その5
ツバメが話を聞くに、陽子の家の近所には総合格闘技のジムがあるらしい。
彼女の父親が営むという理容店にも、よく筋骨隆々の男達が髪やヒゲを整えに来るのだという。
彼らはより厳つく見えるよう、顎や頬に黒々とした立派なヒゲを生やしていた。
それで、幼い頃から店内をウロウロしていた陽子には次第に、ヒゲ=強いというイメージができ上がっていったらしい。
いつかはあのような立派なヒゲを生やしてみたいものだ、と陽子は真剣な顔で言った。
ツバメの頭の中で喝采が鳴り響く。
大当たりだ。
戦うこととヒゲが好きな女子中学生が日本国内に、しかも同じ学校内にいるなんて奇跡である。
彼女なら喜んでヒゲグリモーを引き受けるに違いない。
思わずツバメは、陽子の手を握った。
「お、どうした。いきなり」
「日向さんに紹介したい人、っていうかケモノがいるんですけど...」
そのときだった。
「おっす、陽子!」
ツバメと陽子の後ろから、5人の男子がやってきた。
派手な金髪や坊主頭、銀のネックレスにピアスといった、揃いも揃ってまごうことなきヤンキーである。
ダラダラと寄ってきた彼らは、見慣れないツインテールを見つけ、どよめく。
「あれ、なんか可愛い子がいる」
「そうだろ、1年生のスズメっていうんだ」
何故か陽子が得意そうに紹介した。
「ツバメです」
不良達にジロジロ見られ、ツバメは居心地が悪い。
「あ。もしかして、ツバメちゃんも今日来るの?」
ピアスの男子が言う。
すると陽子が騒ぎ出した。
「そうだ、あれ今日か!ツバメ、お前も来いよ!」
「何かあるんですか?」
ツバメは不安げに訊く。
不良の集まりになど参加したくはない。
「幽霊探しだよ」
坊主頭が言った。
「最近この辺に、女子高生の幽霊が出るって噂じゃん。そんで今夜、みんなで探してみるんだ」
「え」
ツバメは露骨に嫌な顔をした。
陽子には近づきたいが、そんな幼稚なことをするのは時間の無駄である。
そう思い、やんわりと断ろうとすると、
「来るよな」
陽子が肩に腕を回してきた。
その顔を見て、ツバメはぞくりとする。
陽子は笑っていた。
それなのに恐ろしい、有無を言わせぬ迫力に満ち満ちていた。
ネコのようだと思っていた顔が、今は獲物に飛び掛かる寸前のライオンにしか見えない。
無邪気な態度に忘れかけていたが、彼女はケンカ大好きの暴力少女である。
接近し過ぎたと気が付いても、もう遅かった。
「え、ええ。邪魔でなければ」
ツバメは頬を引きつらせながら、笑顔を返した。
✳︎
その日の夜、英会話教室でのレッスンを終えたツバメは制服姿のまま、明かりの消えた中学校に戻ってきた。
午後7時、約束の時間である。
「なんで私が」
ツバメは頬を膨らませ、つぶやいた。
日向陽子に近づくためとはいえ、まさか噂の幽霊探しに自分が付き合わされるとは。
今朝、加代と話していたときには思いもよらなかったことだ。
まるで展開についていけない。
プール裏に着いたツバメは、空き地を覗く。
暗くてよく見えないが、まだ誰もいないようだった。
「7時に集合って言ってたじゃない」
ツバメは眉をひそめ腕時計を睨む。
どうしてこう時間にルーズな人が多いのだろう。
自分達で決めた予定くらいきっちり守れないものか。
これでは約束通りにやってきた自分が一番張り切っているみたいではないか。
「だから不良って嫌い」
思わずそうこぼしたとき、ツバメの視界が突然真っ白になった。
「きゃっ!」
「おう、ツバメか。幽霊かと思ったよ」
いつの間にか、Tシャツ短パン姿の陽子が隣に立っていた。
ツバメの顔へ懐中電灯の光を向けている。
幽霊探索のために持ってきたのであろう。
くだらないことになると用意がいい彼女である。
それから10分程、2人は他のメンバーを待った。
しかし、来る筈の不良5人は一向に現れない。
「あいつら遅えな。怖くなったのかもな」
陽子が笑った。
彼女は幽霊の存在を信じて疑わないような発言をする。
見つけるまで帰れなかったらどうしよう。
ツバメには幽霊の存在よりそちらの可能性が怖い。
だが次の瞬間、ツバメの予想を超える恐ろしいことを陽子が思いついた。
「そうだ!あいつらが来るまで、ひと泳ぎして待ってようぜ」
「何ですって?」
ツバメが聞き返すも、陽子は既にフェンスをよじ登っている。向こう側にあるのは、25mの屋外プールである。
「お前も早く来い」
フェンスの上に跨り、陽子がツバメへ手を伸ばす。
冗談じゃない、そう思ったツバメだったが、気が付くと襟首を掴まれていた。
そのまま強制的に引っ張りあげられる。
「ところで、水着は持ってるんですか」
ガシャガシャとフェンスを越え、仕方なくプールサイドに降り立ったツバメは尋ねる。
今は9月なので、水泳の授業はもうない。
「え?」
振り向いた陽子は素っ裸だった。
服やサンダルは辺りに脱ぎ散らかされている。
「何やってるんですか!人に見られるじゃない!」
小声で叫ぶツバメに陽子は、
「暗いから大丈夫だよ!お前も早く脱げ」
と、何でもないことのように言ってきた。
「絶対嫌!」
ツバメは逃げようとしたが、すぐに捕まった。
陽子の腕力は凄まじく、たちまち衣服を全部剥ぎ取られたツバメは、軽々とプールに投げ込まれる。
まだ暑さの残る季節とはいえ、夜のプールはかなり冷たかった。
あまりの寒さに、ツバメは歯を鳴らすばかりで声も出ない。
その隣を、陽子が気持ち良さそうに平泳ぎで通り過ぎていく。
この人いつもこんなことしてるのかしら、とツバメは信じられない思いで見送った。
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