その6
そうしてまた駆け出そうとしたとき。
「待ってくれニャ」
ウィスカーだ。まだ付いてきている。
「さっきからそんなに急いでどこに行きたいニャ」
「うるさい! あんたの相手してるヒマないの」
ツバメはにべもない。
「いいから話すニャ。何かを探しているなら協力するモニャ」
ネコもめげずに聞いてくる。
ツバメのイライラが最高潮に達した。
「私の尊敬する指揮者のバイオリンが怪盗アリスに盗まれたからその行方を追ってるの! さっき屋根の上を跳んでいった奴よ!わかった⁉︎」
協力だって? できるもんならやってみなさいよ。挑発するように、ツバメは一息に言い切った。
「そんなことかニャ。それなら簡単だモニャ」
そうウィスカーは答えた。
「ほら見なさいよ!あんたが聞いたところで...、へ?」
簡単?
ツバメは耳を疑う。
「怪盗ったって、所詮はただの人間だモニャ?」
ネコは偉そうに続けた。
「所詮って。まあ、そうだけど。あんたにアリスを捕まえられるの?」
「だから協力だってばニャ。捕まえるのはキミだニャ」
ウィスカーはスーツケースを開いた。
変わらず、中には付けヒゲが並んでいる。
順番にヒゲを指差しながら、ネコは歌い出した。
口ヒゲ あごヒゲ どじょうヒゲ
チョビヒゲ もみヒゲ 無精ヒゲ
くろ、あお、あかヒゲ ネコのヒゲ
そして、
「バイオリンを取り戻したい、ねえ。するとキミは音楽に興味があったのかニャ。それニャら、ぴったりなのがあるモニャ!」
ウィスカーは1つをつまみ上げた。
「指揮者っぽいヒゲー!」
それは両端が渦を描くように丸まった、黒い口ヒゲだった。
カイゼルヒゲと呼ばれる形である。
「さあ、急いでこれを付けるモニャ」
ウィスカーは言う。
ツバメの額に青すじが浮かんだ。
「結局またヒゲじゃん!バカにしてんの?しかも指揮者っぽいヒゲて何?確かに久留木先生も似たようなヒゲだったけど、そんなん貰ったって何の慰めにもならないわよ!空気読みなさいよ!」
怒るツバメに、ネコは平然と言った。
「キミこそヒゲをバカにしてはいけないニャ。人間のヒゲには大いなる可能性が詰まっているモニャ!」
そう言ったネコは突然跳び上がり、ツバメの鼻の下に、ピタリと巻きヒゲを付けた。
「君の情熱なら素質十分だモニャ。きっと、これを使いこなせるモニャ」
「なに勝手に付けてんのよ!」
ツバメは慌ててヒゲを取ろうとする。
しかしそれより早く、ウィスカーは天に向かって両の前足を突き上げ、そして叫んだ。
「さあ、ヒゲの力で悪を討て! 魔法少女ヒゲグリモー‼︎」
「ヒ、ヒゲグリ?」
戸惑うツバメの身体から、白い光が湧き出した。
光は見る間にツバメの全身を包み込み、同時に宙へと浮かび上がる。
「何よこれ!どうなってんのよ!」
必死の叫び声が、どこからか鳴り出したファンファーレのような音に掻き消された。
まばゆい光の塊となったツバメの輪郭が、徐々に形を変える。
制服姿だった彼女の衣装が変形していく。
やがて、光が線となり四散すると。
そこには妙な出で立ちとなった少女が浮かんでいた。
頭には羽根飾りのついたシルクハット。
上半身は黒い燕尾服で、2本の尖った裾が風に舞う。その下は丈の短いオレンジ色のフリルスカート。黒いニーソックスと、先の丸い靴。胸の中心にエメラルドのブローチが輝く。象牙色のシャツと手袋。
右手には、持ち手の上に巻きヒゲの飾りのついた指揮棒が握られていた。
そして鼻の下には、両端の丸まった、立派な黒いカイゼルヒゲ。
よく見れば男女の入り混じったおかしな衣装だったが、どういうわけか不思議にまとまっている。
浮いていた身体が地面に降り立ち、少女ツバメは謎のセリフを叫んだ。
「うず巻き だて巻き ドリル巻き!ヒゲグリモー1号、ヒゲエンビー参上‼︎」
叫んでから、ツバメは我にかえる。
「って、何よこの服。変なこと喋ってるし」
「気にしてる場合じゃないモニャ、ヒゲエンビー!」
「誰がヒゲよ!人を勝手にこんな格好にして」
ツバメは付けヒゲを剥がし取ろうとした。
「あ、駄目ニャ!変身が解けてしまうモニャ」
ネコが慌てて制す。
「君は泥棒からバイオリンを取り返したくないモニャ?今ならそれができるニャー!」
「ウソでしょ?」
ツバメは呆れたように首を振る。
「できるモニャ。今すぐ追いかけるモニャ」
ウィスカーは四方八方に前足の指を突き出した。進むべき方向がよくわかっていないらしい。
そんなウィスカーを、ツバメは目を細めて見つめる。
信用できない。
だがツバメを妙な姿に変身させたのはこのネコである。どういう原理による技術なのかはまったく理解できない。
「うーむ」
ツバメは腕を組み、低く唸る。
「考えている場合かニャ⁉︎早くしないとアリスとかいうのがどんどん遠くへ行っちゃうモニャよ?走るニャ!」
「わかった、わかったわよ」
ウィスカーの剣幕に、ツバメは渋々頷いた。
とはいえ、まだ迷っている。こんな格好で外をウロウロしたくはない。
仕方なくツバメは、試しにその場で足踏みをしてみた。
「え?」
そして驚いた。
全力疾走した脚の疲れが全くなっている。それに身体がとても軽く感じる。
全身に力がみなぎっているような感覚だ。
これなら本当にアリスを追えるのではないか?
少し精気を取り戻したツバメは、足踏みを徐々に速め、そのまま前に体重を傾けた。
その途端、ツバメの身体は恐ろしい勢いで進みだした。
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