その4
その日の放課後、ツバメは1人、2年生のクラスが並ぶ階へと向かった。
まずは日向陽子に近づいてみようと思ったからである。
加代の言うことが正しければ、彼女のクラスはたしか5組だった筈だ。
教室から出てきた先輩男子をつかまえ訊いてみると、陽子はもういないと言う。
ツバメは落胆したが、2年生は続けて教えてくれた。
日向はいつもプール裏で仲間と遊んでいるから、どうしてもって用があるなら行ってみるといい、とのことである。
含みのある言い方だが、ツバメにはその理由がすぐにわかった。
プール裏とは、学校の隅にある約5m四方のデッドスペースのことである。
垣根と屋外プール、それから更衣室に囲まれたその空き地は周囲から見えづらく、素行の悪い生徒達のたまり場となっていた。
居場所を聞いただけで、陽子の人付き合いも知れてくるものである。
不良が沢山いたら諦めて帰ろう。
そう思いながらツバメはプール裏へと向かった。
そうして恐る恐る空き地を覗くと、果たして、陽子はいた。
しかも1人。
早速ヒゲグリモー勧誘のチャンス到来である。
だが、なんとも声を掛けにくい状況だった。
陽子はサッカーボールで玉乗りをしていた。
両腕をフラフラと振り、器用にバランスをとっている。
そして彼女は上を向き、額に竹ぼうきを立てていた。
竹ぼうきの上には更に、開いたビニール傘が載っている。
凄いけど、とツバメは思った。
1人でそんなことをして何が楽しいのだろう。
少しの間、ツバメが所在なげに見守っていると、人の気配に気が付いたのか、陽子が言った。
「おう、ちょうどいいとこに来た!」
上を向いたまま、スカートのポケットを探り、二つ折りの携帯電話を取り出すと、いきなりツバメに向かって放り投げる。
ツバメがキャッチすると、陽子は言った。
「とってくれ、とってくれ」
ツバメは何のことかわからなかったが、すぐに写真を撮れという意味だと気が付いた。
携帯電話を開き、色んな角度から陽子の勇姿を撮ってやる。
やがて満足したのか、陽子はボールから降りるとツバメの元へと寄ってきた。
「すげえ!よく撮れてる。ありがとう!お前にも送ってやるよ」
そう言った陽子は、初めてツバメの顔をまじまじと見た。
「あれ、お前誰だっけ」
✳︎
ツバメは簡単な挨拶と自己紹介をした。
といっても陽子とはまるで接点がないので、名前と学年くらいしか言うこともない。
いきなりヒゲグリモーの話をするわけにもいかなかった。
このままでは、特に意味もなく陽子に会いにきた変な奴だと思われる。
そう感じたツバメが最近読んだ本や天気の話で無理くりに繋いでみたところ、日向陽子は愛想よく頷きながら聴いてくれた。
意外にも人懐こい性格である。
ツバメのツインテールを撫で、「可愛い可愛い」などとしきりに笑う。
自ら近づいてくるような後輩が珍しいのかもしれないな、とツバメは思った。
それから今朝の話題を出すと、
「ああ、見てたのか。あのハゲはアタシの親父だよ。髪切らせろってうるさくてさ」
陽子はきまりが悪そうに、ボサボサの頭を掻いた。
「でもバリカンはないですよね」
ツバメが言うと、
「そうだろ!ああ、アタシもお前みたいなクルクルにしてもらおうかな。いや、うちの親父には無理か」
ソバカスの浮いた鼻にシワを寄せ、陽子は笑った。
意外と似合うかもしれない、私ほどではないけども。
とツバメは思う。
さて、少し打ち解けたところで、ツバメはいよいよ本題を切り出すことにする。
肝心なのはここからだ。
「日向さんは喧嘩がとても強いと聞いたけれど、本当ですか」
「まあなあ」
八重歯を剥き出しつつ、陽子は照れる。
ツバメは褒めたつもりはないのだが、向こうの機嫌が良くなるのは好都合だ。
「もし今よりもっと強くなれて、例えば悪い妖精とかと戦うことになったとしたら、楽しいですよね」
「妖精?まあなぁ、強い妖精が相手なら楽しいな」
頷きながらも陽子は怪訝な顔をした。
強い妖精というものが想像しにくいようだった。
当然である。ツバメにだってよくわかっていない。
しかしツバメは構わずに続ける。
「だけどその代わりに変なアイテムを顔に付けなければならないとしたら、どうしますか?」
「なんだそりゃ?」
ツバメの急カーブ過ぎる展開のさせ方に、陽子は首をひねる。
「たとえばです」
ツバメは慌てて付け加えた。
「変なたとえばだな。アイテムって何だ?」
ツバメは考えるフリをする。
「うーん、これもたとえばだけど、...ヒゲとか」
ウィスカーは魔法のヒゲについて他人に漏らすなと言うが、その約束を守りつつ、ヒゲグリモーに勧誘するというのはなかなか難しい。
しかし、
「ヒゲか、いいな!アタシはヒゲが大好きなんだ」
陽子は即答した。
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