その5
「はあ⁉︎」
ツバメは大声で聞き返す。
「久留木記念館からバイオリンが盗られちゃったみたいなの」
加代がSNSで得たその情報はつい5分ほど前、近所の通行人によって投稿されたものらしい。
「記念館の前にパトカーが来てるんだって。で、お巡りさんが、バイオリンがどうとか、アリスのカードがこうとか無線で報告してるようなの。これが本当だったら」
何かを思い出したように、加代の声が途切れた。そして、遠慮がちに続ける。
「どうしよう。だって久留木さんはツバメちゃんの...」
通話が途切れた。
ツバメがぶった切ったのである。
そして彼女は走り出した。
両手に抱えるカバンとバイオリンケースがえらくかさばるが、そんなことを気にしている余裕は、今のツバメにはない。
1秒でも早く久留木記念館へ行き、加代の情報が本当なのかを、確かめねば済まなかった。
「何なのよ、次から次へと!」
早くも息を切らしつつツバメが独りごつと、
「どうしたモニャ。事件かニャ」
すぐ後ろから声が聞こえた。
どうやらウィスカーが付いてきているらしい。
本当にしつこいやつだ。
ツバメはネコを無視して走る。
*
全速力で走ったおかげで、5分程でツバメは記念館へと到着した。
久留木記念館はちんまりとした洋館のような外装の建物で、町外れの公園の中にある。
館内には、この町で生まれた指揮者、久留木貝蔵の生前の記録や愛用品などが展示されていた。
ツバメが駆け付けたところ、記念館の前には、すでに5台のパトカーが止まっていた。
周囲を囲む30人程の野次馬と、彼らを制す警察官が、普段は静かな夜の住宅地で場違いにうるさい。
本当にバイオリンが盗まれたのだ。
遠巻きに様子を伺うだけで、ツバメはそれを確認できた。
あまり人の入らない寂れた記念館が、あれだけの騒ぎになっているということは、おそらく怪盗アリスのカードとやらが館内に残されていたのだろう。そして、久留木記念館においてアリスが狙うとすれば。
何度も足を運んだことのあるツバメにはわかる。
それは記念館で最も値打ちのあるもの、久留木が若い頃使っていたバイオリン以外に考えられなかった。
久留木貝蔵という人物こそ、ツバメが幼い頃に感動したオーケストラの指揮者である。
ツバメがバイオリンを習い出したのも、久留木の生涯をなぞろうと考えたからである。楽団を指揮する久留木は、一流のバイオリニストでもあったのだ。
生前の彼が最も愛した逸品が、この町の記念館に収蔵されている。ツバメにはそれが嬉しかった。
けれど、バイオリンは盗まれてしまった。
怪盗アリス。
テレビや雑誌が言うには、派手な貴金属や宝石ばかりを狙う大泥棒だそうだが、まさかこんな小さな町にまでやってくるとは。
ツバメは天を仰ぐ。
震えるようなため息を吐くと、夜空に瞬く星がじんわりとにじんできた。
今日は本当にふざけた日だ、とツバメは改めて思う。
まず自称妖精のネコに遭遇し、ヒゲを勧められた。
そして世間を騒がす怪盗アリスが、近所の記念館からバイオリンを奪っていった。
そういえば、謎のスカート姿が、民家の屋根を忍者のように駆けていくのも見たんだった。
奇妙で理不尽な出来事が3つも続いている。これでは幻覚というより、長い悪夢を見ているようではないか。
ん?
いや、3つじゃなくない?
ツバメは不意に気が付いた。同時に、今まで気が付かなかったのが恥ずかしくなった。
屋根の上のスカート姿こそ、怪盗アリスだったのではないか。
というか、そうに決まっている。
民家の屋根をスカートで跳び移っていく者が、そう何人もいてはたまらない。
記念館で盗みを終えたアリスが逃げていくところを、自分とネコは目撃していたのだ。
まあ目撃しただけなので、あの場で怪盗アリスをどうこうすることはできなかっただろう。
向こうは世界を煙に巻く大泥棒で、ツバメの方はただの中学生なのだから。たとえ加代からの報せを先に受けていたって、捕まえたりなどできる筈もない。
それでも。
ツバメは悔しくなった。
無性に馬鹿にされている気がした。
誰よりも尊敬する指揮者、久留木貝蔵。
彼の遺品であるバイオリンを盗み、怪盗アリスは自分の目の前を通り過ぎていった。一仕事終えた後の、清々しい気分だったに違いない。
ツバメの頭に血がのぼる。
「怪盗」などという気取った肩書きを持つアリスだが、実のところ、その標的となるものは毎回バラバラである。
純金の王冠や大粒の宝石、世界的な名画など、あまり節操がない。要するに金目当ての犯行なのだ。
久留木先生のバイオリンだって、値打ちがあると知ったから盗んだだけで、本当の価値などまるでわかっていないに違いない。すぐに換金してお終いなのだろう。
考えるほど、ツバメに怒りが湧いてくる。
とうとう耐えられなくなったツバメは、決意をした。
怪盗アリスを探そう。
奴が今どこにいるかなど知りはしないが、逃げていった方角はわかる。
見つけることはできなくとも、何もしないよりはずっといい。
そう思った。
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