その1

「誰よ、この人」


昼休みの教室にて。

紺野ツバメが見つめる先、小岩加代の持つスマートホンの画面には、1人の女性が映し出されていた。

豪奢なフリルのドレスに身を包んだ、50代ほどの女性である。

高価そうな家具の置かれた部屋の中、彼女はカメラを正面に、ソファへ腰掛けている。

その表情は暗く、長い付けまつげの間から流れる涙が黒い筋を作っていた。


「なんか怖いんだけど。恐怖映像?」

「違うよ、今話題のやつだよ」

今って言ってもホントにたった今なんだけど、と加代は自慢げに言った。

彼女がツバメに見せようとしているのは、動画共有サイトに上げられた3分程の動画である。

個人がスマートホンで撮ったムービーのようだが、驚くべきはその再生数だ。

正午きっかりにアップロードされたばかりだというのに、この1時間足らずの間で視聴された回数はすでに2万を超えていた。


「とにかく、まずは観てよ」

加代が再生ボタンを押すと、女性はハンカチで頬をぬぐいながら話し始めた。

弱々しい、悲しみに暮れた声である。

彼女は簡単な挨拶をした後、さっそく本題を切り出す。

「うちの子が行方不明なのです。もう3日もお家に帰ってきません」

小さく震えながら彼女は言った。

どうやら家族が行方不明であることを世に訴えているらしい。

目撃情報などをネットを通じて募る意図の動画であるようだ、とツバメは見て取った。

「この女の人、うちの近所に住んでるんだ。蜜井さんていうんだけど」

不意に加代が言った。

「え、知り合い?」

「直接話したことはないけど、お金持ちで有名なの」


なんでもこの婦人、蜜井夕子の夫は様々な国で取り引きを行う貿易商であり、界隈で一番の豪邸に住んでいるという。

「そうなんだ。けど大変じゃない、子供がいなくなったってことでしょ?」

ツバメは眉をひそめた。

警察には当然届けを出しているだろうに、加えて一般市民にまで広く情報提供を求めるとはよほど心配なのだろう。

「もしかして身代金目当ての誘拐事件かしら」

ここ最近物騒な事件に巻き込まれ続けているツバメとしては、何がしかの犯罪性を疑ってしまう。

「いや、違うわよね。それならこんな動画上げたりしないもの」

彼女は自問自答する。

だが一方の加代は、どういうわけか何かをこらえるように口をムズムズとさせた。

そんな中、蜜井婦人は落ち着かなげに身体を揺すりながら語り続ける。

「アタクシもう不安で不安で、じっと座っていることもできない有様でござあます。うちの子がご飯の時間に帰ってこないなんてことが、今まで一度もなかったものですから。ましてや3日となると、どうしても不吉なことばかり考えてしまいまして......」

蜜井婦人は言葉を切ると、レースのハンカチで鼻をかんだ。

そして、

「失礼致しました、続けます。この度アタクシが恥ずかしながらこのような動画を上げさせて頂いたのは、他でもありません。ご覧の皆様にご協力をお願いするためでござあます。1人でも多くの方に、うちの子の捜索をして頂きたいのです」

「捜索?探せっていうの?」

それは警察の仕事ではないのか。

ツバメが聞き咎めると、

「ご覧下さいませ。こちらが、うちの子です」

婦人は傍に置いていたスケッチブックを取り、カメラに向けた。


「へ?」

スケッチブックには、オレンジ色の色鉛筆で塗られた生き物の絵が描かれていた。

「これは......」

恐ろしく稚拙な絵だった。

まず頭部と胴体がほぼ同じ大きさの丸で表現されており、一見するとまるでヒョウタンのようである。

くびれの部分に赤い線が引かれているが、これは首輪だろうか。

またよくよく見れば、足や耳のつもりか、短い線が輪郭のところどころから飛び出していた。

そして顔のほうも相当にひどい。

左右で大きさの違う緑色の目以外は、鼻も口もヒゲも眉毛もただの黒い棒線で表現されていた。


「これは、......ネ......コ、かな?」

かろうじて動物を描いたことがわかるくらいだが、特徴のなさを見る限りどうやらネコの絵なのではないか、とツバメは思ったものである。

「ミセス.マルガレーテといいます。ご覧のとおり、とっても可愛いネコちゃんでござあます。グス」

蜜井婦人はまた泣きそうになりながら言った。

「正解だった。ていうかネコじゃないの!なんだ、同情して損したわ」

一転、ツバメは吐き捨てるように言った。

「ツバメちゃん、ペットだって大事な家族なんだよ」

「そういうあんただって半笑いじゃないの。私の反応を楽しんでたわね?それにしても、この人も『うちの子』『うちの子』って、飼いネコが逃げただけなら最初に言いなさいよ、もったいぶって。そもそも何なのこの下手クソな絵は。ネコなのに眉毛まで描いてあるし。こんなんで探せるわけないでしょ。どうして写真を用意しないのよ」

ツバメはまくし立てた。

動画の中の人間にまで説教を始める始末である。

「まあまあ、とりあえずこの後を観て」

加代がスマホをツバメの顔へ近づけた。

「やめてよ、観てるわよ」

動画はまだ続いている。

刺繍の施されたソファの上、蜜井婦人は言った。

「アタクシの描いたこの絵をもとに、マルガレーテを捜索して頂きたいのです。もちろん、タダではござあません」

蜜井婦人はスケッチブックを足元に置く。

そして今度は紫色のふくさに包まれたものを取り出し、膝の上に置いた。

ふくさの結び目をゆっくりと解く。


ツバメは目を剥いた。

「え⁉︎」

婦人の膝の上に現れたのは、紙で止められた5つの札束だった。

「これって、500万円⁉︎」

どんな金持ちか知らないが、たかがネコ1匹にそこまで出す人間がいることがツバメには理解できない。

ふと隣を見れば、ツバメが驚くのを嬉しそうに観察する加代がいた。

「ね、ね、すごいでしょ」

「まあ、たしかに。わかったわ、それでこの再生数なのね。なんせ......」

「ここに500万円あります」

ツバメを引き継ぐように蜜井婦人が言った。

「ミセス.マルガレーテを見つけ出して頂いた方への謝礼金としてご用意致しました」

やはり500万を出すつもりであるらしい。

「ただし」

婦人は一呼吸置いて続ける。

「ルールがあります」

「ルール?」

ネコ探しを依頼しておきながら、何らかの条件を出すつもりであるらしい。


「ご説明致します。今から、つまりこの動画のアップされた10月5日の正午現在から、10分が経過するごとに謝礼を1万円ずつ減らさせて頂きます。10分でマイナス1万円、1時間で6万円といったぐあいに最初の500万円から引いていく、というわけです」

「何よそれ。どうしてそんなおかしなルールがあるの?」

ツバメは黒板の上の電波時計を見た。

針は午後12時55分を指している。

「だとすると、すでに謝礼金の減額が始まってるわけだから、1時になったら500マイナス6で494万円になるってこと?なんだかゲームみたいね」

「このような条件を出すと、まるでゲームのようだと思われるかもしれませんが」

画面の中の婦人はまたツバメに応えるように言った。

「どうかご理解下さいませ。ミセス.マルガレーテはアタクシの命より大切な家族なのです。この12年、片時も離れたことはござあませんでしたの。彼女が今もどこかで1人寂しく震えている。そう考えるだけで、アタクシは居ても立ってもいられないのです。1秒でも早く、この手で抱きしめてあげたいのでござあます」


つまりはネコ捜索を少しでも急がせるために設けた条件であるようだ。

婦人は、更に溢れ出した涙をハンカチで押さえた。

寂しがるようなネコが勝手にいなくなるだろうか、とツバメは思ったが、婦人は相思相愛と信じて疑っていないらしい。

「金銭で協力を仰ぎ解決しようとするなど、不粋かつ非道徳的であることは承知しております。けれどアタクシにはこうすることしかできません」

蜜井婦人は自らの住所や連絡先を言い、

「皆さまのご協力を心より願っております。ご機嫌よう」

そう深々と頭を下げたところで動画は終わった。

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