く先生の姿を、不安な気持ちで眺めた。
やがて。
堪えていたのだろう、辻先生の目から涙が溢れる。
そして、場違いに大きな声を出した。
「親父、母さんの写真が戻ってきたぞ。しかもトランクなしだ」
先生は棺に眠る父親を見下ろす。
「はは、嬉しそうにしてるよ」
そう言って、くしゃくしゃの顔で笑った。
ツバメも辻先生と並び、棺を覗く。
花に囲まれた辻さんの顔に表情はない。
先生に見えているのは、思い出の中で笑う、在りし日の父親なのだろう。
不意に、ツバメの頭に1つの音楽が流れる。
それは辻さんから写真を見せられる度に、ウンザリするほど聴くことになった「カノン」のメロディだった。
この2日間、ずっと待っていたメロディでもある。
「ええ、とっても」
ツバメは小さくそう返した。
辻先生の悲しみが少しでも和らぐといいな、と彼女は思う。
この先もヒゲの力で誰かを助けることができたら。
とは思わない。
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