陽子side その2
午後0時30分。
駅へと伸びる大通り。
その一角に、休日の賑わいとは質の異なる喧騒があった。
騒ぎの中心は「睡蓮堂」という高級時計店の前である。
店の周りを囲うように10台ほどのパトカーが停められ、その外側を大勢の人々が埋め尽くしていた。
「危険です!離れてください!立ち止まらずに進んでください!」
警官が呼び掛けてまわるが、野次馬は増える一方だった。
陽子もその1人である。
「なあなあ、何が起きてんだ?」
遠巻きに時計店を眺める若い男に向かい、陽子が尋ねた。
男は背伸びをし、人々の頭越しになんとか店内を覗こうとしながら答える。
「よく見えないんだけど、強盗が時計屋に立て籠もってるらしい」
「強盗?時計盗んでんのか?」
「盗んでるんだろうね。買ってたらお客さんだもの」
「こんな時間に?」
陽子はまた訊いた。
銀行強盗なら昼間のイメージだが、時計強盗の場合は深夜か明け方に活動するものと彼女は思っていたのだ。
男も頷く。
「そうそう。テレビの犯罪特集とかでよく観るよね、深夜の防犯カメラの映像。覆面の男達がバールでシャッターこじ開けて、カギを壊して、ショーウィンドウ割ってさ。なんでもバールでやっちゃうんだ。......あっ」
男が小さく叫んだ。
同時に野次馬達の間からも悲鳴が上がり出す。
何か動きがあったらしい。
「どうした?犯人出てきた?」
陽子はピョンピョンとジャンプした。
だが小柄な彼女は、店の様子が全く見えない。
仕方がないので男の頭に手を掛け、背中をよじ登る。
「ちょっ、痛いって。てか、なんでキミそんな泥だらけなんだ」
文句を気にせず、陽子は知らない男の肩に乗った。
肩車の格好である。
そして、
「うわっ、なんだあいつら」
ようやく現場を見ることができた陽子は声を上げた。
「おサルじゃねえか」
警官達に包囲される中、3人の男が店の前に立っていた。
当然サルではなく、人間である。
陽子が言ったのは、彼らが被っている仮面を指したものだ。
3人とも顔を仮面で覆っており、白地に赤や黄色の絵の具を塗ったそれは、京劇に出てくる猿を模したようだった。
顔を隠しているため、正確に言えば性別は不明だが、身長体格からしてまず全員が男で間違いない。
1人は中身の詰まった黒いボストンバッグを抱え、1人は手に赤いバールを握っている。
「出たバール」
陽子の下で男がささやく。
そして残る1人の強盗。
彼は大きなナイフを持ち、それから何かモゾモゾと動くものを肩に担いでいた。
よく見ればそれは人間である。
大きさからみておそらく子供であろう、頭から布の袋を被せられている。
どう見ても人質だった。
ざわめく野次馬達に見つめられる中、猿面の時計強盗達は歩き出す。
ふてぶてしくも、周囲を気にも留めないゆっくりとした歩みである。
「動くな、止まれ!」
警官の制止にもまるで動じる様子がない。
3人の強盗は無言のままパトカーの隙間を抜け、車道に向かっていく。
海が2つに割れるように、人々が左右に避け道を作る。
一切の交渉ができないとなると、警察にも為すすべがないようだった。
強盗犯の担ぐ人質には、冷たく光るナイフが押し付けられているのだ。
誰にも遮られることなく、やがて強盗達は車道の真ん中に出る。
そのときだった。
彼らにタイミングを合わせるように、1台の黒いセダンがエンジン音を轟かせながら猛スピードでやってきた。
慌てて逃げ出す野次馬達の前、車は急ブレーキで停車する。
運転席に乗っているのは、やはり猿の面を被った男だった。
仲間がまだいたのである。
3人の強盗犯は車のリアドアを開け荷物と人質を放り込むと、素早く中に乗り込んだ。
ドアが閉まるが早いか、セダンは急発進する。
車体を滑らせながら大通りの角を曲がり、たちまちのうちに姿を消してしまった。
一瞬の静寂の後、周囲は大騒ぎになる。
目撃したものを確かめ合う人々。
大急ぎでパトカーに乗り込む警察官達。
今更に到着する白バイの群れ。
そんななか陽子はようやく、知り合ったばかりの男の肩から飛び降りた。
「ありがとな、お兄さん!また会おう!」
そう言って走り出した陽子に向かい、男は手を振る。
「お、おう。なんだ、急ぎの用事があったのか」
「いま用事できた!ちょっと強盗犯捕まえてくる!」
短パンのポケットを探りながら、陽子はビルの隙間に消えていった。
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