陽子side その3
陽子は勘違いをしている。
それはウィスカーの説明不足によるところが大きいのだが、とにかく彼女は、魔法の付けヒゲは悪人をこらしめるためにあるのだと思っていた。
実際のところは少し違う。
ヒゲグリモーの敵は人間ではなく、ウィスカーと敵対する妖精軍なのだ。
しかしそんなのは陽子の知るところではない。
たとえ知っていたとしても関係ない。
目の前で犯罪が起こり、ましてや人質として子供がさらわれたとなれば、彼女は躊躇なくヒゲの力を行使する。
それは正義感からであり、また面白いからでもあるのだが、要は使うべきと思ったときに使うのである。
「輝くヒゲにみなぎるパワー!燃える毛根‼︎」
人目に付かないビルの隙間で、陽子は本日2度目の変身をした。
「ヒゲシャイニー、参上!」
威嚇するように掲げた両手と片足立ち。
誰も見ていないところでも、律儀にポーズを決める陽子である。
しかしその直後、
「えーっと」
顔の輪郭を覆う顎ヒゲを触りながら、彼女はさっそく困る。
「どうしよ」
変身したはいいが、この後のことは考えていなかった。
目的はもちろん猿面時計強盗を捕まえ人質も救うことだが、さてどうしたらいいのか。
まず陽子には、猿面達の車を追い掛けるすべがない。
ヒゲグリモーの脚力をもってしても、猛スピードで走る車に追い付くほどではないし、何よりあちらの今いる場所がわからなかった。
これがツバメであれば、車のエンジン音を魔法でサーチし追跡することが可能だが、陽子にはそれもできないのだ。
「あれ、アタシ出る幕なくねえか?」
彼女は1人、さびしい結論に至った。
しかし。
そんな陽子へ突如、不自然なほどのチャンスが訪れる。
ビルとビルの隙間にいる彼女は、細長く切り取られた表通りの景色に一瞬、黒い物体が横切るのを見た。
それは陽子が入ってきた方とは反対側、つまり時計店がある大通りから1本ずれた道路の光景である。
「あれ?」
陽子は首を傾げた。
その黒い影が強盗達の乗った車に見えたのだ。
そして直後、幾台ものパトカーが、ランプを回しながらけたたましく通り過ぎていく。
やはり間違いない。
警察が後に続いていたことからも、最初の影は奴らの車である。
そう確信すると同時に、陽子は不思議に思った。
強盗達は何故まだこんなところにいるのか。
逃走車と思われる影が通ったのは、犯行現場のすぐ隣の通りである。
つまり強盗達は、時間を掛けて1つの区画を半周しただけ、ということなのだ。
意味がわからない。
とっとと遠くへ逃げればいいのに、何故いつまでもグズグズしているのか。
行く先々が既に警察に包囲されており、困った挙句に迷走しているのだろうか。
「まあ、どうでもいいや」
陽子は身体を低く構えた。
強盗がまだ近くにいるというのなら、下手な考えを巡らす必要はない。
どうにか車に追い付き、自らの手で悪人を成敗するのみである。
一直線の競争なら車には敵わないが、曲がり角や障害物の多い繁華街においてはその限りではない。
カーブでは圧倒的に陽子の方が小回りが利くため、敵との距離を一気に詰めることができる筈なのだ。
「うしゃしゃしゃ、待ってろよお」
ここからは、今日半日分の鬱憤を発散する時間である。
陽子は不敵な笑みを浮かべると、ミサイルのような勢いで発進した。
*
「うわっ!おい見てみろ!」
「なんだ、あれ⁉︎」
「すげえ速いおっさん、......いや子供?」
「女の子じゃない⁉︎」
強盗犯の車とパトカーを見送った人々は直後、ビルの隙間から飛び出してきた奇妙な少女を目撃することになる。
逆立つ髪と顔を囲うヒゲ。真っ赤なマントに金の王冠。
なんのつもりか王様のような出で立ちのその少女は恐ろしく足が速く、彼女の駆け抜けた後には凄まじい風が巻き起こった。
市民の注目するところ、ヒゲ少女はどうやら暴走するセダンを追い掛けているらしい。
目を爛々と輝かせ、道路の真ん中を突っ走っていく。
見る間に縮まる、少女と逃走車との距離。
しかしその間には、強盗を追う10台ものパトカーがあった。
ヒゲ少女は衆人環視のなか、スピードを活かした大ジャンプをかます。
着地したのは、最後尾のパトカーの屋根である。
少女は腰を落とすとまた跳躍し、1つ前の車に飛び移った。
そうして次々に警察の車両を乗り継いでいく。
八艘飛びの要領で、ヒゲ少女はあっという間に先頭のパトカーまでたどり着いた。
彼女の目の前にあるのは黒いセダン、強盗達の車だけである。
そのとき、先を行く逃走車が突然進路を変えた。
甲高いブレーキ音と共にドリフトを決めながら、脇道へと左折を始めたのである。
いきなりの急カーブに、警察達は反応できない。
だがそんななか、パトカーの上からヒゲ少女は跳んだ。
両腕をピンと伸ばし、横向きになったセダンの車体目掛けて飛び込みを決める。
そして直後、彼女は人々の目から姿を消した。
一部始終を目撃した市井の人々は、後にこう語る。
突然現れたヒゲ少女は、突然消え失せた。
そして。
消える寸前、少女の全身が光り輝いて見えたと。
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